第81話:統治継承戦
魔界の空は、どこまでも暗く、重かった。
瘴気に染まった雲の下、見捨てられた集落が、その中央にぽつりと横たわっている。
石も木も歪み、家と呼ぶにはあまりに頼りない建物が寄り集まった場所。
魔界の戦乱や派閥争いからこぼれ落ち、どこにも属せなくなった者たち。
力の弱い魔族、混血、罪を着せられ追放された者、王を信じられなくなった者。
「……ここが、舞台か」
エフィナは小さく息を呑んだ。
痛みと諦めが染みついた空気を、肌で感じ取っていた。
隣に立つユナは、ぎゅっと拳を握りしめる。
「……人間のスラムと、似てる」
そう呟いた声は、震えていない。
恐怖ではなく、覚悟の震えだった。
遠く離れた、戦闘継承戦が行われた闘技場。
巨大な魔導映像装置の前に、継承候補、随伴者たちが集まっている。
カナトは、思わず身を乗り出していた。
「ユナ……」
エルネストは腕を組み、静かに見つめる。
「……これは、戦いじゃない」
「王の資質を暴く儀式だ」
高台に設えられた石壇に、審問官が立つ。
蒼陽連邦の王ジルヴァと、数名の中立記録官が見守る中、声が響いた。
「これより、統治継承戦を開始する」
「出場候補者は二名」
「エフィナ・ルア・ファルミナス」
「シェーヴァ・ネリス」
名前が呼ばれるたび、集落のあちこちでざわめきが走る。
“王候補”という言葉への期待と、どうせ裏切られるという諦めが混じった視線。
審問官が続ける。
「舞台は、この集落全域」
「三日間の制限時間内に、より多くの人心を掴んだ者を勝者とする」
「手段は問わない」
一拍、間を置いて……
「殺しを除いて」
空気が、ぴんと張り詰めた。
「脅し、取引、施し、欺瞞、共感、説得」
「王として許容できると判断した行為は、すべて認められる」
「なお、勝敗は単なる人数ではない」
「集落の変化、意思の変容、未来への影響も含め、総合的に評価される」
それは、あまりにも残酷で、正直なルールだった。
エフィナは、ゆっくりとシェーヴァの方を向く。
黒衣の女王は、相変わらず感情の読めない表情をしていたが、その瞳の奥には、確かな熱がある。
「……負けないって言ったよね」
エフィナが、静かに言う。
シェーヴァは一瞬だけ口角を上げた。
「当然だ」
「この戦いは、私の得意分野だ」
エフィナも、小さく微笑む。
「でも……私も、負けない」
「ここにいる人たちを、数字や評価でしか見ない王にはさせない」
二人の視線が、正面からぶつかる。
それは敵意ではない。
互いの在り方を否定し合う覚悟だった。
審問官が、杖を地面に打ち付ける。
「では」
「統治継承戦、開始」
合図と同時に、結界が淡く輝き、二人は別々の方向へ歩き出した。
エフィナは、まず集落の中心へ。
シェーヴァは、路地裏と周縁部へ。
同じ目的、正反対の道。
映像越しに見守るカナトは、喉を鳴らす。
「……これ、どっちが正しいんだ?」
エルネストは答えない。
ただ、呟いた。
「どちらも、王の形だ」
荒れ果てた集落に、二つの“統治”が、今、踏み込んだ。
ここから先は、力ではなく、心が剥き出しになる戦いだった。
見捨てられた集落
集落の入り口に立った瞬間、空気が変わった。
言葉はない。
歓迎の声も、罵声もない。
ただ鋭く、値踏みするような視線だけが、二人に突き刺さる。
エフィナは無意識に背筋を伸ばした。
魔王候補としてではなく、一人の訪問者として。
ユナは一歩、エフィナの半歩前に出る。
その立ち位置は、自然だった。
「……思ったより、目が冷たいね」
小さく、ユナが呟く。
声には怯えも怒りもない。ただ事実を受け止める静けさだけがあった。
エフィナは頷く。
「憎まれてる、というより……諦めてる目だね」
それは、期待もしない目。
裏切られることすら想定しない目。
二人は言葉を交わさず、集落の中へと歩き出した。
壊れかけの家屋。
補修された跡と、途中で放り出された作業。
食糧を干す縄は古く、ところどころ切れている。
エフィナは立ち止まり、しゃがみ込んで土を指で掬った。
「……土地は、死んでない」
「うん。生きてる。でも、ここで“生きよう”としてる人の心が、折れかけてる」
ユナの視線は、人に向いていた。
腕を組んで壁にもたれる男。
子供を背に庇う女。
視線を逸らす老人。
誰も近寄ってこない。
だが、誰一人として二人から目を離してもいなかった。
ユナは、ふっと力を抜いた笑みを浮かべる。
「ねえ、エフィナ。ここ、酒場があったら絶対流行らないよ」
「……うん?」
「話す前に、心が閉じてる。まず“聞いてもいい”って思わせないと、何も始まらない」
ユナは歩きながら、さりげなく集落の一人一人を見る。
目線、呼吸、足の向き。
誰が中心で、誰が孤立しているか。
“情報”ではなく、“感情”を読み取っていた。
その頃。
集落から少し離れた高台で、シェーヴァは立っていた。
黒衣の背後には、数名の部下。
既に三方向へ散っている。
「食糧の流通経路。指導的立場にいる者。不満分子と、従順な者の割合」
淡々と指示を出す声に、感情はない。
「噂話は不要。事実だけを持ち帰りなさい」
部下たちは頷き、影のように集落へ溶け込んでいく。
シェーヴァは動かない。
自ら足を運ぶこともしない。
代わりに、情報が集まってくる。
「……効率は悪くない」
小さく独白する。
人を“使う”ことに、迷いはなかった。
それは支配でも侮蔑でもない。
統治とは、全体を把握すること。
そのために、自分一人で見る必要はない。
それが、彼女の答えだった。
同じ時刻、同じ集落。
エフィナは、子供の壊れた玩具を直していた。
ユナは、少し離れた場所で、腕を組む男と何気ない世間話をしている。
誰も「王」を見ていない。
誰も「候補者」を見ていない。
だが一方は、人の数だけ視線を持ち、一方は、自分の目だけで見ている
同じ統治継承戦の舞台で、全く異なる“王の在り方”が、静かに動き出していた。




