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第71話:覚悟

王はゆっくりとカナトに向き直る。


その瞳は穏やかだが、強く深い。


「率直に問おう。……エフィナ様のことを、どう思っている?」


カナトの心臓が跳ねた。


言葉はすぐに出てこない。


想いはある。


だが、それをそのまま口にするには、重すぎた。


王は静かに続ける。


「あの方は我ら魔界王族の中でも特別な存在だ。継承戦を勝ち抜けば、魔界の未来そのものを背負うことになる。……その重さを理解した上で、なお近くに立つ覚悟があるか」


カナトは息を吸う。


胸の奥が熱くなる。


そして言葉を絞る。


「……エフィナが望む場所に、俺はいたいです。誰が相手でも、どんな立場でも、記憶が戻って俺を忘れても……それでも。エフィナが笑っていられる未来を、奪いたくない」


王の瞳が揺れる。


そしてかすかに笑った。


「ならば覚悟しておけ。エフィナ様は本来ならばおまえの想像を超えて、強く、そして孤独な方だ。その隣に立つということは、今の魔界全体を敵に回すということだ」


その声音は警告でも脅しでもなく、ただ真実だった。


カナトは迷わず答えた。


「構いません」


王は深く頷いた。


どこか安堵したように。


「ならば、どうか……エフィナ様を支えてやってくれ」

その声には、臣下としてではなく親に近い祈りが宿っていた。


エフィナは促されるように部屋を出て、静かな廊下に立った。


扉が閉まり、光が途切れる。


細い月明かりが窓から差し込み、影が床をゆらめかせていた。


静寂。


けれど耳は勝手に、閉ざされた扉の向こうを拾ってしまう。


心臓の鼓動が早まるたびに、聞こえる音が鮮明になっていく。


カナトの声だ。


「……エフィナが望む場所に、俺はいたいです。誰が相手でも、どんな立場でも、記憶が戻って俺を忘れても……それでも。エフィナが笑っていられる未来を、奪いたくない」


胸がぎゅっと掴まれた。


耐えきれず、エフィナは両手で口元を塞ぐ。


溢れだした呼吸を止めるために。


震える身体を支えるために。


どうして。


どうしてそこまで言えるの。


あたしはカナトのすべてを壊すかもしれないのに。


カナトを危険な事に巻き込むのに。


カナトの平穏な日常を失わせてしまうかもしれないのに。


なのにどうして。


胸が熱くなり、喉がつまる。


その時、王の声が続いた。


「エフィナ様は本来ならばおまえの想像を超えて、強く、そして孤独な方だ。その隣に立つということは、今の魔界全体を敵に回すということだ」


孤独。


その言葉が廊下に響いたような気がした。


そうだ。


私はずっと一人だった。


記憶を失ってから何年も、何も思い出せない空白の中で温かさを感じても、木や森、動物から無機物まで”声”を聞くことが出来たから寂しさは幾分か紛らわせれてた。それでもいつも心の中ではいつか失う恐怖があった。


