第14話:それぞれの課題
魔王城から戻って数日。村には再び日常が戻ったように見えた。
子供達は畑道を駆け回り、女たちは井戸端で笑い声を交わし、男たちは畑を耕す。
だが、空気の底には、誰もが口に出さない「恐怖」と「不安」が沈殿していた。
魔王城はそこにあり続けている。いつ牙を剥くかもわからないまま。
勇者が魔王を討伐するまでの前回は村が襲われる事はなかったが、今回も襲われないとは限らない。
昨日の夜の集会所での会議。
ガルドさんは地図を広げ、声を低くする。
「このままじゃ村ごと飲み込まれる。俺とミリアは村を出る。周辺の街や冒険者ギルドに呼びかけ、共闘できる奴らを探す」
ミリアさんもうなずく。
「魔物の凶暴化は、もはや一地域の問題ではありません。信仰や秩序のためにも、外に知らせなければ」
ユナが不安げに問う。
「……でも、二人だけで?」
「行くしかねえ」
ガルドさんの答えは簡潔だった。
そして今日、ガルドさんとミリアさんは旅立った。
俺は普段の畑仕事や困ってる村人の手伝いなどもこなしつつ、残ってくれた冒険者達と村の防壁を整えた。
防壁に必要な石材や木材の運搬などをこなし、体力作りに勤しんだ。
でもいつ襲われるか分からない恐怖と焦燥感は拭いきれずにいた。
何より何もできない自分が不甲斐なかった。
「俺も強くなりたい。でも、修練したところで……俺はただの村人だ。きっと間に合わない」
悔しさを押し殺した声に、ユナがそっと微笑む。
「それでも……カナトにしかできないこともある。村を守ること、みんなを支えること。戦うだけが力じゃない」
エフィナも首をかしげながら言葉を重ねる。
「ごはん作ってくれるのも、笑ってくれるのも、守るのと同じだよ」
俺はその言葉に苦笑しつつも、心の重さが少しだけ和らぐ。
そこに親父さんが現れた。
「焦っても仕方ない。ガルド達が戻ってくるまでの間、お前が出来ることをコツコツと積み重ねていくしかない。いきなり強くなるなんて、そんな都合がいい事は起こらん」
「はい」
「明日から、俺とユナが早朝に鍛錬してやる」
親父さんがそう言うと、ユナがニコッとした。
「さすがに私より弱いままってわけにはいかないでしょ?」
「誰が弱いって?」
俺は少し不機嫌になりユナに近づいたて肩を掴んだが腕を簡単に捻りあげられた。
「いてててて」
「ほら弱いじゃない。誰の娘だと思ってるの?あんたなんて並の冒険者に比べたら、赤子同然よ」
ユナは腰に手を当て勝ち誇った顔で俺を見た。
「自分の今いるところの立ち位置を知れ。自分の実力も分からん馬鹿は早死にするだけだ」
親父さんに言われ俺は何も言い返せなかった。
「分かりました。明日からよろしくお願いします」
俺は頭を下げた。
家に帰った俺は待っていたエフィナに鍛錬の事を話した。
「そっか、頑張ってね。わたしも応援する」
エフィナは俺の腰あたりに抱きついてきた。
「ありがとう」
俺はそんなエフィナの頭を優しく撫でた。エフィナはとても嬉しそうだった。
まだ陽が昇りきらない早朝。村の広場は白い霧に包まれていた。
俺は短い木刀を握り、構えを取る。向かい合うのは親父さん。年を重ねてもなおがっしりとした体躯で、構えに隙がない。
「構えろ」
親父さんの声と同時に、木刀が振り下ろされる。
俺は慌てて受け止めるが、衝撃に腕がしびれる。
「握りは悪くない。ただ、腰が浮いてる。踏ん張れ。足で支えろ」
