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第90話:統治継承戦・決着

エフィナの言葉と住民のざわめきが広場に満ちる中、シェーヴァはただ、腕を組んで立っていた。


瞳は細く、まるで遠くの煙を見ているかのように静かだった。


その横では、長年つき従ってきた部下のひとりが焦りの色を隠しきれず、そっと耳元に身を寄せる。


「シェーヴァ様……このままでは……」


部下の声は震えていた。


彼女の側近として、シェーヴァの勝利を信じて疑わなかった男である。


「住民たちの意識が……エフィナ側に傾いていきます。何か……何か言葉を発したほうが……!」


必死の訴えだった。


それは“忠誠”からくる焦りであり、同時に“恐れ”でもあった。


シェーヴァはゆっくりと視線だけを動かし、部下を見る。


「……だめだ」


その声は冷たくはなかった。


むしろ、深い水底のように静かで澄んでいた。


部下は思わず息を呑む。


「ここで私が言葉を重ねれば、それこそ致命傷になる」


「し、しかし……」


シェーヴァは目を伏せ、わずかに眉を寄せる。


それは彼女にしては大きな揺れだった。


「私がいま口を出せば、これまで積み上げてきた“私の統治”のやり方を否定することになる」


言葉は静かだが、ひとつひとつが重い。


「それはつまり、私を信じて動いてくれたお前達部下を否定することになる」


部下がはっと目を見開く。


「この継承戦、私はお前たちの力を借りてここまで来た。お前たちの忠義と努力に支えられてきた。いま私が方向を変えれば、それを裏切ることになる」


部下の喉が震え、声が出なかった。


さらにシェーヴァは、視線をエフィナとユナへ向けて続けた。


「そして……私がここで無理に何か言えば、自分のやり方を認めてくれたエフィナにも無礼になる」


エフィナは遠くで不安そうに佇んでいる。


だが彼女はシェーヴァに対し、敵でありながら尊敬の念を示した。


「ユナという者も、あの子を支えながら、私の統治方法も理解した上で行動している。相手の流儀を尊重してくれる者を……私が踏みにじるわけにはいかない」


「そして……私を支持してくれている住民たちが、現状どれほどいるかはわからない。だけど、その者らは『私のやり方』を見て評価してくれたのだ」


横顔は静かで、誇り高かった。


「だから私は……このやり方を貫く。最後まで」


部下の表情が揺らぎ、やがて静かにうなずく。


それは敗北への覚悟ではない。


“主の誇りを守る”という覚悟だった。


シェーヴァは両手を後ろに組み、天を一度だけ見上げる。


曇りかけた空を背に、その姿は揺らがなかった。


「結果がどうであれ……最後まで見届けるのが、支配者の覚悟よ」


その言葉とともに、彼女は静かに、沈黙のまま広場を見渡す。


評判がどう揺れようと、支持がどう傾こうとシェーヴァはただ、己の信念のままに“黙して見守る”という最強の選択を選んだのだった。


夕暮れが広場を橙に染める。


全員、真剣に考え最後の最後までどちらに投票するか迷い、時間がかかった。


住民による投票は、記録官の魔術装置によって集計され、浮かび上がる二つの数字に、場は息を飲んだ。


エフィナ:131票

シェーヴァ:128票


わずか3票差。


集落全体に、驚愕とどよめきが広がる。


エフィナは一瞬、自分が何を見ているのか理解できず、目を瞬いた。


次の瞬間、隣のユナが弾かれたようにエフィナの手をつかむ。


「エフィ!勝ったよ、勝った……!!」


「えっ……あっ……うそ……ほんと、に?」


震える声でつぶやいたエフィナに、ユナがぎゅっと抱きつく。


「ほんとに!私たちの勝ち!!」


エフィナもついに笑顔を弾けさせ、二人は手を取りあって飛び跳ねるように喜び合った。


