第9話「精霊の森」
エルナの案内で、リュシアとガルドは村の北へ向かって歩いていた。
空気は澄み、陽光はやわらかく、土と草の匂いが心地よい。
けれど、エルナはときおり、道端の影に身を隠すようにして歩いた。
村人たちの視線を避けるためだ。
リュシアは、それに何も言わなかった。
(わかる……)
自分も、魔力を失った途端、世界が変わった。
人の目が変わった。
異端として見られる孤独は、骨の髄まで痛いほど知っている。
隣を歩くガルドが、ぼそりと呟く。
「……あの子には、何か事情があるな」
リュシアは、前を向いたまま答えた。
「私も、同じだよ」
ガルドはそれ以上、何も言わなかった。
やがて、森の入り口にたどり着いた。
普通の森とは、どこか違った。
木々は太く、古く、苔むした幹には精緻な文様が浮かんでいる。
葉の一枚一枚が、光を受けてきらめき、風にそよぐたびにささやき声のような音を立てた。
森の中は、まるで時間の流れさえ違うようだった。
エルナは、森に入ると急に表情を和らげた。
「ようこそ、精霊の森へ」
翡翠色の瞳が、微笑んでいた。
リュシアは、ふと周囲を見渡す。
何かがいる——そんな気配を感じた。
だが、目には見えない。
「エルナ……何か、いるの?」
リュシアが尋ねると、エルナは頷いた。
「見えないかもしれないけど、たくさんいるよ。森の精霊たち」
そう言って、エルナは何もない空間に向かって、そっと手を振った。
すると——
リュシアの髪が、ふわりと舞った。
風が、まるで応えるように彼女たちを包み込む。
「……!」
リュシアは、驚きに目を見開いた。
(確かに、何かが……)
かつては、魔力を通して確かに感じられた存在。
今は、わずかに、気配だけ。
それでも、それはとても懐かしく、心が震えるような感覚だった。
ガルドは、眉をひそめた。
「俺には、さっぱりだな」
エルナは、くすりと笑った。
「大丈夫。見えないからって、拒絶されてるわけじゃないよ」
森を進むにつれ、空気はどんどん神秘的になっていく。
木漏れ日が差し込む道。
淡く光る花々。
葉の隙間から差し込む光に、小さな粒子のようなものが舞っている。
(ここは……生きてる)
リュシアは、そんな感覚を覚えた。
やがて、森の中心部にたどり着く。
そこには、一本の巨大な古代樹が立っていた。
幹は人の何十倍もの太さ。
枝は空を覆うほどに広がり、まるで森そのものを支えているかのようだった。
その根元に、エルナは静かに跪く。
「……精霊たち。私たち、助けが必要です」
エルナが静かに語りかけると、空気が震えた。
リュシアには、声は聞こえなかった。
だが、確かに、何かが応えている気配があった。
エルナが目を開き、微笑む。
「森が教えてくれた。最近、この森にも闇が忍び寄ってるって」
「闇?」
ガルドが眉をひそめた。
エルナは、小さく頷いた。
「北側の古い洞窟。そこから、邪悪な魔力が漏れ出しているみたい」
リュシアは、拳を握った。
(魔族……)
おそらく、森の精霊たちを脅かしている存在。
放っておけば、村にも被害が及ぶだろう。
エルナは、リュシアを見つめた。
「行くの?」
「もちろん」
リュシアは即答した。
「魔法がなくても、私は……守りたい」
エルナは、ふわりと笑った。
「……ありがとう」
ガルドも、剣の柄に手をかけながら頷いた。
「行くぞ。無茶はするなよ」
リュシアは、にやりと笑った。
「任せて。今度は、ちゃんと連携するから」
三人は、森の奥へと歩き出した。
背後で、精霊たちがそっと、彼らの背中を押していた。




