第36話:準備
村に帰り着いた頃には夜になっており、酒場の灯りが温かく二人を迎えていた。
ユナが腕を組んで待っており、俺とエフィナを見て眉をひそめる。
「まったく……遅いから心配したんだからね!で、何があったの?」
親父さんも調理場から顔を出し、無言のままじっと二人を見つめる。
俺は真剣な表情で頷いた。
「ユナ、親父さん……ちょっと相談があるんだ。森で、大樹に出会った」
その言葉に、二人の表情が一変する。
ユナは「大樹?」と眉を上げ、親父さんは無言のままじっと続きを促した。
俺はそこで初めて、大樹の声、根に住みつく魔物の存在、そして「助けを求められたこと」を語り始めた。
俺が一通り話し終えると、酒場に重い沈黙が落ちた。ユナは腕を組んだまま、じっと考え込んでいる。親父さんはカウンターに肘をつき、手にした煙草草の葉をゆっくりと回していた。
やがて、ユナが口を開く。
「……カナトの判断は正しかったよ。二人きりで魔物がいるかも分からない根の下に潜るなんて、無謀すぎる。ちゃんと戻って相談した、それだけでも偉いと思う」
ユナは少し照れくさそうに頬をかきながら、言葉を続ける。
「私なら……きっと突っ走っちゃったかもしれないから」
俺は少し驚いてユナを見るが、ユナは目を逸らし、そっぽを向いていた。
親父さんが煙草草を火にかざし、一口吸ってから低く言う。
「ユナの言う通りだ。お前は村人であって冒険者じゃねぇ。だがだからこそ、分をわきまえた判断ができた。それは立派なことだ」
親父さんは鋭い目を俺に向けた。
「力に振り回される奴は、結局なにも守れねぇ。だが……仲間を想って立ち止まれる奴は、きっと正しい道を選べる。お前は、そういう奴だってことだ」
俺は思わず息を呑み、胸が熱くなる。
エフィナが俺の袖をきゅっと掴んで言った。
「ねぇ、やっぱりカナトはすごいんだよ。私、信じてよかった」
ユナがむっとした顔でエフィナを見る。
「だからって、変に持ち上げすぎないの。調子に乗るんだから」
「乗らないよ!」と俺が慌てて反論し、場に少し笑いが戻る。
親父さんは深く息を吐いて煙を吐き出し、言葉を締めくくった。
「いずれにせよ、魔物退治は大人の仕事だ。お前らが無理する必要はねぇ。ただ、助けを求めてる相手がいる以上、無視もできん。準備を整えてから、動こう」
ユナは真剣な目で俺を見つめる。
「その時は、私も一緒に行くから」
エフィナも大きく頷いた。
「私も!絶対に!」
俺は二人の強い言葉に胸が熱くなりながらも、心の奥で「必ず約束を果たそう」と改めて誓うのだった。
親父さんが空いたジョッキを片付けながら、ゆっくりと口を開いた。
「いいか、準備ってのは戦うためだけじゃねぇ。食料、水、道具、帰り道の確保……全部が生き残るための要だ。魔物退治なんざ、腹を空かせたままじゃできん」
ユナがテーブルに身を乗り出す。
「じゃあ、私が保存食を用意する!干し肉とか携帯用の硬いパンなら、多少無理しても作れるはず」
「それなら俺が、道具屋に頼んで必要な品を揃えてくるよ」
俺は真剣な顔で言う。
「縄とか油とか、松明とか……俺でも用意できるものはあるはずだから」
エフィナはぱっと手を挙げて、にこにこしながら言う。
「じゃあ、私は……応援する!」
ユナが即座に突っ込んだ。
「それ準備じゃないでしょ!」
「うぅ……でも、私には道具も作れないし、食べ物も上手に作れないし……」
エフィナがしょんぼりした様子で肩を落とすと、親父さんがふっと笑った。
「お前さんの役目は、それでいいんだよ。気配りや笑顔だって立派な準備だ。仲間の心を軽くする力は、戦う奴ら以上に貴重だからな」
「……ほんとに?」
エフィナが目を輝かせると、親父さんは軽く頷いた。
「ただし」
親父さんは俺へ視線を移す。
「縄や松明だけじゃねぇ。今回は未知の魔物相手だ。いざって時に立ち回れる仲間も必要だろう」
ユナが頷きながら言う。
「村に残ってる冒険者の何人かなら協力してくれると思う。私から声をかけてみる」
