第25話:エフィナを取り戻せ
玉座の間に響き渡るのは、禍々しい笑い声。
そこに立つのはエフィナの体を乗っ取った”影”。
紅い眼に宿るのは慈愛でも優しさでもなく、憎悪と狂気。
「来るがいい……お前達の刃で、この娘を切り裂けるならな!」
影が嘲笑うと同時に剣が突如現れ、エフィナの体が舞う。
その身のこなしは本来のエフィナのものではなく、研ぎ澄まされた殺意に満ちた剣戟。
「くっ!」
俺は短刀で受け流すが、衝撃で腕が痺れる。
「……これが……エフィナ……?」
俺の胸を、言いようのない痛みが締め付ける。
影は愉快そうに笑った。
「その顔……いい。絶望しながら守ろうとする愚かさ、最高だ」
ガルドさんが前に躍り出て剣を振るうが、影は身をひるがえし、まるで舞うように避ける。
「遅い!」
逆に脇腹へ鋭い蹴りが突き刺さり、ガルドが膝をつく。
「ガルド!」
ミリアさんが急ぎ祈りを捧げ、治癒の光を放つ。だが影は素早く跳躍し、その光を断ち切るかのようにミリアさんへ殺到する。
「させるかっ!」
俺が割り込み、必死に短刀で受け止めた。
火花が散り、刃が押し合う。
間近で見るエフィナの顔は涙を流していた。しかし、その瞳は影の紅に染まっている。
「……エフィナ!聞こえるだろ!俺だ!」
俺は叫ぶ。
「お前は俺達の仲間だ!一緒に笑っただろ!家で、酒場で、子供たちと、村で……!」
影が一瞬、動きを止めた。
「……あ……」
震える唇がかすかに動いた気がした。
「今の……!」
ユナが叫ぶ。
だが影はすぐに表情を歪め、憎悪を滲ませる。
「無駄だ……この小娘はもう我が器。お前達の声など届かぬ!」
そう吐き捨てると、さらに凶悪な力を解き放ち、俺は吹き飛ばされた。
床に叩きつけられながらも、俺は立ち上がった。
「届いたんだ……ほんの一瞬でも……なら、まだ……!」
「……試させて!」
ミリアさんが両手を組み、強い光を宿した。
「どうか……どうか、エフィナさんを……彼女の心を取り戻して!」
祈りの光が玉座の間を満たし、影に包まれたエフィナの胸へと注がれる。
その瞬間、エフィナの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「……いや……」
確かに、エフィナ自身の声が漏れる。
「エフィナ!」
俺は駆け寄った。
しかし、影は憤怒に顔を歪めた。
「やめろおおおおおおッ!」
黒い瘴気が爆ぜ、祈りをかき消した。
ミリアさんはよろめき、膝をついた。
「くっ……だめ、力が弾かれる……!」
再び、エフィナの体を操る影が襲いかかってくる。
俺達は彼女を傷つけまいと、ただ受け流し、防戦に徹するしかなかった。
「俺達を試してるんだろ……?だったら……絶対に、諦めない!」
俺の叫びが、血のように重く張りつめた空気に響く。
だが、影の笑い声は止まらない。
「いいぞ……なら、もっと苦しめ……守りたいものを守れぬ地獄を味わえ!」
玉座の間は、狂気と祈りと、必死の抵抗で満ちていった。
黒い瘴気が渦巻く玉座の間。
エフィナの体を乗っ取った“影”は、なおも俺達を嘲りながら刃を振るう。
俺が短刀で辛うじて受け止めるその横で、ユナが強く息を吐いた。
「……ったく、あんたばっかり頑張りすぎなのよ」
拳を握り、影に向かって踏み込む。
「エフィ!いっぱいお話ししたし、ご飯もいっぱい食べたじゃない!酒場で一緒に働いたじゃない!エフィのおかげでうちの店は活気づいたよ。時々うちに泊まって夜通し遊んだ事もあった。それが全部、嘘だったの!?」
ユナの拳が、まっすぐ影の胸へと突き出される。
だが、最後の瞬間に彼女は拳を緩め、わずかに逸らした。
「戻ってきてよ……私達友達でしょ!」
一瞬――影の顔が苦悶に歪む。
だが再び、紅い光が宿りかけた。
その隙を逃さず、ガルドさんが大地を蹴る。
「……エフィ」
その声は戦場の咆哮ではなく、静かに滲む後悔の響き。
「俺は仲間を救えなかったことがある……だから、二度と目の前の仲間を見捨てたくねえんだ」
剣を構え、影の動きを止めるようにぶつける。
重い衝撃が走り、床石が砕ける。
「……聞こえてんだろ。俺達はお前を諦めねぇ。どんなに憎悪に飲まれてもな。だから戻ってこい」
影の身体が揺らぎ、わずかに足を止めた。
ミリアさんは倒れ込んだまま、必死に再び祈りを紡ぐ。
