第44話:交渉
まず俺達は二手に分かれる事にした。
俺とユナは村の被害状況や証言を集める事にした。
ユナは白い前掛けのまま、手際よく羊皮紙の見出しを並べる。「日時/場所/証言者/出来事(簡潔に)/物証の有無/署名」のフォーマットを定め、黒いインクで太い文字をひとつずつ書き入れていく。
俺はその脇で村人を呼んで、誰が何を見たかを一つずつ問い取ってゆく。声は時に震え、時に怒りを含むが、記録は淡々と書かれる。
「まずは時系列ね。つじつまが合うように、出来事は事実だけを書く。感情や推測は別枠にしましょう」
ユナの声は仕事そのものを教えるように穏やかだが、目は鋭い。
話を聞いた村長が持ってきた小さな帳面には、村の門から広場までの一連の動きが時刻と共に書かれていた。
ユナはそれを見ながら書き写し、傍らの俺が現場の人物に向かって確認する。
証言 No.001
日時:○月△日 06:40
場所:村門前
証言者:ハル(門守)/年齢29/居住:村北家
出来事(事実):聖ヴェリシアの騎士団12騎が隊列で入村。先頭に“勇者の紋章”を掲げ、“異変解決の経緯の聴取”と村長に告げた。後に広場へも複数が侵入。
物証:蹄痕採取(標本1)
署名:ハル(実署名)・村長(補認)/日付:○月△日
証言 No.002
日時:○月△日 07:05
場所:酒場内部
証言者:ユナ(酒場従業員)/年齢16
出来事(事実):騎士団が広場に乱入、質問の途上で父親・ジュード・グレイユが割って入り、騎士の一人により斬られ負傷。目撃者複数(名簿添付)。
物証:血染めの前掛け(証拠袋B)、壊れた包丁(証拠袋C)
診断書:ジュード・グレイユの治療記録(添付D)
署名:ユナ(実署名)・ミリア(証人)/日付:○月△日
ユナは親父さんに手順を教えてもらいながら各証言に「署名枠」と「印(村長の割印)」を設け、村の公式な証明になるよう手続きを踏ませる。村長が押す割印は村の小さな印章で、外部に対する最低限の公式性を与える。
俺は、その間に手が震える老人に筆を渡す。老人は震える指で文字をしたため、顔を伏せてからそっと署名する。その光景に誰もが息を呑む。署名という行為は、ただの墨文字以上の重みをもたらした。
そして医療記録は特に重要だった。近隣の女性薬師のリオラさんが、仮処置をしてくれた診断書を作成してくれることになった。彼女は包帯の取り換えや傷の状態、出血の程度、受けた応急処置、そして回復の見込みを詳述した。診断書の冒頭には次のように記されている。
診断書
医師/薬師:リオラ・アルフ(署名)
患者:ジュード(酒場オアシー責任者)、受傷日:○月△日、傷害:左上腕深裂創(約10cm)、多量出血
治療:止血、縫合は不可のため圧迫止血と草薬処置。現状:負傷は回復途上。傷跡は時間を掛けて残存の可能性あり。
観察者:ユナ(証人)
署名と印:リオラ印
診断書は羊皮紙に書かれ、薬師の刻印が押された。これがあれば、ただの“言い分”ではなく医学的証拠として使える。
証言が揃うたびに、ユナが一枚ずつ証言書を読み上げ、証人は内容を確認して自筆で署名する。その後、村長が割印を押す。
証拠品は厳重に木箱に収められ、村長の小屋の地下にある石の貯蔵庫へ移される。貯蔵庫は二重鍵。鍵は村長と親父さんが各々一つずつ保持する(分割管理)。
さらに魔法で複製した一部のコピー(や写生)はガルドさんとミリアさんが中立都市へ持参するための袋に分け、夜陰に紛れて出立する準備を整える。
ガルドさんとミリアさんは最短で中立都市へ向かい、冒険者ギルドと教会の中立派に面会申請する手筈を整える。
出発前に、親父さんは彼女に診断書・証言ファイルの一式を手渡し、村の控えを確実に残すよう説明する。
整理作業は深夜まで及んだ。ユナは時折涙を拭い、だが声を強くして証言をまとめ続けた。
親父さんは疲れた顔で最後の封緘をし、木箱に封印を打ち、鍵を二つに分けて村長と共有する。俺は黙ってそれを眺め、手首にある“印”が淡く脈打つのを感じた。
「ここまでやれば、後は外に出てくれ。中立の耳が結果を変えるんだ」
親父さんはユナの肩を軽く叩く。ユナはハッと息を吐き、俯いてから小さく頷いた。
灯が一つ、また一つ消える。
だが、羊皮紙に並んだ文字と、封蝋の赤は静かに夜を照らし続ける。
それは、ただの記録ではない。誰かの命を取り戻すために、村が世界に放つ“証拠”の灯であった。
ーガルド&ミリアー
夜明け前
ミリアは小さな革袋に、酒場で整えた証言ファイルの写し数部、診断書のコピーを入れた(原本は村に控え)。礼節服に羽織を直し、髪を乱れ無いように結い上げる。ガルドは簡素な旅装に剣を収め、だが表情はきりりとしていた。
「行こう。まずは冒険者ギルドと商会、それから大聖堂だ」
ミリアが頷く。二人は街道を行く旅人の波に混ざり、馬車や徒歩で中立都市リュミナスへと向かった。
〜中立都市リュミナス・冒険者ギルド「白獅子」〜
ギルドは広いホールと、腕っぷしの立つ男たちで賑わっていた。事前に書状を用意していたわけではない。
