第69話:来訪者
魔王城から戻ったカナト達が村の坂道を下りていく頃には、夕陽が田畑の水面をきらりと染めていた。
通りには人影が多く、冒険者や商人達の声が入り混じる。だが、賑やかさとは裏腹に、胸の奥には重たい静けさがあった。
魔界と繋がった魔王城。
宝の氾濫。
そして魔界王位継承戦の存在。
カナトの意志に関係なく環境が目まぐるしく動き出す。
それはエフィナも感じていた。
自分は何者かにはめられ記憶を奪われた。
一体誰が何のためにと頭の中がいっぱいになる。
カナトはエフィナを散歩に誘った。
二人は村外れの小川沿いを歩いていた。
夕暮れの風は涼しく、稲穂が揺れる音だけが耳に残る。
エフィナは立ち止まり、水面に映る自分の姿を見つめた。
角はない。魔族の気配もほとんどない。
ただ、揺れる少女の影。
カナトは隣に立ち、そっと声をかける。
「……継承戦、出なくてもいいんだ。無理に背負う必要なんてない」
エフィナはゆっくりと振り返った。
瞳は強く、でも微かに揺れていた。
「逃げないよ。だって――」
「魔界の人達は、今でも争ってる。過激派もいる。誰が王になるかで未来が変わる」
短い沈黙のあと、胸に手を当てて続けた。
「それにね、カナト……あたし、自分が何者なのか知りたい」
エフィナ・ルア・ファルミナス
魔族の古代血統。
魔界の未来に必要だと言われる存在。
しかし本人は、まだその意味を掴めていない。
「怖いよ……ほんとは。負けたらどうなるかなんて、想像もできない」
「でも、あたし……カナトに助けてもらってばっかりで終わるのは嫌だ」
その小さな肩は震えていた。
必死に立とうとする少女の姿が胸に刺さる。
カナトは深く息を吸い、エフィナの目を見る。
「わかった。エフィナが選ぶなら、俺はそれを尊重する」
彼女の瞳が揺れ、涙が滲んだ。
でも今にも泣き出しそうなその表情は同時に、誇らしいくらいに強かった。
手は繋がれない。
抱きしめもしない。
ただ、その答えをまっすぐに受け止めた。
村の中央広場では、エルネストが一人ベンチに座っていた。
夕陽が服の端をオレンジに染めている。
魔王の残滓と交わした言葉が胸に残っていた。
魔王城が魔界と重なり始めている。
詳しい原因は何者かの策略だが狙いは不明。
魔界で何かが起きている。
魔王と勇者。
かつて殺し合った二つの存在が、いま再び世界に影響を与える形で交わり始めていた。
エルネストは目を閉じる。
「……俺は、また剣を取るべきなのか……?」
二十年前の戦い。
英雄として称えられた日々。
もう終わったはずの戦いが、再び形を変えて蘇ってきている。
「いや……違うな」
拳を握る。
「今の俺にできるのは、カナト達の選択を支えることだ」
剣を振るうためではなく、戦いを終わらせるために。
酒場の裏庭で、ユナは桶に手を浸していた。
水の冷たさが震える胸の奥に沁みる。
継承戦。
魔界。
未来。
そんな話についていけないはずの自分。
でも隣にいるのはカナト。
離れたくない。
「私……どうすればいいんだろ」
戦う資格なんてあるのか。
けれど置いていかれるのは、もっと怖い。
「ここに残るべき?それともカナト達と一緒に?」
胸が苦しいほど痛む。
けれど苦しみの奥には、確かな願いがある。
「カナトがどこへ行くとしても……私は、そばにいたい」
涙を拭き、顔を上げた。
「弱くてもいい……それでも一緒に戦うって、決める」
ユナは震えながら拳を握った。
その指先は小さいけれど心は折れていない。
村の灯りが消え始めた頃、カナトの家の窓から灯火が漏れていた。
四人は別々の場所で考え、別々の不安を抱え、別々の答えに辿りつきつつあった。
継承戦は、遠い国の話ではない。
エフィナにとっては出自そのもの。
カナトには守るべき道の選択。
エルネストには過去の責任。
ユナには未来への覚悟。
それぞれが、揺れながら静かに新しい物語の扉へ手を伸ばし始めていた。
翌朝
陽が差し込む小さな家で、カナトとエフィナ、そしてユナとエルネストが囲む小さな卓があった。
空気は張り詰めすぎず、しかし緩みすぎてもいない――そんな微妙な緊張が漂っていた。
エルネストが静かに言う。
「……つまり、エフィナは継承戦に出る覚悟がある。それで間違いないんだな?」
エフィナは真っ直ぐに頷いた。
その表情には幼さよりも凛々しさが浮かんでいる。
「うん。逃げないよ。あたしは魔界の未来に関わる人間なんだってそう思えるから」
ユナは表情を曇らせながらも、優しく言った。
「なら……私は支えるよ。エフィが選んだなら、止めない。だって仲間だから」
カナトも静かに頷き、言葉を継ぐ。
「じゃあ次は……俺達がどう動くかだな」
そう言ったその時、家の扉が小さく叩かれた。
コンコンッ。
全員が同時に顔を上げる。
こんな朝の時間に訪ねてくる人物など、ユナ以外に滅多にいない。
カナトが立ち上がり、戸口まで歩いた。
扉を開けるとそこには旅装束に身を包んだラディウスが立っていた。
「久しぶりだな、カナト」
その横には、同じくフードを深く被った人物が一人。
ラディウスは珍しいほど柔らかい表情を浮かべていた。
カナトは嬉しそうに笑う。
「ラディウスさん!遊びに来てくれたんですか?入って下さい、皆もいるんです」
ラディウスが頷き、家の中へ。
続いて、沈黙のままのフードの人物も足を踏み入れる。
四人の視線が集中する中、カナトが尋ねた。
「ラディウス……その隣の人は?」
ラディウスは一歩引き、その人物へ視線を向けた。
ゆっくりとフードが脱がれる。
露わになった顔立ちは、妖艶であり、荘厳であり魔族特有の深い神秘を纏っていた。
その人物は静かに名乗った。
「余は蒼陽連邦の王。名を、ジルヴァ・アーク・オベリオンと言う」
空気が一瞬停止した。
次の瞬間、カナト、ユナ、エルネストの三人が反射的に膝をついた。
エフィナはきょとんとして立ち尽くしていた。
「エフィナ!!」
カナトが頭を下げるようにエフィナに促そうとするとカナトの目の前で驚きの光景が広がった。
ジルヴァ王は、エフィナに誰よりも深く膝を折り、頭を垂れた。
「拝謁が叶い、恐悦至極でございます。”エフィナ・ルア・ファルミナス”様」
エフィナはただ唖然としたまま立ち尽くした。
カナトは信まだじられないと光景に目を見開く。
ユナは声も出ない。
エルネストでさえ息を呑む。
ジルヴァ王は顔を上げ、言葉を続けた。
「この身、主を前に膝を折るは当然の礼。なぜならあなた様こそ魔界王位継承戦における最有力候補の一人」
カナト達の背筋が凍りついた。
静寂。
そして王は宣言した。
「今日、そなたらの村を訪れた理由はただ一つ。継承戦について伝え、決断を求めるためだ」
エフィナが唾を飲み込む。
指先が震え、目が揺れた。
カナトはその肩に手を置いた。
王は穏やかな声で微笑む。
「さあエフィナ様。魔界の未来を賭けた戦いに、参じる意思はあるか?」
家の空気は震えた。
世界が揺らぎ始めた時間だった。




