第30話:女の戦い
朝の光が畑を黄金色に染める。
俺は鍬を握り、額の汗を袖で拭った。
隣では村の年配の農夫がにやりと笑いながら声を掛けてくる。
「おお、力がついてきたな。前は鍬を振るだけで息を切らしてたのに」
「はは……まだまだです」
俺は苦笑しながらも、土を耕す手は止めなかった。
地味で単調な作業だが、戦場で死と隣り合わせの時よりも、確かに心が安らぐ。
村の井戸端ではエフィナの姿があった。
大きな桶に水を汲もうと背伸びするが、なかなか引き上げられずに四苦八苦している。
「ほらエフィナ、ちょっと貸してみな」
屈強な若者が代わりに引き上げ、水桶を軽々と地面に置いた。
「ありがと!」と笑顔で頭を下げるエフィナに、若者は耳を掻きながら照れ笑いを浮かべる。
別の老婆は、彼女の頭を撫でながらこう呟いた。
「ほんに不思議な子だねぇ……けど、もう村の子みたいなもんさ」
午後になると、酒場では再び日常のざわめきが戻っていた。
親父さんは大きなジョッキを磨きながら、いつものように冗談を飛ばす。
「ほらユナ、皿を割るなよ?こないだの戦いみたいに拳で叩き割るんじゃないぞ」
「誰が叩き割るのよ!」
ユナがぷりぷり怒りながら皿を重ねる横で、エフィナはテーブルの上を拭いて回る。
「エフィナちゃん、水もう一杯!」
「はーい!」
客の声に元気よく返事をして駆けていく姿に、店内の雰囲気も自然と和らいでいった。
俺も、畑仕事を終えて夕暮れ時には酒場の椅子に座ることが増えた。
村人達が楽しそうに談笑し、冒険者達が旅の話を肴に笑い合う。
その真ん中に、エフィナとユナがいて、親父さんが静かに見守っている。
戦いの日々は確かにあった。
だが、こうして普通の時間を積み重ねることで、彼らは「守り抜いたもの」の重さを改めて実感していた。
翌日の夕方
村の広場では、子供たちが駆け回り、焚き火の準備をする大人たちの声が響いている。
その一角、俺は井戸の近くで桶を持ち上げようと四苦八苦していた。
「よいしょ、……くっ、重っ……!」
「だーめだめー!」
横から元気いっぱいの声が飛び込んできた。
エフィナが駆け寄り、主人公の腕に抱きつくようにして顔を見上げる。
「カナト、わたしが手伝ってあげる!」
小さな両手で桶にしがみつくが、持ち上がるはずもない。
「いや、エフィナ……逆に重くなってる気がするんだけど……」
苦笑する俺に、エフィナは頬を膨らませ、首を横にぶんぶん振った。
「いいの!だって好きだから手伝いたいんだもん!カナトはわたしのだもん!」
その言葉に、周囲にいた村人たちが「おやおや……」と笑みを浮かべる。
子供が親に甘えるような無邪気な言葉に、皆の目尻が柔らかくなった。
「……あの子、ほんとに真っすぐだねぇ」
老婆が井戸端で水を汲みながら、にこにこと眺めていた。
そこへ、腕を組んで様子を見ていたユナがズカズカと近づいてきた。
「ちょっとエフィ!何を当然みたいに言ってるのよ!」
腰に手を当て、俺をちらりと横目で見ながら続ける。
「そ、そんなの……!カナトには、エフィなんかより私の方がずっと相応しいんだから!」
「えー!?ユナはズルい!だってユナは大人だし、強いし、かっこいいし……」
「……な、何よそれ」
「でも!好きなのは負けないもん!」
エフィナがぐいっと俺の腕にしがみつく。
ユナも顔を真っ赤にしながら、ぐっと俺の反対側の腕を取った。
「……べ、別に好きとかじゃないけど!カナトの世話なら、私の方が上手いんだから!生まれた時からずっと一緒にいるしね」
両側から引っ張られ、俺は右へ左へと揺さぶられながら困惑顔。
「え、えっと……ふたりとも?あの、桶……まだ持ち上げられてないんだけど……」
「「そんなの後でいいの!」」
声を揃えて言うエフィナとユナに、周囲の村人達はついに堪えきれず笑い声を上げる。
「まるで姉妹げんかだなぁ」
「いやいや、どっちも本気みたいだぞ」
「カナトもモテるようになったもんだ」
俺だけはこの時その言葉の意味に気づかず、ただ「なんで俺がこんな状況に……」と額を押さえるばかりだった。
酒場の奥、調理場からはジュウジュウと油のはぜる音と、香ばしい匂いが漂っていた。
「ふっふっふ、勝負よ!」
エプロン姿のユナがフライパンを振りながら、真剣な顔で隣の調理台を睨む。
「まけないもん!」
同じく頭に布を巻いたエフィナは、小さな体で必死に包丁を握りしめ、トントントンと野菜を切っていた。
……包丁が大きすぎて、まるで彼女が振り回されているようだが。
「ユナは塩入れすぎ!しょっぱくなる!」
「う、うるさいわね!カナトにはこれ位がちょうどいいの。エフィのは味が薄すぎるの!」
火花を散らす二人の間で、親父さんが汗をかきながらぼやいた。
「……おいおい、調理場は戦場じゃないんだぞ……」
数分後、俺の前に二つの皿が並ぶ。
「はいっ!カナト!わたしのカレー!大好きって気持ちをいっぱい込めたからね!」
「こっちは私の特製シチュー!疲れた体にぴったりだから、ぜったい美味しいんだから!」
俺は苦笑しつつスプーンを手に取った。
「えっと……どっちも食べるから、喧嘩しないでな……」
しかし両隣からじっと期待の眼差しを浴びせられ、額に汗を浮かべるしかなかった。
翌日
「ほらカナト、膝枕してあげるから!」
エフィナが芝生にどっかと座り、ぱんぱんと膝を叩く。
「……えっ、いや、別に疲れてるわけじゃないし、体格差が……」
俺の身長は170cm前後。それに比べエフィナは目測でも140cm無いくらいだ。
「いいから!好きだからやりたいの!」
無理やり頭を乗せられた俺は、されるがまま。
そこへユナがぷいっとやってきた。
「ちょっと!何やってんのよ!体格的にカナトは私の膝の方がいいし、柔らかいんだから!」
「ううん!私の方が好き好きだから柔らかいもん!」
「なにそれ!?意味分かんない!」
村人達がまた「おやおや……」俺達三人のやり取りを見て笑いながら眺めていた。
「……ふぅ、やっとひと息……」
湯気に包まれた浴場で背を流していた俺の背後に、不意に声がした。
「おーい、背中流してあげる!」
「なっ……!?」
振り向くと、桶を抱えたエフィナがにこにこと立っていた。
浴衣姿もはだけて、肩がちょこんと覗いている。
「ちょ、ちょっとあんた! 何やってるの!」
慌てて入ってきたユナも、薄着のまま桶を手にして顔を真っ赤にする。
「だ、だって……カナトの世話は私の役目でしょ!」
「やだ!わたしが先にやる!」
湯船の前で繰り広げられる押し問答に、俺は頭を抱えた。
「ここ数日一体何なんだ……頼むから落ち着いてくれ……俺はもうのぼせそうだ……」
その夜。
ベッドに倒れ込み、ぐったりとした俺は天井を見上げながら小さく呟いた。
「……いつになったら俺の平穏は訪れるんだ……」
部屋の外からはまだ、エフィナとユナの「次は何をするか」で言い合う声が響いていた。
俺は「勘弁してくれ」と思い二人の声を聞きながら眠りにつくのだった。




