第93話:共存継承戦①
玉座の間の重苦しい空気が解散とともに解けていく。
だが、エフィナの心だけは、沈黙のまま揺らぎもしなかった。
自分の部屋へ向かう途中、石の廊下に響く足音がやけに大きく聞こえる。
胸の奥にあるざわつきが、歩くたびに膨らんでいくからだ。
シェーヴァを襲ったのは、きっと。
確証はない。
しかし、直感が告げている。
自分の力と記憶を奪った、何者かだと。
シェーヴァほどの実力者が不意を突かれたという事実が、何よりの証明だった。
エフィナは歩を止め、ゆっくりと目を閉じた。
まず疑ったのは、同じ候補者たち。
しかしダルガンではない。
彼には野心があり、勝つためには手段を選ばないように見えることもあった。
けれど、あの戦闘継承戦の最中に知ってしまったのだ。
ダルガンは、卑怯な手だけは使わない。
真正面から叩きつけ合うことを何より誇りにしている。
だからこそ、負け続けても折れなかった。
「……彼じゃない」
エフィナは小さく呟いた。
残る候補者たち。
最も疑わしいのはヴォルツだ。
挑発、混乱、欺きシェーヴァ襲撃の混乱に乗じたあの態度こそ、犯人の陰の動きを知っている者のようにも思える。
だが決定的な証拠が何一つない。
追及すれば、逆に自分たちが標的になるかもしれない。
そして、あの男はわざと疑われたがっているような、そんな不気味さすらあった。
ルシエルはもっと分からない。
ただ無関心なのか、あるいは関心がないふりをしているのか。
その心の底は、追おうとすればするほど霧のように逃げていく。
「……このまま継承戦が続けば、また誰かが」
胸の奥がきゅっと縮まる。
自分の大切な人が、誰かによって狙われるかもしれない。
カナト。
ユナ。
エルネスト。
ジルヴァ。
そして共に歩もうとしてくれた人々。
全員が巻き込まれる。
その可能性は、あまりにも現実味を帯びて迫ってきた。
エフィナは拳を胸元にぎゅっと寄せる。
「もう……奪わせない」
静かな声だったが、確かな熱を宿していた。
力も記憶も、仲間も、大切なものを奪っていく《何者か》。
その存在が、自分たちの行く先を陰から操ろうとしている。
立ち止まれば、また奪われる。
だからこそ。
「守る。絶対に」
その決意は、重圧の中でかえってはっきりと形を成した。
自分のためだけでなく、周りのために。
そして、シェーヴァのためにも。
エフィナは深く息を吸い、顔を上げた。
揺らぐ瞳では、もう誰も守れない。
だからこそ、燃えるような強さが必要だった。
「カナト……。みんな……」
言葉にならない想いが胸いっぱいに広がる。
エフィナは歩き出す。
影に潜む“敵”が何を企んでいようと、もう逃げるつもりはない。
影を暴き、その計画を打ち砕くために。
そして、誰一人として傷つけさせないために。
シェーヴァ襲撃の混乱がまだ尾を引く夜。
エフィナは深く息を吸い込み、石造りの控室へと足を踏み入れた。
そこには、すでにカナト、ユナ、そして元勇者エルネストの姿があった。
皆、どこか張り詰めた表情をしている。
だが、エフィナが扉を閉めると同時に、その視線がまっすぐ彼女に向けられた。
「……相談したいことがあるの」
声は震えていない。
ただ、真剣だった。
エフィナは3人を順に見つめる。
「このまま継承戦を続けるべきか……迷ってる。誰かがまた狙われるかもしれないし、あたしのせいでみんなが巻き込まれるかもしれない」
ほんのわずかな沈黙が落ちた。
だが、それを破ったのは――3人の、ほぼ同時の声だった。
「続けるべきだ」
「やるしかないだろ」
「やるべきね」
エフィナの胸が一瞬だけ揺れた。
「……みんな、本気で?」
カナトがまっすぐ頷く。
「エフィナを狙った奴、そしてシェーヴァまで傷つけた奴。こいつは絶対にまた動く。なら……継承戦を続けて、引きずり出すしかない」
ユナも拳を握ったまま言葉を重ねる。
「逃げたら、相手の思うつぼよ。それに……エフィ一人に全部背負わせないから」
エルネストはいつもの落ち着いた声で、しかし強く断言した。
「継承戦を続けることで、奴は必ず何かしらの“次の手”を打ってくる。ならばこちらも覚悟を決めて立ち向かうだけだ。お前を守るために、戦う準備はできている」
エフィナは言葉を失い、胸に熱いものがこみ上げた。
しかし涙は見せない。ただ真っ直ぐに感謝の色を宿す。
「そのためにも」
エルネストが立ち上がり、自らの布を腰に巻き直す。
「次の継承戦《共存継承戦》。そしてその相手ヴォルツ。油断ならん男だ」
ユナが眉を寄せる。
「シェーヴァさんの件で、あの人はずいぶん軽口叩いてたみたいだしね。私の中ではあの人が何を考えてるのか一番見えない」
カナトは短く息を吐く。
