第79話:王の器
圧倒的な力で翻弄していたエフィナ、エルネストはエフィナの判断で勝負を降りた。
その判断に全員がしばらく理解できなかった。
ダルガンは、しばらくエフィナを睨んでいた。
やがて、鼻で笑う。
「……甘い」
「だが」
拳を、緩める。
「その甘さで、ここまで来たってことか。反吐が出るぜ。だがこれで魔王になれるなら遠慮なく勝ち星をいただくぜ」
炎が、消える。
ダルガンは拳を高らかに上げる。
「この一戦は俺達の勝ちだ」
「だが覚えておけ」
「そんなやり方ではこの先通じない。この継承戦を続けていけば、嫌でも理解するだろう。魔界の深淵、業を」
蒼陽連邦の王ジルヴァが立ち上がる。
「戦闘継承戦第一戦、終了」
「勝者、ダルガン・ザ・ブレイズロード陣営」
闘場に、拍手はない。
ただ深い余韻だけが残った。
闘場を離れた通路。
結界の外に出た瞬間、ダルガンは壁に背を預けた。
炎は、もう出ていない。
「……ちっ」
吐き捨てるように息を吐く。
(負けてねえ)
(だが勝った気もしねえ)
何度も死にかけた。
恐怖も、屈辱も、確かに刻まれた。
それでも、最後に残ったのは奪われなかった、という感覚。
「力で潰すこともできたはずだ」
「あいつは、そうしなかった」
拳を見つめる。
「俺達の野心を、折らずに認めた……」
「だから、負けを選んだ」
鼻で笑う。
「……クソ甘い」
「だが」
視線を上げる。
「あれは“弱さ”じゃねえ」
「ああいうのを持った奴が、一番厄介だ」
炎獣王は、低く呟いた。
「エフィナ・ルア・ファルミナス」
「次は、敵として殺しにいく」
「……だからこそ、本気で叩き潰す価値がある」
その声には、初めて“対等な敵”を認める重さがあった。
控え席。
カナトは、ずっと俯いていた。
「……」
勝てた。
誰が見ても、そうだった。
それなのに負けた。
(なんでだ……。いくら勝敗だけが全てじゃないルールでも勝てた試合を棒に振るなんて)
(エフィナは、何を見てたんだ……)
ふと、思い出す。
ダルガンが立ち上がった時の目。
痛みがあっても、恐怖があっても。
消えていなかったもの。
「……あ」
声が、漏れる。
「折れてなかったんだ」
隣にいたエルネストが、何も言わずに頷く。
「エフィナは……」
「勝ったから、負けたんだ」
自分でも驚くほど、言葉がすっと出てきた。
「あれ以上続けたら、相手を壊すだけになるって分かったから」
「それは……“王の戦い”じゃないって」
拳を、ぎゅっと握る。
「……強いな」
「俺には、あんな選択、まだできない」
夜。
候補者とその関係者の為に用意された宿の一室。
ユナは、窓の外を見ながら、静かに話した。
「……優しさって」
「守ることだけじゃ、ないんだね」
誰に向けた言葉でもない。
「エフィナは、相手の“生き方”を否定しなかった」
「人を傷つけないための優しさじゃない」
「人が立ち続けることを、認める優しさ」
振り返る。
「王って、全部を救える存在じゃない」
「だからこそ」
「壊さない選択ができる人が、王なんだと思う」
少し、微笑む。
「……負けたのに」
「一番“王様らしかった”」
シェーヴァ・ネリス
暗い部屋。
影の中で、笑っていた。
「……ふふ」
「面白い」
「殺さずに、心を折ろうとした挙句、折れないと見て引いた」
「冷徹にも、残酷にもなれる器」
「だが、情を制御できている」
「……脅威ね」
エフィナの名を、今一度心の中で刻む。
ヴォルツ・アビスボーン
腕を組み、沈黙。
「敗北を選ぶか」
「だが、逃げではない」
「力を示した上で、価値を測った」
「……魔族至上主義の王にはなれんが」
「魔界をまとめる王には、なり得る」
小さく、頷く。
ルシエル・ヴァル・セレイン
目を閉じ、静かに。
「力があるからこそ、選ばなかった」
「……だから、あの勇者が従った」
戦闘中のエフィナの姿を思い出しながら、ルシエルは不敵に微笑んだ。
「やはり……」
「本命は、彼女か」
石造りの廊下を、カナトはそっと歩く。
