第46話:蒼陽連邦と聖ヴェリシア王国
蒼陽連邦・仮設本部
会議が終わったその夜。
薄暗い天幕の中、地図と文書を照らすランプの明かりだけが静かに揺れていた。
外では冷たい風が吹き、遠くで馬の嘶きがかすかに響いている。
俺、ガルドさん、ミリアさん、ユナ、そして親父さんが小さな卓を囲んでいた。
向かいには蒼陽連邦の特使、ラディウス・ヴァレンさん。
彼の前には数枚の封書と、連邦の紋章入りの書簡が並んでいる。
「これが、我が国が用意する“調査団設立”の正式書類だ。表向きは“聖ヴェリシア王国による魔族捕縛の正当性を
検証するための国際共同調査”。……だが、実際は君たちがエフィナを救い出すための、唯一の合法的な通行証となる」
「……調査団の名を借りて、聖ヴェリシアに入る……ということですか。」
ラディウスさんは小さく頷いた。
その表情は冷静だが、瞳の奥には確かな覚悟があった。
「正面から救いに行く。それが君の“正義”なら、私もそれを支える。ただし、これは綺麗事ではない。
聖ヴェリシアは最強の国だ。彼らは自分たちが“正義”だと信じて疑わない。……下手をすれば、調査団全員が消される可能性もある」
「それでも……行きます。 私の父を傷つけて、エフィナを連れていったあの連中を、私は絶対に許せない」
「ユナ……だが、今回ばかりは復讐ではないぞ。エフィナを救うため、そして真実を証明するための戦いだ」
「エフィナさんがあの場で見せた涙……まだ、覚えています。あの子を“悪”だと言い切る世界が間違ってるなら、
私はその世界を正したい」
ガルドは腕を組み、低く笑う。
「最強の国だろうがなんだろうが、俺たちの仲間を連れ去った時点で、勝負は始まってる。……やるさ、正面から、堂々とな」
俺は静かに全員を見渡した。
胸の奥が熱くなる。
こんなにも無茶な話を、誰一人否定しない。その事実がたまらなく嬉しかった。
「……ありがとう、みんな。俺は、あの時エフィナに“助けて”って言われたんだ。あの声が今もずっと、頭の中で響いてる。弱くても、怖くても、痛くても、もう二度と仲間を見捨てたくない」
その言葉に、全員が静かに頷いた。
ラディウスさんはその様子を見て、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ならば、これを預けよう。」
彼は封書を一枚、俺の前に差し出してくれた。
封蝋には蒼陽連邦の紋章、二つの太陽を象った紋章が刻まれている。
「この書状があれば、君たちは“蒼陽調査団”として正式に聖ヴェリシア領へ入国できる。だが、内部に入れば保護も名目上だ。何が起きても、すべて自己責任だ。覚悟はあるか?」
俺は書状を手に取り、迷わず頷いた。
「……はい。もう決めました。俺達はエフィナを救う。それだけです」
しばしの沈黙。
ラディウスさんは満足げに立ち上がり、地図を指差す。
「目的地は、聖ヴェリシア王都の北――“聖櫃の塔”。魔族の彼女が囚われているのはそこだと思う。
塔は神聖不可侵の地。勇者直系以外の立ち入りは厳しく制限されている。だが、調査団という名目であれば、視察の名のもとに潜入できる」
「潜入、か。……正面から堂々と入って、正面から奪い返す。上等だ」
「お父さん、行くんでしょ?」
親父さんは苦笑しながら、拳を反対の手のひらに当てる。
「もちろんだ。引退した身だが、あの子が笑って“ただいま”と言える場所を、もう一度作ってやらねえとな」
ラディウスさんが最後に一言、静かに告げた。
「覚えておけ。真の正義は、剣ではなく“行い”で示すものだ。君達が信じるその道を、恐れず進め」
風が天幕を揺らす。
灯りが一瞬だけ揺らぎ、全員の影が地図の上で重なった。
それは、運命を共にする仲間たちの影。
そして、“救出の旅”が、今、正式に始まった瞬間だった。
ーエフィナ視点ー
時は少し遡り、捕縛の翌日・夜明け前
視界が霞んでいた。
全身に鈍い痛みが残り、手首には冷たい鉄の感触。
エフィナはゆっくりと目を開けた。
そこは幌馬車の中。
厚い布に覆われた空間には、血と鉄の匂いがこもっている。
両手両足には封印の鎖、微かな魔力すら通さない重い鎖が巻かれていた。
(……ここは……どこ?)