だがガルドとミリアの口ぶりと、持参した診断書と署名入りの証言ファイルがあることで、ギルド長は席を空けてくれた。
ギルド長のヴァーリンが応対してくれた。年季の入った盾を傍らに置く堅物だ。ガルドは簡潔に一礼し、ミリアが証言の要点を静かに読み上げる。
「私達は偽りを言いません。村の原本は村長の元にあり、こちらは複製した物です。証言は複数の独立した署名と、薬師の診断書で裏付けられています。事情を中立の場で検証してください」
ヴァーリンは資料に目を走らせ、やがて顔を上げる。
「聖ヴェリシアか……あの国は腕っ節も権力も一級だ。だが“強いから何をしてもいい”などと許すつもりはない。証拠があるなら聞こう。君たちは“どこまで我々に期待している”?護衛か、証言の立会いか?」
ガルドが答える。
「まずは声を上げる“仲間”として、証人を立ててくれるだけで十分だ。必要なら短期の護衛をお願いしたいが、俺達
は正攻法で動くつもりだ」
ヴァーリンは一拍考え、渋く笑った。
「よかろう。白獅子は証言に耳を貸す。だが我々の名を無闇に使うな。巻き込まれたくはないからな。まずは我がギルドの一人、信頼できる調査者を派遣しよう。彼が現地の原本を見て判断する。」
ミリアは小さく安堵して一礼する。短期だが確かな味方が一人決まった。
〜商会「ベルグラン商行」〜
次に訪れたのは港近くの大商会。交易路を握るベルグラン商行は、聖ヴェリシアへの供給路を牛耳っている。商会長・イェランドは冷静だが、利益と秩序に敏い男だ。
「聖国と商は表裏一体。だが、信用が失われれば路は閉ざされる。君らの話は事実か?」
ミリアは正直に返す。書簡は拒絶された。イェランドは眉を上げる。
「それは愚かな行為だ。だが我が商会が“公に”動くのは簡単でない。だが我が商路にとっても一党の暴走はリスクだ。君たちが提供する証言が確かな限り、我らは“非公式”に情報網を用い、通商に圧力をかける筋道をつくれる。正式な支援は今は難しいが、物流と通行の便宜を図る用意がある。」
ガルドが控えめに礼をする。商人の協力は、物資や脱出ルートの確保、情報の流通で極めて重要だった。ミリアはうなずき、必要ならば商会の非公式回線で中立都市の要人へ接触してほしいと頼む。イェランドは書面に軽く署名して短い推薦文を残した。「中立調査の便宜を図れ」。それを受け取り、二人は次へ向かう。
最後に訪れたのは、都市を見下ろす大聖堂。教会は民衆の心を動かす権威を持っており、ここを味方につけられれば公的な検証に強い後押しができる。だが教会の中にも分派がある。
ミリアは事前に教会内の中立派の名前を聞いており、礼節を尽くして面会を申請した。
大司教ホラシウスは威厳ある老人だ。だが目元に疲労があり、世の中の歪みに気づいている様子があった。ミリアは一歩前に出て、両手で証言コピーを差し出す。
「我々は証拠を偽りません。ここに患者の診断書、村人の署名、物的証拠の写しがある。聖国の暴挙の事実を中立の場で検証してください。貴教会の公正な立会いがあれば、我々は世界に示せる」
大司教はゆっくりと読み、顔を上げる。沈黙が流れた後、彼は静かに言った。
「……聖なるものは疑われるべきではないが、聖なる名が暴力の口実となるなら、それは破滅を招く。君達の願いは“公正”だな?」
「はい。教会の中立的な目が必要です。公開の場で“事実”を確認して欲しいのです。」
大司教はしばらく考え込み、やがて筆を取り書簡を書く。教会の印が押される。
「私は中立の調査監察を一名派遣しよう。公開の場が整うまで、我が教会は証言の受領と隠匿されるべき民の保護相談に乗る。だが、わしもまた政治の風に晒される。君たちの言葉が真実なら、我らは傍観者ではいられん。」
ミリアは感極まって一礼した。教会の公的な名が加われば、「正攻法」の勢いが出る。
一日の終わり、ミリアとガルドは小さな宿に戻り、短い報告をそれぞれ取って酒場へ送る書簡を整えた。幾つかの反応は明確だった。
冒険者ギルドは「調査者の派遣」と「証言の立会い」を約束した。
商会は非公式ルートでの便宜(物資、輸送、通行)を示唆し、小さな推薦文を残した。
教会は中立の監察官を派遣する意向を示した。
しかし、幾つかの壁もあった。都市の一部有力者は「聖ヴェリシアの報復」を恐れ、公的に連帯することは避けた。商会長も公的な支援は「今は」出せないと明言した。だが三つの“鍵”、ギルドの目撃者、商会の物流、教会の中立監査が揃い始めたことで、物語は確かな前進を見せていた。
ミリアが地図を広げ、カナト達へ短い文面で進捗を報告する。ガルドは窓の外に目をやり、遠くに光る中立都市リュミナスの旗を見つめる。街の灯りがゆらめく。
宿の薄明かりの下、ガルドが小さく笑って言った。
「明日、調査者が出発する。これで証言は“第三者”の耳に届く。あとは時間と耐えることだ。」
ミリアは短く息を吐き、拳を握りしめる。
「時間は少ないけど、やるしかない。村を守るために。」
二人は立ち上がり、互いに軽く拳を合わせた。
小さな誓いは、確かな行動へ変わっていく。
それが、彼らの背負った“正攻法”の道だった。




