第92話:揺れ動く継承戦
統治継承戦を終え自室に籠っていたシェーヴァに何者かが襲撃してきた。
フードの奥から現れた“その顔”を見た瞬間、シェーヴァの呼吸が一度止まった。
驚愕
だがそれは一瞬で、すぐに別の感情へと変わっていく。
(……そういうこと、か)
記憶を失う前のエフィナが、なぜ遅れを取ったのか。
力を奪われた理由。
そして、襲撃者が“奪わざるを得なかった”背景。
点と点が、一つの線になっていく。
シェーヴァの内側で、静かに全てが結びついた。
「……お前が、エフィナを……」
呟きはほとんど息に近かった。
襲撃者は何も言わず、ただ無表情のまま彼女を見下ろす。
胸の奥の痛みは深く、呼吸をするたびに身体が軋んだ。
止めきれない温かさが衣服の内側へ広がり、立っているだけでも意識が揺らぐ。
(このままでは……まずい)
簡易の治癒術くらいならできる。
だが、襲撃者はそれを見透かしたように、じっとシェーヴァの手元を牽制していた。
その視線が……
ほんの一瞬、部屋の外へとそれた。
(今しかない)
シェーヴァは床を蹴り、襲撃者の身体を強引に押しのける。
痛みが走ったが、かまってはいられない。
扉まで、あと数歩。
あと少しで助けを呼べる。
その瞬間、背後で気配が動いた。
振り返る余裕などなかった。
ただ、背に鋭い衝撃が連続して叩きつけられ、身体が制御を失う。
視界が揺れ、床が迫る。
(……くっ)
頬に冷たい石床の感触。
呼吸がうまくできない。
意識がじわりと暗く染まっていく。
背後から、足音。
ゆっくり、迷いなく。
シェーヴァは必死に顔を上げ、襲撃者を睨みつけた。
「……ふふ……」
苦しいはずなのに、なぜか笑みがこぼれた。
「我が名に賭けて宣言してやる。お前の計画は……絶対にうまくいかない」
声はかすれていた。
それでも、意志だけは揺らがない。
「エフィナと……あの子の仲間たちが……お前みたいな小物の浅い企み……必ず壊す」
襲撃者の表情は読めない。
ただ、無言のままそこに立ち尽くしている。
シェーヴァは、最後の力でその顔を見上げた。
「……覚悟しておくんだな」
静かな笑みを残し、そのまま視界は暗く、音も遠ざかり、シェーヴァの意識は、深い闇へと落ちていった。
シェーヴァ襲撃事件は翌朝には魔界全土に瞬く間に広がった。
【暗殺女王シェーヴァ・ネリス、襲撃される】
信じがたい報せは瞬く間に全領域へ駆け巡り、混乱は期待以上の速さで膨れ上がっていった。
シェーヴァの部下たちは、女王の部屋に残されたわずかな痕跡を見ただけで悟った。
シェーヴァほどの手だれが、あれほどの傷を負うはずがない。
怒りと恐怖と焦りが混ざり、その矛先は次第に“他の魔王候補”へ向き始める。
「シェーヴァ様が遅れを取るような相手など候補者の他にいない」
「あるいは、その取り巻きかもしれない」
「シェーヴァ様を排除して有利に立とうとした……!」
鋭い視線が、エフィナたちへも向けられる。
中には武器に手を伸ばす者さえいた。
だが……
「やめろ。エフィナ殿とその仲間は違う」
静かだが切れ味のある声が響き、場の空気が一気に張り詰める。
シェーヴァが絶対的に信頼していた腹心の女。
主を守るため、いつも影のように寄り添っていた人物だ。
「シェーヴァ様は、あの子たちを襲うような真似は絶対にしない。そして、あの子たちも同じ。疑うだけ無駄だ」
その言葉は重さを持ち、暗殺者たちの動きを止めた。
完全に疑いが消えたわけではない。
だが、腹心の言葉は“境界線”として機能した。
魔王城の玉座の間には、候補者たちと、記録官たち。
そして継承戦の見届け人であるジルヴァが集まり候補者たちとジルヴァは用意された円卓の机につく。
空気は重く、誰もが口を開こうとしない。
最初に沈黙を破ったのは、ジルヴァだった。
「……結論から言う。継承戦は継続する。シェーヴァ・ネリスは次の継承戦までに復帰ができなければ脱落とみなす。この程度の襲撃で終わる様なら最初から魔王の器ではなかったということだ」
室内がざわりと揺れた。
だが、その判断を覆す者はいなかった。
シェーヴァが抜けることへの痛手。
犯人不在による不安。
それらを抱えたまま、継承戦は続く。
話し合いが一区切りついた頃。
エフィナは勇気を振り絞ってジルヴァに近づいた。