広場のあちこちから、自然と拍手がこぼれはじめる。


その様子を、対角線の位置からじっと見ていたシェーヴァは、ほんの短く息を吐いた。


敗北。


だが悔しさよりも、胸の奥には清々しい風が吹き抜けていた。


「100%勝てると豪語しておいてこのザマなんてね……」


喜びあってるエフィナとユナを優しい眼差しで見るシェーヴァ。


「だけど……あれほどまでに、まっすぐに向き合うとはね。まったく……手を焼かせるわ」


小さく笑い、気高く背筋を伸ばしたまま、手を叩いた。


パチ……パチ……パチ……


その音は最初こそ控えめだったが、次第に力強い賛辞の拍手へと変わっていく。


シェーヴァの側近たちは、敗北の数字を見た瞬間、堪えきれず涙をこぼしていた。


「くっ……あと三票……っ」


「申し訳……ありません……!」


だがシェーヴァは首を横に振った。


「いいのよ。あなたたちは、私の誇りだわ」


その一言で、部下たちは涙を流しながらも、まっすぐにエフィナを見つめた。


そして、悔しさの中にある敬意を込めて拍手を送る。


エフィナの手に残る土、ヨーグの笑顔、ユナの差し出した料理の温かさ。


それらを思い返しながら、住民たちは次々に手を叩いた。


最初は戸惑いも混じっていたが、やがて力強く、はっきりとした拍手へ。


「……ありがとう、エフィナ」


「昨日の酒場、忘れないよ」


「水路、絶対なんとかするよ」


そんな声も聞こえてくる。


ヨーグは満面の笑みで、誰よりも大きな拍手をしていた。


遠く離れた継承戦会場から映像を通して見守っていたカナト、エルネスト、そして他の候補者たち。


エフィナが勝利した瞬間、カナトが両拳を握って叫んだ。


「やった……!エフィナ、本当にやりきった……!」


カナトは、二人の努力をすべて見てきたからこそ込み上げるものがあった。


エルネストは静かにうなずき、その瞳はどこか誇らしげだった。


「……見事だ、エフィナ」


他の継承候補たちも、誰ひとり不満なく、純粋な評価として拍手を送る。


最後に、広場の中心へ歩み出てきたのは蒼陽連邦の王ジルヴァ。


記録官も横に控えている。


拍手が静まるのを待ち、ジルヴァは堂々と口を開いた。


「統治継承戦……勝者、エフィナ・ルア・ファルミナス」


その声は、祝福と敬意を兼ね備えた重く響く声だった。


続けて記録官が羊皮紙を広げ、総評を読み上げる。


「シェーヴァ・ネリス様は、短時間で秩序を構築し、実効性と統率力において比類なき才能を示しました。魔界の支配構造を即座に整える手腕、これは誰もが認めるところであります」


「エフィナ・ルア・ファルミナス様は、一人ひとりの生活と心に寄り添い、“自分で考え、自分で歩く住民”へと導いた点が高く評価されました。支配ではなく、自立を促す統治。これもまた、魔界を導くにふさわしい資質と判断されます」


ジルヴァがゆっくりとうなずき、言葉を継ぐ。


「統治とは、力の行使ではない。心と心をつなぐ術だ。シェーヴァ様、あなたの秩序は力強く、揺るがぬ柱となる行いだった。エフィナ様、あなたの行いは弱き灯火を守り、育てる優しい風だった。これからの魔界に必要なのは、どちらか一方ではなく、二つの在り方そのものだ」


広場全体が静まり返る。


ジルヴァは両手を広げ、宣言した。


「統治継承戦……勝者、エフィナ・ルア・ファルミナス。しかし敗者なし。双方の功績は魔界の未来に刻まれる」


その瞬間、広場は大きな歓声と拍手に包まれた。


エフィナは胸に手を当て、涙ぐみながら頭を下げた。


ユナは横で泣き笑いしながらエフィナの肩を抱く。


そしてシェーヴァもまた、まるで自分の勝利であるかのように誇り高く、それを受け止めていた。

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