俺は小さく息を吸い、真剣に頷いた。
「じゃあ……食料と道具は俺とユナで、仲間の呼びかけはユナ。エフィナは……みんなを元気づける」
「うん!まかせて!」
エフィナは胸を張る。
マスターは腕を組み、静かに全員を見渡した。
「よし。じゃあ明日から動け。根っこの下の魔物退治はすぐにどうこうできるもんじゃねぇ。準備をしっかり整えて、必ず生きて帰ってこい」
その声に、三人は力強く頷いた。
ーユナー
翌朝、ユナは肩掛け袋を提げて村の広場を歩いていた。
広場では、数人の冒険者が荷物をまとめていたり、鍛錬していたりと、それぞれ忙しそうだ。
「ちょっといい?」
ユナが声をかけると、二人の冒険者が振り返った。
「お、ユナちゃんか。なんだ?」
「今度はあなた達も一緒に依頼に行くの?」
ユナは小さく息を整え、真剣な目を向ける。
「……森の奥の大樹の根に、魔物が住み着いてるらしいの。放っておいたら森全体に被害が広がるかもしれない」
冒険者たちは互いに顔を見合わせる。
「……危険だな」
「でも、ユナちゃんがそこまで言うってことは……ただの噂じゃなさそうだ」
ユナはきっぱりとうなずいた。
「本当に危険かどうかは分からない。でも、放置するわけにはいかないの。私達だけじゃ力が足りないから、協力してほしいの」
そのまっすぐな目に押され、冒険者達は少し笑みを浮かべた。
「しょうがねぇな。仲間が困ってるなら手を貸すさ」
「俺も行こう。ユナが言うなら無駄足じゃないだろうしな」
ユナは胸の前でぎゅっと手を握り、嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとう! 本当に助かるわ!」
ーカナトー
一方、俺は道具屋に来ていた。木の棚には縄や松明、薬草袋などが整然と並んでいる。
店主の老人が顔を上げる。
「おや、カナトじゃねぇか。今日は何を探しに来たんだ?」
「松明を十本、縄を三つ、それから油の入った小瓶もください。それと……もしあれば煙玉とかも」
老人は目を丸くし、にやりと笑った。
「ほぉ、ずいぶん本格的だな。狩りに行くにしては、やけに用意がいいじゃねぇか」
俺は少し困ったように笑う。
「……森で厄介な魔物が出たみたいで。まだ詳しくは言えないんですけど、念のため備えたくて」
「なるほどな」
老人は棚から品を取り出しながら、しみじみと呟いた。
「村のために動いてくれてるんだな。ありがてぇことだ」
「いえ、俺一人じゃ無理です。仲間やみんなのおかげですから」
老人は頷き、品を包みながら笑みを浮かべた。
「まったく……カナトは謙虚すぎるな。ほら、負けといたから、しっかり使ってこい」
俺は感謝を込めて頭を下げ、荷物を抱えて店を後にした。
ーエフィナー
エフィナは準備を任せられたその日、村の広場で子供たちに囲まれていた。
「ねぇねぇエフィナ、また魔物退治に行くの?」
「気をつけてね!」
エフィナは目を細めて笑い、子供たちに頭を撫でられながら答えた。
「うん。でも今度は、みんなと一緒にいっぱい準備してから行くから大丈夫!」
子供たちは目を輝かせて声を揃える。
「エフィナなら絶対勝てるよ!」
その言葉に、エフィナは胸がじんわり温かくなる。
(そっか……私の役目は、こうやってみんなを安心させることなんだ……)
彼女はにこにこしながら手を振った。
「ありがとう! 絶対に帰ってくるから、待っててね!」
ーカナトー
夜、酒場に三人が集まり、それぞれの成果を報告し合った。
ユナは仲間を二人確保し、俺は道具を揃え、エフィナは村の人々の心を安心させていた。
「……これで、準備は整ったな」
俺が小さく呟くと、ユナが頷く。
「明日、いよいよ森へ行くのね」
エフィナは椅子の上で両足をぶらぶらさせながら、満面の笑顔を浮かべる。
「うんっ!みんなで行けば、きっと大丈夫!」
親父さんは俺達三人を見回し、酒をひと口あおってから口を開いた。
「覚悟はできたようだな。なら……明日は気を引き締めて行け」
酒場に、静かな決意の空気が漂った。




