第22話:フィリア村の攻防
時は少し遡りフィリア村では……。
旅立ったカナトたちの背を見送った翌日。
村は不穏な空気に包まれていた。森の方角からは時折、獣の唸り声や羽音のような音が響き、夜になると遠吠えが防
壁を越えて届く。
そして更に翌日、とうとう群れが押し寄せてきた。
少数の魔物が村に現れそうになったことは度々あったが、村に侵入された事はない。その前に冒険者が討伐してくれていたからだ。
だが、今回魔物数は確認できる範囲で100以上。ここまでの群れの規模はギルド冒険者達でも初めての事だった。
そしてフィリア村にとって村が襲撃されるのも初めての事だった。
「来るぞ!」
防壁の上から冒険者が声を張り上げると、村の鐘が鳴り響いた。
防壁の向こうに姿を現したのは、目を赤く光らせ、唾を垂らしながら咆哮する魔物の群れだった。
槍を構える戦士、矢を番える弓使い、詠唱に入る魔法使い。
冒険者達は防壁の隙間から次々と攻撃を繰り出し、突撃してくる魔物を食い止めた。
「押し返せ! 防壁を破らせるな!」
前線に立つギルド長が叫ぶ。その額には汗が滲んでいたが、声には一分の揺らぎもない。
戦っていたのは冒険者達だけではない。
防壁の裏では、村人達が慌ただしく動いていた。
桶に水を汲んで前線に届ける者、矢を運んで弓使いに手渡す者、傷を負った冒険者を肩で支えて後方へと運ぶ者。
「しっかり! 今、止血するから!」
若い娘が布を裂き、血を流す戦士の腕に巻き付ける。
村の隅、物資を運ぶ場で腰の曲がった老婆も手を休めずに布を裂いていた。
血に濡れた布を素早く水で洗い、傷ついた者の応急処置に備える。
「若い衆を前に出すなら、わしら年寄りが後ろを固めんといけんのじゃ」
老婆は震える手を隠すように、黙々と働き続けた。
一方、防壁の下。農具しか持たない農夫の男が、仲間と共に大釜を火にかけていた。
煮えたぎる湯に塩を混ぜ、魔物が迫るたびに防壁の隙間からぶちまける。
「これも立派な武器だ!」
湯気と悲鳴が上がり、魔物が後退するたびに、農夫たちは汗だくになりながら新しい湯を沸かし続けた。
戦えぬはずの子供たちもまた、自分なりの役目を果たしていた。
十歳ほどの少年が、必死に水桶を抱えて走り回り、負傷者に水を届ける。
「まだいけるでしょ!ほら、飲んで!」
年齢には似つかわしくない真剣な顔で声をかけるその姿に、大人の冒険者すら励まされた。
また別の少女は、村の広場で小さな子供たちを集めて歌を歌っていた。
怯えて泣く子供を安心させるための歌声は、戦場の緊張をわずかに和らげる力を持っていた。
子どもたちも怯えながらも走り回り、矢羽を集めたり、薬草を抱えて母親の元に届けたりしている。
「僕にもできることがあるんだ!」
その小さな声に、周囲の大人たちが思わず笑みを浮かべ、力を取り戻していく。
前線では、ギルド長が槍を振るいながら叫ぶ。
「踏ん張れ!防壁はまだ持つ!」
大柄な戦士が防壁をよじ登ろうとするオーガを盾で押し返し、弓使いがその隙に矢を射ち込む。
魔術師の一人は魔力切れで倒れ込みそうになるが、村人の少年が支えて水を差し出した。
「ありがとう、坊主……まだ、やれる!」
人と人が繋ぎ合うその瞬間、村全体が一つの力となっていた。
戦いは長引いた。
何度も防壁が軋み、突破されかけたが、その度に冒険者と村人が踏ん張り、互いを支え合った。
やがて、最後の魔物が討ち倒されると、村には重苦しい静寂が戻る。
負傷者は多かったが、誰一人欠けることなく守り抜いたのだった。
