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第91話:受け継がれる意志

歓声と拍手が広場に満ちる中、シェーヴァはエフィナを一瞥だけ見た。


その瞳には、敗者の屈辱も、勝者への嫉妬もない。


あるのは戦士が戦士を認めたときの静かな敬意。


ただそれだけ。


そしてシェーヴァは、何も言わず踵を返し、部下を従えてその場を離れた。


だが去り際、部下の一人に静かに指示を出す。


「……これを、渡しておきなさい。要らぬと言われても、置いてきなさい」


数刻後、集落の代表者の手に“集落三日間統治記録” と題された厚い羊皮紙が届けられた。


開いてみると、水源の位置情報、崩れかけた家屋の修繕優先度、住民間の衝突箇所、物資の流通経路の改善案など、

シェーヴァがこの三日間で集め、分析し、未来へ向けて作り上げた資料が緻密に記されていた。


代表者は息を呑む。


「……まったく、あんなやり方の女だと思っていたが……とんでもないな」


悔しさではない。


胸の奥がじんと熱くなるような、素直な感嘆だった。


一方、勝者となったエフィナとユナは、記録官にもう少しここに留まっていいか聞き、次の継承戦にまで間に合えば自由にしてもよいと許可をもらい集落にもうしばらく残っていた。


畑を見渡しながらエフィナが言う。


「ここ、土は硬いけど……まだ、いけるよ。ちゃんと眠らせてあげれば、きっと育ってくれる」


「眠らせる……って、どうやるんだ?」


「固い土を、こうやって少しずつ……ほぐすの」


しゃがみ込み、手で土を握りしめる。


ぱさぱさだった土を、ゆっくり、じっくりと砕き、空気を含ませる。


ユナは住民たちを集め、酒場で培った経験を生かしながら料理のコツを教える。


「昨日出したスープね。あれ、ほとんど捨てる予定だった材料から作ってるの。骨はじっくり煮れば出汁になるし、皮は炒めれば旨みが出る。何もないようで、案外あるもんなのよ」


住民たちは目を丸くしていた。


「こんなやり方、教わったことなかった……」


「料理って、工夫なんだな……」


エフィナも、ユナも、住民たちと一緒に笑い合い、泥をいじり、野菜を刻んだ。


いつの間にか、そこには継承戦でも支配でもなく、ただの“交流”が生まれていた。


太陽が傾きはじめ、影が長く伸びたころ。


エフィナは名残惜しそうに手を払って立ち上がる。


「……うん。できることは全部、教えたと思う。あとは、みんなで頑張ってみてね」


その声には、別れの寂しさと、未来への期待の両方が混ざっていた。


ユナも笑いながら言う。


「私、人間だからまた来いって言われても困るけど、うまくいったら“自慢しに来て”よ。ね?」


住民たちから、少し照れた笑い声がこぼれた。


そこへ、集落の代表者が歩み出てきた。


深いため息をつくでも、苦虫をかみつぶすでもなく、静かに、真っ直ぐに二人を見つめる。


そして地面につくほど腰を折って深々と頭を下げた。


「……すまなかった。お前たちに、どれだけ酷い言葉を浴びせたか……。それでも諦めずに向き合ってくれたこと、心から感謝する」


エフィナが慌てて手を振る。


「そんな、頭なんて上げて!」


だが代表者は顔を上げ、目に僅かな潤みを浮かべながら言った。


「今度こそ……この集落を、“全員で”良くしていく。お前たちが示した道を、無駄にはしない。本当に……ありがとう」


その言葉に、エフィナもユナも胸がいっぱいになった。


ユナが小さくエフィナの手を握る。


エフィナは涙の滲む笑顔でうなずき返す。


荷物を肩にかけ、二人は歩き出す。


住民たちが次々に手を振り、声を張り上げる。


「ありがとう、エフィナ!」


「ユナ、絶対にまた料理教えてくれ!」


「ヨーグのこと、忘れないでね!」


エフィナとユナは、並んでいつまでも何度も振り返って手を振った。


夕陽のオレンジに照らされたその姿は、どこか誇らしく、そして少し寂しげで確かに“新たな未来への一歩”だった。


シェーヴァは、統治継承戦の舞台となった集落から戻ると、部下たちに短く指示を出した。


「今日は……一人にさせてくれ」


普段なら決して弱みを見せぬ女王の声音に、部下たちは静かに頭を下げる。


彼女は継承戦参加者に与えられる専用の自室へと入り、扉を閉めた。


最初は、ただ椅子に腰を下ろしただけだった。


負けた。


統治継承戦の最後、エフィナに向けて拍手を送った時、シェーヴァの心は確かに澄んでいた。


友の成長を喜び、敗北も受け入れた、はずだった。


しかし静寂の中で思考が動き出すと、胸の奥から、抑えていた感情が音を立てて溢れてきた。


「……私だって、もっとできた」


机に置いた手がわずかに震える。


あの場でああすれば。


違う言葉を選んでいれば。


もっと本気で、格好を捨てて訴えれば……。


細い指が眉間を押さえ、呼吸が乱れる。


「ふぅ……っ」


女王と呼ばれる彼女にも、悔し涙をこらえる夜はある。


しばらく、シェーヴァはその感情をただ受け止めた。


そして長い吐息とともに、少しずつ、いつもの冷静さが戻ってくる。


「負けは負け……終わったことだ。次に備えるだけ。魔界の王になるのは私だ」


背筋を伸ばし、凛とした表情を取り戻す。


立ち上がって振り返った、その瞬間だった。


部屋の空気が違っていた。


ほんのわずかな違和感。


だが、暗殺者である彼女にとっては致命的な警鐘。


「何者だ?」


シェーヴァの問いに答える声はない。


代わりに、部屋の奥の影が揺れ、黒いフードの人物が一歩、静かに踏み出した。


その無音の気配に、シェーヴァの目が細まる。


(いつ入った……? 気づけなかった? 私が?)


疑問が形になるより早く、影が一瞬で間合いを詰めた。


光が閃いた。


シェーヴァが身をひねるのは本能だった。


決して遅れてはいなかった。


だが、完全には避けきれなかった。


胸の奥に、刺すような衝撃が走る。


息が止まるような痛み。


それでも致命ではない。


(浅い……が……!)


自分がわずかに動いた分、攻撃は深く入らなかった。


その判断だけは、冷静だった。


襲撃者の手首を掴み、シェーヴァはフードを払う。


黒布がふわりと落ち、顔が露わになった。


次の瞬間、彼女の瞳が大きく揺らぐ。


「お前は……?」


声が震えた。


女王が、普段決して見せない弱さをその目に宿す。


そこにいたのは、“見知った人物”だった。


シェーヴァは、痛みも忘れ、ただその顔を見つめる。


「……何故、お前が……?」


自室の静けさが、急に冷たく歪む。


エフィナの“力を奪った何者か”がついに動き出したその最初の標的が、彼女だった。

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