身体を起こそうとすると、鎖が鳴り、すぐに前方の兵士が振り返る。
「目を覚ましたか、魔族」
冷たい声が返ってくる。
その声には感情がなかった。ただ義務のような響きだけがあった。
エフィナは黙ったまま視線を下げた。
外からは蹄の音、鎧の軋む音。
馬車の周囲を十人以上の騎士が護衛している。逃げ場などない。
しばらくして、馬車の幌がめくられた。
差し込む朝日が眩しい。
そこに立っていたのは、あの勇者の直系の男ディオバルドだった。
黄金の鎧に聖印を刻んだ剣。
整った顔立ちは冷酷さを際立たせ、彼の周囲の空気すら張り詰めさせている。
「ようやく目を覚ましたか。“魔王の器”よ」
エフィナは唇を噛む。
彼の声に含まれる侮蔑と好奇が、刺すように胸を貫いた。
「……器なんかじゃ、ない。わたしはただ」
「黙れ」
言葉を遮るように、剣の鞘がエフィナの頬を打つ。
乾いた音とともに、血が一筋流れた。
「言葉を交わす価値はない。お前の存在そのものが、罪だ。聖ヴェリシアに着いたら、我が王の前で真実を暴かせてやる。“勇者の末裔”たる我らの手で、正しき裁きを下す。」
そう言って彼は馬車の幌を閉じる。
わずかな陽光が遮られ、再び闇が戻る。
どれほど時間が経ったのか分からない。
夜が来て、また朝が来た。
馬車は絶え間なく走り続けている。
エフィナは何度も眠りに落ちそうになりながら、意識の奥で思い出していた。
村での暮らし。
畑の手伝い、酒場の匂い、ユナの笑い声。
そしてカナトの優しい声。
『エフィナ、無理するなよ、疲れたら休んでいいからな』
その言葉が、痛いほど胸を締めつける。
(助けてって、言っちゃった……。きっと、カナトは……無茶をして来てしまう……。)
心の中で、静かに涙がこぼれた。
手首の鎖がそれを冷たく引き戻す。
(……でも、お願い。生きて。カナトが死んだら……わたし、きっともう……)
王都が見える丘の上
数日後、ようやく馬車が止まった。
騎士が扉を開け、無理やりエフィナを外に引きずり出す。
目の前に広がっていたのは、白亜の城壁。
陽光を反射して眩しく輝くその都、それが、聖ヴェリシア王国だった。
天に伸びる塔、整然と並ぶ尖塔、純白の神殿。
その美しさの裏に、確かな圧迫感があった。
「見ろ。“人の理想郷”だ。」
ディオバルドが誇らしげに言う。
「貴様のような穢れが最も似つかわしくない場所だ。」
エフィナは何も言い返せなかった。
ただ風に揺れる城壁の旗を見上げ、心の中で小さく呟いた。
(……綺麗。でも……怖い。みんながこの“綺麗”のために誰かを犠牲にしてるなら、それは本当に、正しいの……?)
―聖櫃の塔・収容所ー
王都の中心、天へ伸びる“聖櫃の塔”。
エフィナはその地下深くに連れ込まれた。
分厚い石の扉が閉まる音が響く。
光はほとんどなく、湿った空気が肌にまとわりつく。
鎖を外される代わりに、魔法封印の紋章が刻まれた首輪が装着された。
僅かな抵抗も許さない完全拘束。
牢の外で、ディオバルドが言葉を落とす。
「ここで静かに待っていろ。王の命で、お前は“勇者の審問”にかけられる。神に選ばれし者の剣で、
その真偽を確かめるのだ」
その言葉を残し、扉が閉まる。
再び、静寂。
エフィナは冷たい床に膝をつき、胸に手を当てた。
わずかに残る“印”の温もりが、かすかに脈打っている。
(……まだ、つながってる。カナトが生きてる。感じる……。)
そして、囁くように呟いた。
「ねぇ……勇者様。私、まだ……死にたくない。」
その声は小さく、しかし確かに。
静まり返った牢の中で、祈りのように響いた。