老婆は血に染まった手を震わせながらも誇らしげに微笑み、農夫は煤だらけの顔で大きく息を吐いた。
そして子供たちは、泣き笑いしながら大人に抱きしめられる。
「……やったな。守りきった」
ギルド長の低い声が、村中に響き渡った。
村全体が大きく安堵のため息を漏らした。
倒れ込む冒険者の肩を村人が抱え、子どもが布切れを手渡す。
互いに疲弊していたが、その顔には「一緒に乗り越えた」という確かな絆が宿っていた。
ギルド長は槍を杖のように突き立て、静かに村を見渡した。
村にようやく静けさが戻った。
防壁の上から矢を構えていた冒険者達は、次々に弓を下ろし、重く息を吐いた。
後方では、村人達が傷を負った仲間を運び、子どもが震える手で水を差し出す。
その姿は疲弊しきっていながらも、どこか誇らしげだった。
ギルド長は、荒い息を整えながら、戦いを支えた者達を改めて見渡した。
その瞳には、炎に照らされた人々の顔が映っている。
「皆の者、よくやった」
低く、だがはっきりと響く声。
「勇者がいなくなった後でも、人は勇者になれる。剣を振るった者も、矢を射った者も、支えた者も、声をかけ合った者も、ここにいる全員が、今日この村を守った勇者だ」
その言葉に、冒険者も村人も、誰もが胸を張るように顔を上げた。
互いに肩を叩き合い、安堵の笑みを浮かべる。
「俺達が守ったんだな……」
「うん、この村は……まだ大丈夫だ」
静かな夜の風が吹き抜ける。
血と汗にまみれたその場に流れるのは、不思議と温かな空気だった。
攻防戦、翌日。
俺達は、魔王城にかなり近づいていた。
重苦しい雲が垂れ込め、昼だというのに薄暗い。
魔王城は、まるで空そのものを呑み込むように黒々とそびえ立っていた。
近づくにつれて肌を刺すような圧迫感が強まり、誰もが無言で足を進める。
「……ここまで来たな」
ガルドさんが剣の柄を握り直し、鋭い眼差しで城門を睨む。
その隣で、ミリアさんが静かに祈りを唱えるように目を閉じた。
ユナは深呼吸をして、拳をぎゅっと握る。
「この前より”瘴気”が更に濃くなってる。でも怖いとか、そんなの言ってる場合じゃないわね」
俺も喉が渇くのを感じていた。
短刀を腰に確かめながら、心臓が早鐘のように鳴っている。
それでも足を止めなかったのは、隣にいる仲間達の存在があったからだった。
ふと、エフィナが立ち止まり、城門を見上げる。
彼女の瞳には、どこか懐かしさにも似た光が宿っている。
「……呼んでる。もう、はっきりとわかる。でも、この前とは”別の声”も同時に混ざって聞こえてくる」
声は震えていなかった。むしろ、その響きには覚悟が滲んでいた。
冒険者の一人、前衛の戦士が前に出て大声を上げた。
「ここから先はもう後戻りできねぇ!行くぞ、みんな!」
その言葉を合図に、全員が一斉に頷く。
ギルドから加わった魔法使いが杖を掲げ、光の魔法で周囲を照らし、シーフが先行して罠の有無を確認し始める。
ガルドさんは俺の肩を軽く叩いた。
「この前は力及ばず、敵前逃亡したが、俺達は力をつけた。今度こそ終わらして、エフィを助けるぞ」
「そして、お前ももう立派な俺達の仲間だ。胸を張れ」
その言葉に背中を押されるように、俺は深く息を吸い込んだ。
重々しい音を立てて、錆びついた魔王城の扉が開かれる。
闇の中から吹き出すような瘴気が押し寄せ、焚き火の残り香のように肺を焼いた。
「行こう」
エフィナの声が、静かに全員を導く。
俺達は光を掲げながら、黒き城の内部へと足を踏み入れていった。




