第86話:開店
簡素だが無駄のない天幕の中。
低い机を挟み、数名の部下が跪いていた。
「報告を」
シェーヴァの声は静かで、抑揚がない。
部下の一人が口を開く。
「エフィナ殿は、子供と接触を続けています。集落の一角で……雑談や簡単な手伝いを」
「反発は?」
「表立ったものは。ただ、一部の者に注目は集まり始めています」
シェーヴァは一瞬だけ目を伏せた。
考え込む様子はない。
「……そう」
それだけだった。
部下が戸惑いながら続ける。
「対抗策を!!」
「不要だ」
きっぱりと言い切る。
「私は、私の勝ち筋を踏み外さない」
立ち上がり、外を一瞥する。
集落には、既に彼女の命令で整えられた秩序がある。
多少の不満はあれど、混乱はなかった。
「人は、不安より安定を選ぶ」
淡々とした声。
「感情は揺れる。だが、生活は裏切らない」
振り返り、部下に命じる。
「予定通り進めなさい。配給の遅延は許さない。規則違反には、例外なく処罰を」
部下たちは一斉に頷く。
シェーヴァは、エフィナの方角をもう一度だけ見た。
(……来るなら来なさい。私は”秩序”で全てを掌握し、エフィナあなたを否定する)
(私は、揺れない)
そう、心の中で呟きながら。
一方、その頃。
ユナは、集落の中をゆっくりと歩いていた。
武器も、威圧もない。
あるのは、いつもの柔らかな笑顔だけ。
「こんにちは~。今日はお鍋、火が通りにくくないです?」
声をかけられた年配の女性が、最初は怪訝そうにユナを見る。
「……何の用だい」
「うん、ちょっとお願いがあって」
ユナは一歩引いた距離で、手を胸の前で合わせる。
「シェーヴァの配給とは別でね、もし余裕があったらでいいんだけど」
「余裕なんて……」
「うん、分かってる」
即座に頷く。
「だから、ほんとに無理のない範囲で。皮だけ残ってる芋とか、少し古くなった豆とかでいいの」
相手の表情が、わずかに変わる。
「……それで?」
「みんなで、一緒に食べる用に使いたいの」
「一緒に?」
「そう。誰か一人が得するためじゃなくてね」
ユナは、ふっと微笑んだ。
「私、酒場育ちだからさ。食べ物があると、ちょっとだけ気持ちが和らぐの、知ってるんだ」
沈黙。
やがて、女性はため息をついた。
「……ほんの少しだよ」
「ありがとう!」
ユナは、深く頭を下げた。
連鎖する声
別の家。
また別の路地。
「お願いじゃなくてさ、相談なんだけど」
「余った骨、スープにできる?」
「これ、あなたが作ったの?いい匂いだね」
押しつけない。
急かさない。
断られても、笑顔で引き下がる。
それが、逆に人の心を緩めていく。
「……あんた、不思議な子だね。人間なのに。あたいらが怖くないのかい?」
「少なくともこの集落にいる人たちは怖くないかな?」
くすっと笑う。
「それに、ここに住んでる人たちの顔、ちゃんと見て、大丈夫だと思ったんだよね」
その言葉に、誰かが小さく頷いた。
この人間は自分たちを恐れないどころか人として見てくれてる。
秩序を築く者と、関係を編む者。
シェーヴァは、崩れない城を作っている。
エフィナとユナは、人の中に小さな火を灯している。
どちらが正しいかは、まだ誰にも分からない。
だが確かに集落の空気は、少しずつ変わり始めているのを住民達は感じ始めてる。
夕暮れが集落を包み込む頃。
空き地に、簡易的な机と長椅子が並べられた。
木箱をひっくり返しただけの台。
鍋は年季の入ったもの。
火は弱く、煙も多い。
けれどそこには、確かに「酒場の空気」があった。
「よし、これで最後っと!」
ユナが腰に手を当て、満足そうに頷く。
その隣で、エフィナが戸惑いながらエプロンを結んでいた。
「……本当に、これでいいの?」
「うん。いつも通りで。いやー、一応”戦闘服”持ってきといて良かったわ」
ユナはそう言って、自分も見慣れたエプロンに袖を通す。
それは、戦場に立つ者の装いではなく。
人を迎えるための服だった。
最初に現れたのは、子供たちだった。
「いい匂い……」
「これ、食べていいの?」
「もちろん!」
ユナはしゃがみ込み、目線を合わせる。
「熱いから、気をつけてね」
次第に、大人たちも足を止め始める。
「配給とは別なのか?」
「ええ。これは私たちからのもてなしだから配給とは別よ。だから食材が続く限り、食べ放題よ」
エフィナは最初、ぎこちなかった。
だが、皿を差し出されるたびに。
「……どうぞ」
「おかわり、あるよ」
声が、少しずつ柔らいでいき、村でやってた時のようになりいつもの調子を取り戻していく。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……酒がなくても、酒場だな」
「あの魔王候補の子、全然威張らないな。しかも笑顔が可愛い」
「いや、俺はあの人間の子の方がいいぜ。料理がうまい!!」
「この料理、廃棄予定のやつだけで作ってるみたいだぜ?」
「マジか!?」
「お嬢ちゃん。おかわりくれるか?」
その言葉に、ユナとエフィナは顔を見合わせ、笑った。
広がる温度
笑い声。
小さな会話。
誰かの昔話。
食べ物の量は多くない。
奇跡のような満腹もない。
それでも
「一緒に食べる」
それだけで、人の表情は変わった。
エフィナは気づく。
(……あ)
(これだ)
言葉にできなかった答えが、湯気の向こうに見えた。
離れた場所。
シェーヴァの部下が、苛立ちを隠さず報告する。
「集落の中央で、酒場まがいのことを……」
「人が集まっています。予想以上に」
シェーヴァは書類から目を離さない。
「……一時のことよ」
冷静な声。
「腹が満ちれば、散る。明日には、現実に戻る」
部下が食い下がる。
「ですが」
「秩序は、日々積み上げるもの」
ペンを置き、顔を上げる。
「感情は、夜に燃える。理は、朝に残る」
視線は、一度も酒場の方へ向かなかった。
仮設の酒場には、灯りが揺れている。
規則はない。
命令もない。
あるのは、「また来てもいいかもしれない」という気持ち。
シェーヴァの陣営には、整然とした静寂がある。
不安も、混乱もない。
だが温度も、ない。
この夜が、ただの一夜」で終わるのか。
それとも何かを残すのか。
まだ、誰にも分からない。




