第85話:笑顔
エフィナ、シェーヴァの統治継承戦は折り返しを迎えていた。
その様子をこの継承戦を取り仕切る蒼陽連邦の王ジルヴァと記録官達、カナト達や他の候補者は別の場所で映像越しに静かに見守っていた。
カナトは、じっと映像を見つめていた。
映し出されているのは、荒れ果てた集落と、そこを歩く二つの陣営。
シェーヴァ陣営は、すでに秩序を作っている。
武装した部下が巡回し、食料の分配表が掲げられ、人々は不満を抱えつつも、指示に従っている。
「……早いな」
思わず、声が漏れた。
隣に立つエルネストが、低く応じる。
「統治とは本来、こういうものだ」
「混乱を嫌い、恐怖を避けたい民は、“決めてくれる者”に縋る」
カナトは唇を噛む。
(じゃあ……)
(エフィナは?)
映像の視点が切り替わる。
そこには集落を一軒一軒歩き、拒絶され、立ち止まり、それでも去らないエフィナの姿があった。
(……何も、形になってない)
(このままじゃ……)
胸の奥に、不安が広がる。
エルネストは、感情を表に出さずに映像を見ていた。
(今の時点では)
(シェーヴァが優勢だ)
秩序。
速度。
統治者としての完成度。
どれも、エフィナを上回っている。
だが
(だが、それで“王”が決まるなら)
(魔界は、とうの昔に一つになっている)
エルネストの視線が、集落の外れで立ち止まるエフィナに留まる。
(彼女は、まだ答えを出していない)
(だが、答えを“探している”)
それは、力ある者には出来ない行為だった。
数名の記録官が、淡々と評価を書き連ねていく。
「シェーヴァ陣営」
「統治開始速度:非常に速い」
「集落の治安:安定傾向」
「支配方法:恐怖と合理性による管理」
別の記録官が続ける。
「エフィナ陣営」
「統治構造:未形成」
「集団掌握:失敗」
「だが……」
筆が止まる。
「個別接触数が異常に多い」
「特定個人との感情的接点が確認される」
「王としては未熟」
「だが、評価は保留」
記録官長が、小さく呟いた。
「“統治”ではなく……」
「“関係”を築こうとしているのか」
他の継承候補の反応
ダルガン陣営
ダルガンは、鼻で笑う。
「無駄だ」
「秩序も力も示せぬ者に、民は従わん」
「情など、腹が減れば捨てる」
その言葉には、確信があった。
ヴォルツ陣営
「……だが」
ヴォルツは、静かに目を細める。
「秩序は“守る者”がいなければ崩れる」
「シェーヴァのやり方は正しいが、民が“自ら守ろう”とはしていない」
ルシエル陣営
「まだ、終わっていない」
ルシエルは、映像の中のエフィナを見つめる。
「この段階で勝敗を決めるのは、愚かだ」
カナトは、ふと気づく。
集落の中で一人の子供が、エフィナを見ている。
ただ見ているだけ。
怯えも、期待も混じった目で。
(……あ)
胸の奥で、何かが繋がる。
(これだ)
(エフィナは……)
(“全体”じゃなくて、“一人”を見てる。それをエフィナが意識してるのかどうかは分からない)
それは、効率の真逆。
王としては、遠回り。
だが……
(王になる人は)
(最初から“王”じゃない)
(誰かにとっての“たった一人”から、始まる)
カナトは、静かに息を吐いた。
(まだ、分からない)
(でも……)
(この勝負、簡単には終わらない)
映像の中で、エフィナは子供の前に膝をつき、視線を同じ高さに合わせていた。
水路の修理をしているエフィナとヨーグを陰から見ている者がいた。
集落の代表者だ。
(……くだらない)
胸の内で、吐き捨てる。
(子供一人に取り入ったところで、何が変わる)
(どうせ、終われば……)
記憶が、勝手に蘇る。
「助けてやる」と言って現れた者たち。
「ここを守る」と約束し、消えた者たち。
物資だけを奪い、戦場の盾にして、最後は見捨てていった者たち。
(信じるな)
(優しさを見せる奴ほど、信用するな)
代表者は、そうやって生き残ってきた。
だからこそ、今、目の前の光景を認めてはいけなかった。
エフィナは、ヨーグと同じ目線で笑っていた。
命令も、約束も、何かを与えるでもない。
ただ、石を整然と並べる。
子供の拙い話に、真剣に耳を傾けている。
ヨーグが、声を上げて笑った。
代表者の喉が、かすかに鳴る。
(……やめろ)
(そういう顔を、させるな)
子供が、この集落であんなふうに笑ったのを見たのはいつぶりだろう。
(見せるな)
(期待を、持たせるな)
拳を、ぎゅっと握る。
(どうせ、あいつも同じだ)
(戦いが終われば、王が決まれば、この集落は……)
(また、置いていかれる)
そう、分かっている。
分かっているはずだった。
だがエフィナが、ヨーグの頭を軽く撫でる。
それは、労いでも、施しでもない。
「そこにいる」ことを、当たり前のように認める仕草だった。
代表者の胸が、ちくりと痛む。
(……分からない)
(何を、考えている)
(演技か? 本心か?)
今までなら、即座に切り捨てていた疑問。
だが、今日は答えが出ない。
「……やめろよ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
(信じるな)
(信じたら、また同じ目に遭う)
(俺たちは……)
(俺たちは、もう……)
視線を逸らそうとして、逸らせなかった。
ヨーグが、エフィナに何かを差し出している。
壊れた小さな飾り。
大切にしていたのだろう。
エフィナは、驚いた顔をして、それを受け取り、「ありがとう」と頭を下げた。
代表者の胸が、わずかに揺れる。
(……なんなんだ)
(どうして、そんなことをする)
(見返りもなく)
(約束もせず)
ただその場にいるだけで。
分からなくなる、という感情
代表者は、深く息を吸った。
(分からない)
(信用しちゃいけないのに)
(疑う理由は、いくらでもあるのに)
(なのに……)
目の前の光景が、過去の記憶より、ほんの少しだけ重くなり始めていた。
(……まだだ)
(まだ、決めるな)
そう自分に言い聞かせながら、代表者は、その場を離れなかった。
去ることも、声をかけることもせず。
ただ、分からなくなったまま立ち尽くしていた。