だから本当は、誰かが隣に立ってくれるなんて望んではいけないと思っていた。


だが……。


「構いません」


扉越しに届いたカナトの声は、ためらいがなく、迷いがなかった。


膝が崩れ、廊下の壁へ背中を預けた。


脚が震えて、空気が震えて、自分自身が溶けそうだった。


涙が、頬を伝う。


声にならない息が漏れる。


そんな風に言われたら。


そんな想いを向けられたら。


あたしはもう逃げられない。


逃げたくない。


そして、扉の向こうから最後に届いた王の声。


「ならば、どうか……エフィナ様を支えてやってくれ」


その言葉に、息を飲む。


扉越しの会話なのに、自分の胸に向けられたように響いた。


もう涙が止まらなかった。


震える指で目元を拭き、深く息を吸う。



胸が苦しかった。


でも温かかった。


心の奥底で、何かが変わった。


強くなりたい。


守られるだけではなく、隣に立ちたい。


支えられるだけではなく、支えたい。


たとえ記憶を取り戻した時に、別の自分になってしまったとしてもこの想いだけは、失いたくない。


廊下で涙を拭ったエフィナは、足音をできるだけ殺しながら自分の部屋へ戻った。


心臓がまだ速く打ち続けている。


扉を静かに閉めると、その音がやけに大きく響いた。


部屋の中は薄暗く、温かみのある静けさが漂っている。


窓からは月光が差し込み、床や壁を淡く照らしていた。


エフィナはベッドに飛び込むように身を沈め、布団を顔元まで引き寄せる。


布団の中は温かいのに胸の奥がずっと熱くて苦しいままだった。


呼吸が浅くなる。


体温が上がる。


落ち着かない。


「……あぅ」


声が漏れる。


胸に手を当てる。


閉じた瞳の裏に浮かぶのは先ほどの言葉。


「エフィナが望む場所に、俺はいたい」


「笑っていられる未来を、奪いたくない」


思い出すたび、胸の奥が甘く痺れるように疼いた。


布団の中で小さく身を丸める。


どうしよう。


嬉しいのに、怖い。


怖いのに、嬉しい。


自分でも理解できない感覚が押し寄せてくる。


布団の端をぎゅっと掴む手が震えた。


唇が熱い。


涙の跡がまだ冷たく残っている。


「……あたし……どうしたら……」


小さな声で呟く。


先ほど廊下で聞いた話が頭から離れない。


カナトの真っ直ぐな言葉。


王の重く温かな声。


そして。


自分が泣きながら聞いていたという事実。


布団の中で顔を隠すように潜り込む。


耳まで熱くなる。


「……こんなの……眠れないよぉ……」


寝返りを打つ。


また打つ。


そしてベッドの上で仰向けになり、天井を見つめる。


目を閉じても眠気はやってこない。


代わりに浮かぶのは……


カナトと笑い合う未来。


ユナと三人で並ぶ未来。


魔界の継承戦の未来。


そして、記憶を取り戻した自分の未来。


すべてが不確かで、すべてが眩しい。


胸の奥で温かさと不安が綯い交ぜになり、その夜、エフィナは深く眠ることができなかった。


布団の中で目を開きながら、遠くで誰かの足音が聞こえる気がしたけれど聞こえないふりをして、ただぎゅっと布団を抱きしめた。


夜が静かに、長く、流れていった。


早朝、王はラディウスと共に再びカナト宅を尋ねた。


エフィナは胸に手を当て、不安と覚悟の入り混じる眼差しで二人を見送ろうとする。


カナトも、ユナも、エルネストも立ち合っていた。


王は最後に短く告げる。


「継承戦で勝たせてみせます。必ず」


その言葉は宣言というより、誓いのようだった。


エフィナの目が揺れる。


「あ、あたし……まだ、なにも……」


「覚悟だけで十分です。今はそれでいい」


王は優しく微笑む。


そして続けた。


「蒼陽連邦で出来る限りの準備を進めます。必ず勝たせるとは言いましたが継承戦は策略に満ちるている。力だけでは勝てませぬ。策もいります。エフィナ様の覚悟も……」


隣でラディウスが頷く。


「エフィナ様が勝つ道筋を整えてみせます。この命に代えても」


エフィナは目を伏せ、深く頭を下げた。


声にならないほど、強く。


二人は村の外へ歩み出し、朝日に溶けるように消えていった。


その背を見送りながら、カナトは拳を握る。


「……俺たちも、考えないといけないな」


横でユナが静かに頷く。


「うん。エフィを守るために」


エルネストは思案の表情を浮かべながら遠くを見た。


「継承戦まで時間は少ない。だが、焦っても仕方がない。私達にできる準備を積み重ねていこう」


三者三様の決意が、朝もやの中で静かに燃え始めていた。

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