体勢を直そうとした瞬間、またも木刀が叩き込まれ、俺は地面に転がった。
息を吐きながら立ち上がると、横から軽快な声が飛んでくる。
「だから言ったでしょ。腰が高いって!」
ユナが広場の石畳に素足で立ち、拳を構えていた。
武闘家みたいな型を取るユナは、軽やかに踏み込むと俺の背後に回り込み、肘で軽く押す。
「ほら、体がふらつく。重心が真ん中にない証拠」
「……言葉で言うのは簡単なんだけどな」
「体で覚えなきゃ意味ないのよ!」
ユナはそのまま俺の背を押し、低い姿勢を強制する。
「ほら、もっと腰を落として。畑仕事するときと同じ要領よ。土に足を埋める気持ちで!」
俺は短い木刀を構え直し、必死に踏ん張る。
だが次の瞬間、親父さんの木刀が鋭く振り下ろされ、衝撃で再び尻餅をついた。
「お前、素直でいいが……体がまだ付いてこねえな」
「……畑耕す方が向いてる気がする」
弱音を吐いた俺に、ユナがくすっと笑う。
「畑だって、力任せじゃなく体の使い方で収穫が変わるのよ。戦いも同じ。ね、お父さん?」
「その通りだ」
親父さんは木刀を肩に担ぎ、低い声でうなずいた。
「畑を守る腕と、仲間を守る腕は地続きだ。お前の手は弱くない。後は覚悟だ」
俺は額の汗を拭いながら、歯を食いしばる。
「……なら、もう一度お願いします」
親父さんは口の端をわずかに上げ、木刀を構え直した。
ユナも横で拳を握り、応援するように笑う。
「そうそう。その気持ちが大事!」
「頑張れ〜カナト」
エフィナが少し離れたところから応援してくれていた。
「ほらほら、あんたのお姫様が応援してくれてるんだから、男見せなさいよ」
ユナは茶化しつつも、蹴りや拳を突き出してくる。
そんな攻防をしばらく続けていると村人が走ってきた。
「た、大変だ! 畑に猪がっ!」
一行は顔を見合わせ、慌てて駆け出す。
畑にたどり着くと、そこには黒々とした毛並みの巨大な猪がいた。
鼻先で畝を掘り返し、作物を荒らし回っている。
村人達は遠巻きに見て、誰も近づけない。
「くそっ……!」
俺は咄嗟に鍛錬に使っていた短い木刀を構え、猪の前に立ちはだかった。
「やめろっ!」
短い木刀を振り下ろすが、猪は怒り狂ったように突進してくる。
次の瞬間、俺の体は土に叩きつけられ、肺から空気が抜けた。
「っ……!」
立ち上がろうとするが足が震える。
猪はそのまま俺に突進してきた。
俺は駄目だと思い目を閉じてしまった。
「目を逸らすな!!」
猪の横っ腹を親父さんが木刀で薙ぎ払い、猪は少しよろけ、動きを止めた。
ターゲットを親父さんに変えた猪を見て俺は前に飛び出し突進する。が、猪はびくともしなかった。
その瞬間、周りで見ていた村人達が声を上げ、数人が縄を持って駆け寄り、猪をぐるぐると縛り上げていく。
やがて猪は疲れ、地に伏した。
俺は息を切らし、膝をついたままその光景を見ていた。
自分の力では止められなかった。だが親父さんと村人の協力があったから、畑は守られた。
親父さんが近づき、肩に手を置く。
「痛い目を見て、学んだろう。お前は一人で戦う必要はない。仲間がいれば猪も退けられる。忘れるな」
ユナは俺に手拭いを渡して、にやりと笑う。
「まだまだね。これじゃあ先が思いやられるわ」
主人公は悔しさ半分、安堵半分の息を吐き、空を仰いだ。
「……次は、少しでも踏ん張ってみせるさ」
遠く、魔王城の影が霞の向こうに見えた。
その存在を意識しながら、俺は小さな一歩を感じていた。