「……エフィナさん、私はあなたと過ごした時間はほんの僅かだけど、お願い……あなたは優しい人。笑って、子供たちを抱きしめて……傷ついた人に、そっと布を差し出せる人……。私はそう思います」
その声は震えていたが、誰よりも真っ直ぐだった。
「だから……帰ってきて。そんなクソッたれなんかに負けないで!」
祈りに呼応するように、エフィナの頬を涙が伝った。
俺は、その涙を見逃さなかった。
「エフィナ……!ほら、みんなの声が聞こえるだろ!お前は一人じゃないんだ!」
影は耳を塞ぐように頭を抱え、声を荒げる。
「黙れ……!我は憎悪、野心!理性など……光など……!」
だがその身体は、確実に揺らぎ始めていた。
俺達の声が積み重なり、影に乗っ取られたエフィナは苦悶に顔を歪める。
耳を塞ぎ、しかし塞ぎきれず、低く濁った声と、細く震える少女の声が重なり合った。
「我は憎悪……我は破壊……!」
「やめて……こんなの、私じゃない……!」
二重の声が玉座の間に反響する。
俺は短刀を構えたまま、じっとその姿を見つめていた。
俺達の声は確かに届いている。あと一押し、そう感じた。
「エフィナ!」
俺は叫ぶ。
「お前が泣いた時、俺はそばにいた。笑った時も、怒った時も……俺は全部、見てきた!お前は“魔王の器”なんかじゃない! 俺達の仲間で……俺の、大事な友達だ!」
その言葉に、影の動きが完全に止まった。
紅い光に満ちていた瞳が揺らぎ、涙の光が一瞬、のぞいた。
ーエフィナ精神世界ー
視界が白く反転し、エフィナは虚無の中に立っていた。
そこは床も壁もなく、ただ暗黒と光が入り混じる空間。
目の前には、巨大な黒い影が立っている。
それは彼女自身の姿を歪めたもので、笑みを浮かべ、鎖のようなものを伸ばしてくる。
「戻れ……我に従え。お前は器、我が憎悪を宿すためのものだ」
「違う……わたしは……」
背後から声が聞こえた。
カナトの声、ユナの声、ガルドとミリアの声。玉座の間から届いている。
声はかすかで、すぐに影の咆哮に掻き消されそうになる。
「お前に居場所などない!人間はお前を恐れる!拒絶する!それが真実だ!」
黒い影の言葉が突き刺さる。
エフィナの膝が震え、視線が落ちそうになる。
だがその時、脳裏に浮かぶのは、村で過ごした日々だった。
酒場で皿を割って笑われた日。
子どもたちに花をもらった日。
カナトとユナと、くだらないことで言い合った日。
冒険者達が……、村のみんながここにいていいよと言ってくれた日。
そしてカナトが自分の”勇者”になってくれると言ってくれた日。
「……違う」
エフィナは小さく、だがはっきりと言葉を紡いだ。
「私の居場所は、ちゃんとある……!みんなの中に!」
その瞬間、鎖が弾け飛び、黒い影が怒りの咆哮を上げる。
「やめろォォォ……!」
光と闇がせめぎ合い、虚無の空間が激しく揺れる。
エフィナは小さな手を握りしめ、声を張り上げた。
「わたしはフィリア村のエフィナ!誰の器でもない!わたしは、わたしだ!」
ー玉座の間ー
轟音が響いたかと思うと、玉座の間に再び現実の光景が戻ってきた。
影の力に包まれていたエフィナの身体がふらりと揺れ、膝を折る。
その瞳からは、赤い光がすっと消え代わりに、透明な涙が零れ落ちた。
「……あ……」
震える声が漏れる。俺達は一斉に息を呑んだ。
俺が短刀を下ろし、ゆっくりと近づく。
「エフィナ……戻ってきたのか?」
エフィナは顔を上げ、涙に濡れた瞳で俺を見た。
小さく、だが確かな声で……。
「……ただいま」
その一言に、俺の胸の奥が熱くなる。
ユナが思わず目元を拭い、ぷいと顔を背けながら吐き捨てるように言った。
「ほんっと、心配かけすぎなんだから……ばか」
ガルドさんは無言で腕を組み、だが口元には僅かな安堵の影が浮かぶ。
ミリアさんは胸に手を当て、嗚咽を堪えるように目を閉じて祈った。
エフィナは肩で息をしながら、ぽつりぽつりと続ける。
「……中で、声が聞こえたの。『お前に居場所はない』って……すごく怖かった。でも……みんなの声が届いたんだ。私の居場所は……ちゃんと、ここにあるって」
俺はエフィナの両肩を支え、静かに頷く。
「そうだ。ここがお前の居場所だ。もう二度と迷うな。それに俺はお前の”勇者”になるって言っただろ?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、エフィナは小さく笑った。
その笑顔は、影に囚われていた時よりも何倍も眩しく見えた。