「でも逃げてもしょうがない。エフィナを守るためにも……戦う準備、俺もちゃんとやる」
エフィナは3人を見回した。
怖い。
でも、それ以上に。
「……みんな、ありがとう」
声が自然と出た。
震えもなく、揺らぎもない。
エルネストが頷き、皆の真ん中に手を差し出す。
「継承戦は続く。敵の狙いが何であれ……俺たちは勝つ。そして、何者かに報いを受けさせる」
カナトも、ユナも、そしてエフィナも手を重ねる。
「絶対に、守る」
「絶対に、突き止める」
「絶対に、負けない」
四つの言葉が静かに空気を震わせた。
その夜、彼らの絆は、襲撃者が思いもしなかったほど強固に結び直されていた。
部屋を出たとき、エフィナの瞳には迷いがなかった。
共存継承戦。
そしてその相手、ヴォルツ。
敵が誰であれ影がどれほど深くとも仲間と共に歩むなら、立ち向かえる。
「……必ず勝つ。みんなで」
静かな誓いが、魔界の冷たい風の中へ溶けていった。
翌朝。
継承戦の主催役・ジルヴァに呼び出されたエフィナとカナトは、重厚な会議室に足を踏み入れた。
ジルヴァはすでに地図を広げており、ほかの候補者たちも黙してその説明を待っていた。
「次の試練、共存継承戦の舞台が決まった」
ジルヴァが地図の一カ所に指を置き、ゆっくりと押し込む。
そこには深い谷を示す黒い線と、周囲を覆うように描かれた複雑な魔力の流れがあった。
「舞台は《虚鳴峡》。魔界でもっとも“争いが絶えない場所”のひとつだ」
その名を聞いた瞬間、ヴォルツが微かに口角を上げる。
ダルガンは「マジか……」と苦笑いしながら腕を組み、ルシエルは相変わらず興味を示していない。
ジルヴァは説明を続ける。
「虚鳴峡には、対立する三つの勢力が存在する」
「本来は資源が乏しい土地ゆえに互いに協力しなければ生き残れない。だが、価値観の違いから絶えず衝突が起こり、最近は小競り合いがほぼ戦争のようになっていた」
「君たちの試練は、この三勢力が“今日中にでも殺し合いを始めそうな状況”を、どうにかして止めることだ」
エフィナは息を呑む。
「……つまり、話し合いでも、説得でも、避難でもいい。戦闘は最後の手段ということね?」
「その通りだ」
ジルヴァは頷く。
「敵対派閥は、すでにこちらに“監視役”を送り込むと宣言している。彼らは見届ける。君たちの判断が『共存』を名乗るに足るかどうかを」
エフィナは地図を見つめ、胸に熱いものが宿る感覚を覚えた。
「そして、参加者は……」
ジルヴァはエフィナとカナトに視線を向けた。
「エフィナ・ルア・ファルミナス」
「補佐役として、カナト」
カナトが軽く肩を震わせたが、すぐに真剣な眼差しで頷く。
エフィナは一歩前へ出た。
「……どうしてあたし達をそこに?」
ジルヴァはわずかに柔らかな声で答える。
「三勢力は“魔族ではない視点”を求めている。彼らは互いを信じていない。だが、人間や、価値観を押しつけない者なら、聞く耳を持つ可能性がある。それに……」
ジルヴァはエフィナの瞳を見つめた。
「君は前回の統治継承戦で、ひとりひとりと向き合い結果を変えた。虚鳴峡が求めるのは、まさにその姿勢だ」
エフィナは静かに頷き、隣のカナトを見た。
カナトは迷いなく言う。
「俺も行くよ。エフィナが行くなら、危険があっても全部一緒に越える」
ユナやエルネストは後方で見守っているが、その視線には強い信頼が宿っていた。
そして、今回のもう一人の重要人物
「対戦相手は、もちろん私だ」
落ち着いた声で言ったのはヴォルツ。
彼は腕を組み、冷たい笑みを浮かべる。
「共存継承戦……面白い。だが、虚鳴峡の者たちは容赦なく私を“魔王候補”として扱うだろう。君たちと違い、彼らは私に勝つ気などない。むしろ、この混乱に乗じて私を利用しようとする」
彼はゆっくりとエフィナへ歩み寄る。
「さあ、どうする?共存を掲げる君たちが、私の存在によってこじれるこの状況……乗り越えられるのか?」
エフィナは一歩も退かず、ヴォルツをまっすぐに見返した。
「乗り越えるわ。必ず。あなたが何を企んでいようと」
ヴォルツの目がわずかに細くなる。
「ほう……楽しみにしておこう。」
説明が終わり、候補者たちが立ち去っていく。
エフィナは地図を抱え、廊下で息を吐いた。
「行くんだね」
カナトが隣に立つ。
エフィナは小さく頷いた。
「虚鳴峡……ただの仲裁じゃ済まない。誰かが、影からまた動いてくるかもしれない」
「でも、逃げないよ。俺も」
カナトは拳を握る。
「絶対に、全部守るから」
エフィナはその言葉に心強さを覚え、前を向いた。
「行こう、カナト。共存継承戦……今までで一番難しい戦いになる」
二人の足音が、虚鳴峡へと続く運命を静かに刻み始めた。




