第9話:仲間を救えなかった夜
祭りの翌日
夜の酒場は、前日の祭りの疲れがまだ残っているのか普段より静かだった。
俺とユナとエフィナ、それに数人の冒険者がカウンターに並び、ガルドの背中を見つめていた。
「なぁ、ガルドさん。あんたみたいに腕っぷしがあったら、負け知らずだったんだろ?」
若い冒険者が酒の勢いで口を滑らせる。
ガルドは短く笑った。
「……負け知らず、ね」
その笑みは一瞬で消え、重たい沈黙が落ちた。
「違うの?」
エフィナは首を傾げ尋ねた。その問いにガルドさんはエフィナに優しく微笑み、頭にポンと手を置いた。
「昔な……仲間をひとり、守れなかったことがある」
低く、かすれる声に俺を含め全員が静まり返った。
その言葉だけが酒場全体にじわりと広がった。
ー回想ー
陽の傾き始めた街外れ。
冒険の合間に立ち寄った小さな酒場の前で、三人は並んで腰を下ろしていた。
「なぁガルドさん、やっぱ肉は焼きが一番だと思うんですよ」
若き槍使い、リオンは串を片手に、豪快にかぶりつく。
その口の端から汁が垂れ、慌てて手の甲で拭った。
「ほんとにもう……」
僧侶のミリアは呆れながらも笑みを浮かべ、布切れを差し出す。
「子供じゃないんだから、少しは行儀よく食べなさい」
「行儀なんて強さには関係ありませんよ!」
リオンは胸を張る。
だが次の瞬間、むせて咳き込み、ミリアが肩を叩いてやると、ガルドが低く笑った。
「ほら見ろ。行儀も呼吸も乱れてるぞ」
「うるさいですよ!ガルドさんは口数少ないくせに、こういう時だけ饒舌ですね!」
陽気な声が響き、三人の影が石畳の上に長く伸びていく。
ガルドはその光景を、ただ黙って見ていた。
からかい合う二人が、あまりにも自然で、あまりにも平和に見えたから。
ガルドはいつまでもこの三人で旅を続けたいと思っていた。
あの日々は、何でもない日常だった。
だからこそ今も、心の奥に焼き付いて離れない。
だが別れは唐突に訪れた……。
忘れない、あの森の匂い。血と鉄の味。
狼型の魔物に囲まれ、仲間の叫びが飛び交っていた。
「下がれ、リオン!」
ガルドの声は切り裂くように響いた。
だがリオンは止まらなかった。
「大丈夫です!俺が前を抑えます!」
「ダメよ。ガルドの言う事を聞いて」
ミリアは制止をしたが、リオンは言う事を聞かず突っ込んでいった。
「大丈夫っすよミリアさん!!俺も出来ることを証明したいんです」
その笑みは頼もしく見えたが、無謀な光を宿していた。
リオンは狼型の魔物を次々と薙ぎ倒していく。
「どうっすか!?俺だってもうこれくらいの魔物なら……ッ!!」
同種の狼型の魔物がリオンの背後から複数飛び出してきて、リオンに襲いかかった。
すぐさまリオンは振り返り迎撃体勢に入ったが一歩遅かった。
群れの影が、彼を呑み込む。槍が落ち、赤が散った。
「リオオォォオン!!」
ガルドは狼型の魔物を一掃してリオンに近づいた。
「リオン!!」
ミリアは光魔法で残りの魔物を浄化した。
ガルドとミリアが追いついた時、リオンの体は深く裂かれていた。
「……すみません、俺……」
荒い息の中で、彼は微かに笑った。
「喋るな!!今ポーションを!!」
ガルドはリオンの口に無理矢理ポーションを流し込んだ。
「もっと……強くなって二人の役に立ちたかった……な」
「何言ってんだ……。こんくらいの傷どうって事ないだろ?さっさと治して次の依頼をこなすぞ」
ガルドは目に涙を溜め、リオンを抱き上げた。
「そう……っすね……次の……依頼……も、この……三人で……」
その言葉と共に、力は抜け、冷たさが広がっていく。
ガルドは声にならぬ声を上げた。
「いや……いやよ!」
背後で泣き崩れるミリアの声。
ミリアはガルドからリオンを引き離し、血に濡れた手を必死に押し当て、治癒の光を灯そうとする。
だがどれほど祈っても、その光はもう命をつなぎ止められなかった。
「どうして……どうしてもっと強く止めなかったの……」
涙に濡れた彼女の瞳は、ガルドを責めてはいなかった。ただ、痛みと悔しさが溢れていた。
ガルドは言葉を返せなかった。
黙ったまま再びリオンを抱き上げるガルド。腕の中で静かになるリオンの重みだけが、答えだった。
守れなかった。
ー現在ー
ガルドさんは目を伏せ、ただ深く息を吐いた。
「あの夜の記憶は、今も鮮明に覚えてる。敵はただの魔物だった。数も、そこまでじゃなかった。……だが俺達は油断した」
握られた拳の節が白く浮き上がる。
「……その夜、俺は仲間の叫びを、最後まで聞いた」
誰も口を開かなかった。ただ杯を置く音と、遠くで鳴く虫の声だけが響く。
ガルドさんは再び杯をあおり、視線を遠くへ向けた。
「それからだ。俺は“守れる時に守る、守れぬ時は背負い込まない”。そう決めた。無謀を繰り返すのは、勇気でもなんでもねぇ。ただの愚か者だ。その後は残りの仲間ともギクシャクしちまって別れた」
それ以上は語らなかった。仲間の名も、顔も、決して口にしない。
その沈黙こそが、彼の傷の深さを物語っていた。
ユナは、膝の上でぎゅっと手を握りしめていた。
普段なら茶化す彼女が、今はただ黙って俯いている。俺は、言葉を探したが見つからなかった。
ただ「この背中の重さを、俺もいつか知るのだろうか」と胸の奥で思った。
重い語りのあとも、酒場には静けさが流れていた。
だがそれは暗さではなく、ひとりの戦士の生き様を受け止めた者達が共有する、静かな敬意だった。




