第6話:酒場に響く、ひとつの武勇譚
エフィナがフィリア村にきて早数ヶ月。すっかりこの村に馴染み、酒場ではユナと共に二大看板娘として冒険者達に可愛がられていた。
今日は珍しく客はいるものの常連ばかりなので、そこまで忙しくなく全員暇を持て余していた。
常連の冒険者や仕事終わりの村人達が席に腰を落ち着け、俺とユナとエフィナはカウンターに並んで座っている。
ランプの淡い光の中で、親父さんは黙々とグラスを磨いていた。
「ねぇ、お父さん」
ユナが小さな声で口を開く。
「昔……勇者と一緒に依頼を受けたことがあるって聞いたけど?」
客達が一斉に顔を上げ、酒場に微かな緊張が走った。
「俺もその話聞いた事ある」
俺はユナに同調した。
親父さんは手を止め、少し考えるように目を伏せる。
「……一度だけだ」
その言葉に、場の空気が変わった。笑いも囁きも消え、皆が耳を澄ます。
「聞いてみたいなぁ……」
ユナが親父さんに尋ねた。
親父さんはふぅと一息ついて……。
「若い頃、旅の途中で立ち寄った村でな。山崩れが起きて、人が土砂に閉じ込められていた。俺ひとりじゃ、どうにもならなかった……そこに、勇者が現れたんだ。まあ、その時はまだ勇者とは呼ばれてなかったけどな」
エフィナが瞳を丸くし、小さな声を漏らす。
「ほんとうに……勇者が?」
親父さんはうなずく。
「勇者は俺を見て、ただ一言、“手を貸してくれ”と言った」
ランプの光に照らされたバルドの横顔は、どこか遠い過去を見ていた。
ー回想ー
「はぁ、はぁ、はぁ、誰かいるか!!いるなら返事をしてくれ」
土砂崩れの現場。
雨が降りしきる中、地鳴りのような音がまだ耳に残る山間で、村人たちの悲鳴が響いていた。崩れ落ちた岩の隙間に、子供たちが閉じ込められているのを見つけた。
若かりしジュード(親父さん)は必死に岩を押しのけようとしていた。だが力及ばず、汗と土で顔を汚しながら地面に膝をつく。
その時、影が差した。剣を背に負った青年勇者がそこに立っており、彼は短く言った。
「手を貸してくれ」
青年勇者とジュードは共に岩を押し、必死に掘り進める。
やがて、瓦礫の隙間から小さな手が伸びた。ジュードはその手を掴み、力いっぱい引き上げる。土にまみれた子供が腕の中で泣きじゃくった。
「……ありがとう」
その小さな声が、ジュードの胸を突き抜ける。村人の安堵の涙。
そして、青年勇者が肩を叩き、短く言った。
「よかったな」
青年勇者は笑顔でジュードに語りかけ手を出し、ジュードは青年勇者と握手をした。
土砂崩れから一夜が明け、村は無惨な姿をさらしていた。
家々は傾き、田畑は泥に沈み、人々の顔には疲労と絶望が刻まれていた。その中で、青年勇者とジュードは動き続けていた。
陽が完全に昇り始めた頃には他の冒険者達も続々とやってきて、復興の手伝いを始めた。
魔法使いが、倒れた梁を浮かせて組み直す。
その横で、ジュードは土の上に膝をつき、木槌を振るう。
「ほら、もう一度持ち上げてくれ! これで支えられる!」
額の汗をぬぐいながら、勇者と短い言葉を交わした。青年勇者はただ頷き、力強く梁を押さえ込む。
その表情は泥に汚れていたが、不思議と眩しく見えた。
田んぼに流れ込んだ泥を、僧侶と共にかき出す。
僧侶の癒しの術が土を柔らかくし、村人とジュードが鍬を振るった。
「これなら……また、来年には米がとれるな」
そう言うと、青年勇者は黙って泥の塊を肩に担ぎ、畦に放り投げた。その背中を見て、ジュードは心の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
復興作業の最中に泣きじゃくっていた子供達を見つけ、青年勇者は腰を下ろし、にかっと笑った。
「大丈夫だ。村は、また立ち上がれる」
子供達はまだ涙を拭けなかったが、その声に少しだけ顔を上げた。
その光景を遠くから見ていたジュードは、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。この人の背中を、俺も少しでいいから支えたい。
そんな想いが、胸の奥に芽生えていた。
数日が過ぎ、村は少しずつ形を取り戻していった。青年勇者が去る時、村人達は涙ぐみながら頭を下げた。
朝靄の中、青年勇者は村を後にしようとしていた。背には荷を負い、剣は泥に汚れている。
村人達が並び、深々と頭を下げていた。その中で、ジュードはひとり勇者に歩み寄る。
「……世話になったな」
そう言うのがやっとだった。胸の奥では、もっと伝えたい感謝や敬意が渦巻いていたが、言葉にならなかった。
勇者は少しだけ振り返り、短く答えた。
「いや、こちらこそ助かった」
それだけを告げ、青年勇者は微笑んだ。
「よかったら……いや、何でもない」
青年勇者はジュードに何かを言いかけたが途中でやめ、再び微笑んだ。
笑みの形は光に溶け、はっきりとは見えなかった。
その背中を見送るジュードの手には、まだ乾ききらない泥の跡が残っていた。
青年勇者の顔は、やはり光の向こうに滲んで、はっきりとは思い出せない。
けれど、その温もりだけは、今も胸に残っている。
ー現在ー
「……それが、俺にとってたった一度の”あいつ”との共同作業だ。その後に魔王や魔王軍との全面戦争が始まり、あいつは”勇者”になった」
親父さんはグラスを拭きながらそう締めくくる。
酒場はしんと静まり返り、客達もユナもエフィナも俺も、ただ言葉を飲み込んでいた。
ランプの炎が揺れる中、過去の勇者の影は、静かに夜の空気へと溶けていった。
酒場の中は、しばし沈黙に包まれていた。
親父さんがグラスを拭く音だけが、淡々と響く。
ユナは親父さんを見つめ、目を潤ませながら小さくつぶやいた。
「……やっぱり、勇者様って、本当にいたんだね」
その隣で、俺とエフィナは黙ってカウンターに肘をついていた。エフィナは小さな顔を手のひらに乗せ、ランプの炎をぼんやりと眺めている。
やがて、ぽつりと口を開いた。
「……“勇者”って、不思議」
ユナが首を傾げる。
「どういうこと?」
エフィナは視線を宙に漂わせたまま、小さな声で答えた。
「人々にとっては特別な力を持った英雄。魔王や魔王軍にとっては……敵だったはずなのに。でも、話を聞いてると……ただの“人”みたいに思えて……。ちょっと……あったかい、っていうか」
その言葉に、酒場にいた数人の冒険者がちらりと彼女を見た。
ユナも驚いたように息をのむ。
けれど親父さんはただ、静かに笑った。
「そうだな……あいつは、確かに”勇者”である前に“人”だったよ」
エフィナはその言葉を聞くと、小さな肩をすくめ、少し照れくさそうに目を逸らした。
その横顔は幼い少女のようでいて、どこか遠い昔を知る瞳でもあった。
冒険者達や村人達が帰るのと同時に、俺とエフィナも帰る準備を整え、酒場を後にした。
”勇者”……。親父さんの話を聞くまでは、どこか、おとぎ話に出てくる登場人物としか思えなかった。
でも今日の話を聞いて俺は勝手に勇者に対して親近感が湧くのを心に感じた。