第41話:別れと願い
聖ヴェリシア王国、勇者の血族であるディオバルド・ヴェリシアにエフィナの正体がバレ、絶体絶命のピンチに陥った俺達はなす術もなく倒れた。
「……言葉では、済まされん」
ディオバルドの声は氷のように冷たく、広場の空気を完全に凍りつかせた。
剣がゆっくりと持ち上がり、刃先が淡い光を反射する。
その光は、まるで“裁き”そのもののように、エフィナの小さな身体を照らしていた。
「やめろッ!」
俺は地面を這うようにして立ち上がり、血の滲む腕で直系の身体にしがみついた。
その勢いに、鎧がきしみ、ディオバルドが不快そうに顔を歪める。
「離せ!下郎が!」
「離さない!あんたが何者でも、関係ない……エフィナを殺させるわけにはいかないんだッ!!」
俺の叫びは掠れ、喉が裂けるほどの力で絞り出されていた。
それでも、腕は決して緩まない。
ディオバルドは苛立ちを隠さず、力任せに俺を振りほどこうとする。
「貴様のような小虫が、我に逆らうか!」
「それでも……守りたい人がいるんだよッ!!」
ディオバルドの剣が高く振り上げられ、今まさに俺の命を断とうとした瞬間・・・。
「――っ!」
エフィナの手が光を放った。
咄嗟の魔法が炸裂し、衝撃波のような風が俺を包み込む。
「うわっ……!」
俺の体が宙に浮き、数メートル後方の机に叩きつけられる。
皿と酒瓶が砕け、破片が散る中で、彼は呆然と目を開けた。
そこに見えたのは……
涙を溜めながら、それでもまっすぐ俺を睨みつけるエフィナの姿だった。
「……ごめんね」
その小さな声は、怒りと悲しみが混じった、断腸の響きを帯びていた。
エフィナはディオバルドの前に進み出る。
膝をつき、両手を地面につき、深く頭を下げた。
「……わたしは……魔王の力を、受け継いでいます」
その一言が放たれた瞬間、広場の中の空気が変わった。
騎士達が一斉に息を呑み、ざわめきが広がる。
「魔王の……力だと?」
ディオバルドの目が鋭く光る。
「はい……。でも、わたしは争うつもりはございません。あなた様の強大な力の前ではわたしなど、他の魔物と大差ありません。ですからどうか……この村の人たちだけは、巻き込まないでください。わたしのことは……どんな罰でも受けます。どんな苦しみでも……受け入れます。だから……これ以上この村で血を流すのはやめていただけませんでしょうか?お願いします。ここでは、わたしを殺さないでください……!」
地面に額を押しつけ、震える声で訴えるエフィナ。
その姿は、もはや誇りも何もかも捨て去った、ただ人を守るための少女だった。
ディオバルドは、しばらく無言でエフィナを見下ろしていた。
やがて、その唇がわずかに歪む。
「……魔王、か」
静かに呟きながら、ディオバルドは心の内で計算を始めているように俺は感じた。
「魔王の力を宿す少女……そんな存在を捕らえ、民の前で裁けば……」
「上の兄二人を超え、次の王位に手が届く……」
ディオバルドがボソボソと呟いてると思っていたら、剣をゆっくりと下ろし、冷たい笑みを浮かべる。
「よかろう」
「……え?」
「ここで貴様を殺すのは惜しい。魔王の力を宿す者、その存在をこの目で見届け、聖ヴェリシアの民の前で裁きを下す方が、神々の御心にも適うだろう」
エフィナの肩が震える。
「……わたしを、連れていくのですか」
「そうだ。聖ヴェリシア王国へ。そして、我が手で貴様の罪を清めよう」
ディオバルドの声には、もはや正義の響きはなかった。
その裏に滲むのは、己の野望と快楽的な支配欲。
ディオバルドが命じ、騎士達がエフィナを取り囲もうとしたその時。
エフィナは静かに歩き出し、ふらつく足で倒れたままの俺のもとへ駆け寄ってきた。
「エフィナ……」
俺の声は掠れ、震えていた。
エフィナは膝をつき、血と埃にまみれた俺の手をそっと握る。
その手は冷たく、かすかに震えている。
「ごめんね……こんな形で……」
エフィナの瞳には涙が溜まり、その頬を静かに伝って落ちた。
俺は何かを言おうと口を開くが、声にならない。
エフィナは微笑もうとしたが、その笑みは切なく、壊れそうだった。
「……ありがとう。今まで、本当に……ありがとう」
その言葉と共に、エフィナの手の中から淡い光が滲み出す。
俺の胸元に触れた瞬間、光は柔らかく広がり、淡く肌に刻まれるように消えていった。
「……これは?」
「“印”の力。わたしの一部を……あなたに預けるの」
エフィナは微笑みながら続ける。
「もし、いつか……私がいなくなっても……この印が、私を覚えていてくれる。だから、私のことを……怖がらないでね」
そして、エフィナはディオバルドや騎士団達に向き直るようにして、少し声を張った。
「わたしが遠くに行き戻ってこなければ、この村にかけていた“魔法”は数日中には解けます。だから……みんな、わたしのことを忘れて、日常に戻ってください」
その言葉を聞いた村人や冒険者達は息を呑み、誰もがその場で拳を握りしめた。
誰も信じていなかった。そんな魔法など存在しないことを。
だが、彼女がそれを言う意味を理解していた。
「……エフィナ……」
ユナもガルドさんも、声を上げたかった。だが声にならない。
ただ沈黙と涙が、エフィナの覚悟を包んでいた。
ディオバルドはその様子を満足げに見下ろし、鼻を鳴らす。
「潔いことだ。せいぜいその“人間らしさ”を保っていられるうちに悔い改めるがいい」
エフィナは再び俺の方を向き、そっとその額に触れた。
そして、唇を俺の耳元に寄せ、誰にも聞こえないほどの小さな声で囁く。
「無茶だって分かってる。わたしのわがままだって事も、この言葉を言えばカナトがどうするかも、怖いほど分かってる。でも……」
エフィナの声が震える。
「……死にたくない。……カナトの傍で、生きたい。村のみんなと楽しく過ごしたい。だから……助けて。”勇者様”」
涙を浮かべ訴えるエフィナの言葉が、俺の胸の奥に刻まれた瞬間、“印”がかすかに輝き、心臓の鼓動と共鳴するように脈動した。
そして、エフィナは涙を止め、何事もなかったかのように立ち上がり、騎士団の中に再び身を置いた。
振り返らずに歩く背中が、遠ざかっていく。
俺は動けなかった。
力の抜けた手が、空を掴むように伸びる。
けれどその指先は、エフィナの影さえ掴めず、ただ宙を切った。
ディオバルドの命で騎士団が村を出る。
冷たい風が吹き込み、静寂が残る。
地面に残った血と涙の跡だけが、そこに確かに“誰かがいた”ことを物語っていた。