袖をつまみ、少し俯きながら問いかける。
「……シェーヴァは、今……どうなってるの?」
ジルヴァは一瞬、言葉を選ぶように目を閉じた。
そして静かに答える。
「……生死の境をさまよっている。今は眠り続けていて、目覚める兆しはない」
ジルヴァはエフィナの元腹心だったが、今は魔王継承戦の見届け人という立場であるため公平を喫し全員と同じ口調で話す。
エフィナの瞳が大きく揺れた。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「あたしの治癒時魔術なら……!!シェーヴァのところに案内して」
震える声で懇願するエフィナに、ジルヴァは心苦しげに首を横に振った。
「……無理だ、エフィナ。シェーヴァの傷には“何かしらの呪い”が絡んでいる。普通の治癒は……効かない」
「……え……?」
エフィナの表情から血の気が引いていく。
治せると思っていた。
自分でも役に立てると思っていた。
「そんな……どうして……っ」
声は震え、視界が滲む。
胸の奥に、押さえきれない焦りと罪悪感が広がった。
ジルヴァは静かに続ける。
「もう治癒魔術は試した。治癒魔術を当てれば当てるほど逆効果だ。何かが、それを“拒んで”いる。下手をすれば、シェーヴァの命を縮めかねない」
エフィナは唇を噛み、小さな肩が震えた。
「……あたし……何もできないの……?」
その呟きは、誰に向けたものでもなくただ、ぽつりと零れ落ちた。
手を握りしめるエフィナの指は冷たく、その瞳には無力感が色濃く宿っていた。
静まり返った玉座の間に、怒号が最初に響いた。
ダルガンの拳が机を叩き、重い音が空間を震わせる。
「あんな卑劣な真似しやがって……!正々堂々やれねぇのかよ、襲撃者は!」
その怒気は本物で、演技ではなかった。
だがその隣でヴォルツが、いつもの歪んだ笑みを浮かべ肩をすくめる。
「ほぉ。そんなに怒るなんて珍しいな、ダルガン。……もしかして“犯人が自分だ”って疑われて焦っているのか?」
挑発は軽く、しかし刺すように鋭い。
途端にダルガンの殺気が跳ね上がり、椅子が大きく軋んだ。
「はぁ?テメェこそやりかねぇだろうが。背後からの不意打ちなんざ、お前の得意分野だろ!」
二人の間に立ち込める空気が、明確な衝突の気配に変わる。
椅子から立ち上がったダルガンの肩の筋肉が盛り上がり、拳が再び握られたその瞬間。
「そこまでだ」
ジルヴァの静かな声が響いた。
力強さはない。だが、凍らせるような厳しさがあった。
「今ここで争うなら、両名とも即座に失格とする」
一瞬、空気が張りつめる。
ジルヴァは、力だけなら候補者全員に及ばない。
しかし、今この場で最も危険なのは「継承戦の崩壊」であり、それを最も避けねばならないのは候補者側だ。
それを理解しているがゆえの宣告だった。
ダルガンはジルヴァを睨みつけ、数歩詰め寄ろうとする。
「弱ぇくせに威張りやがって……やれるもんなら……」
「やめて、ダルガン」
エフィナは後ろからダルガンの腰に手を回し食い止めた。
強い力ではない。だが、衝動を止めるには十分だった。
エフィナと目が合った瞬間、ダルガンの表情から荒ぶった気配がすっと引いていく。
深く息を吐き、舌打ちをして後方に下がった。
「……ちっ。分かったよ」
そのやり取りを、座ったままルシエルは無関心に眺めていた。
腕を組み、視線はどこか遠く。
シェーヴァ襲撃の混乱すら、自分には関係がないと言わんばかりの静けさ。
それを見たヴォルツの視線が、今度はにじり寄るようにルシエルへ移った。
「……そういえば“冷静すぎる”奴が一番怪しいですなあ?ルシエル。君じゃないのか?」
疑惑は次々に乗り換え、揺さぶるためだけに動いている。
「ヴォルツ。これ以上場を乱すようなら、貴様だけ失格にする」
ジルヴァの言葉が追撃の刃となった。
ヴォルツの目がわずかに細くなる。
しかし、さすがにこれ以上は悪手だと判断したのか、肩を竦めて両手を挙げた。
「はいはい、分かったよ。黙ればいいんでしょ」
ルシエルはヴォルツの言葉に微動だにせず、完全に無関心を貫いていた。
疑われたことすら、蚊に刺された程度の反応すらない。
玉座の間には、重苦しい沈黙だけが落ちる。
“誰がやったのか”という疑念だけが、全員の胸に渦巻きながら。