扉の前で一度立ち止まり、軽くノックした。
「……エフィナ。起きてる?」
少し間があって、内側から控えめな声。
「うん。入っていいよ」
扉を開けると、エフィナはベッドに腰掛け、毛布を膝にかけていた。
灯りは最小限で、影が柔らかく揺れている。
カナトは椅子を引き、向かいに座った。
「……昼の戦い」
「お疲れ」
エフィナは小さく笑う。
「ありがとう。正直……ちょっと疲れた」
「ごめんね。勝てたのに負けてしまって。でも、後悔はしてない」
その言葉に、カナトは頷いた。
「俺も……分かった気がする」
「なんで、エフィナが負けを選んだのか」
エフィナは、驚いたように目を瞬かせる。
「……ほんと?」
「うん」
カナトは、少し言葉を選びながら続けた。
「ダルガンは……折れなかった」
「エフィナがどれだけ追い詰めても、あいつの“魔王になる”って気持ちは消えなかった」
「だから……」
「あれ以上続けると、勝ち負けじゃなくて“壊す”戦いになるって、分かってたんだろ?」
エフィナは、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
「あの人は、間違ってると思う」
「人間界を蹂躙するって言葉も、受け入れられない」
「でも……」
視線を落とす。
「“魔界を背負う覚悟”だけは、本物だった」
「それを、力で奪うことはできなかった」
少し沈黙が落ちる。
カナトは、意を決したように口を開いた。
「……なあ、エフィナ」
「ダルガンってさ」
「エフィナの記憶を奪った奴だと思う?」
その瞬間、
エフィナの指先が、毛布をきゅっと掴んだ。
「……」
「……確信は、ないよ」
静かな声。
「でも……」
ゆっくり、顔を上げる。
「違うと思う」
カナトは、理由を促すように黙って聞いた。
「ダルガンは……正面から来る人」
「奪うなら、力か命か、どっちか」
「記憶だけを切り取って、人間界に追放するなんて……」
「ダルガンのやり方じゃない」
「それに」
少し、苦しそうに笑う。
「ダルガンは、今のあたしのことを“知らなかった”」
「敵として見てはいたけど、最初から憎んでる感じじゃなかった」
「もし記憶を奪った張本人なら……もっと、別の目をしてたと思う」
カナトがダルガンに感じた印象もエフィナが今話した印象と一致していた。
カナトは、静かに息を吐いた。
「……そっか」
「じゃあ、やっぱり」
「本当の敵は、まだ表に出てきてないんだな」
「うん」
エフィナは、胸に手を当てる。
「多分……」
「残りの三人、あるいは関係者の中にいる」
「あたしに継承戦に出られたら不都合な人物……」
「どんな手を使ってもあたしを無力化し奪う価値があると思った“誰か”」
灯りが、二人の影を壁に映す。
カナトは、椅子から立ち上がった。
「……じゃあさ」
「ダルガンとは、ちゃんと向き合う相手」
「記憶を奪った奴は……」
拳を、軽く握る。
「俺も、許さない」
エフィナは、少し目を見開き、そして柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、カナト。でも感謝してるところもあるんだよ?」
「感謝?」
「うん。記憶を奪われてなくて、人間界に追い出されてなかったら、カナトに出会えてなかった。そこだけはまだ見えない敵さんに感謝かな」
エフィナはカナトに近づきとびっきりの笑顔でカナトを見た。
その笑顔にカナトは思いがけず赤面し、顔を逸らした。
エフィナは目を閉じカナトの体にもたれかかった。
カナトは一瞬驚いたが彼女を離そうとせず、その場から動かなかった。
エフィナはカナトの温かさを感じていた。
「……一人じゃないって、こういうことなんだね」
廊下に出る前、カナトは振り返る。
「ゆっくり休め。次は、もっと厄介なのが来る」
「うん」
扉が静かに閉まる。
一人になった部屋で、エフィナは天井を見上げ、そっと呟いた。
「……誰なの?」
「あたしから、あたしを奪った人」
灯りは消え、夜はまだ、深かった。




