第7話「最初の試練」
翌朝。
王都の冒険者ギルド、依頼掲示板の前。
リュシアとガルドは並んで立っていた。
掲示板には、大小様々な依頼書がびっしりと貼られている。
「F級……F級……っと」
リュシアは、眉をひそめながら探していた。
最高ランクだった自分が、最低ランクの仕事を選ぶ屈辱。
それでも、今の自分にできることをやるしかない。
「これだ」
リュシアが選んだのは、小さな依頼だった。
——『王都近郊の森で、畑を荒らす大型イノシシを討伐してほしい』
報酬は、銀貨数枚。
生活するにもギリギリの額だ。
「……こんな、雑魚狩りみたいな依頼」
リュシアは、無意識に口をつぐんだ。
かつては国家級の脅威を相手にしていた自分が、今や獣相手だ。
だが、ガルドはそんな彼女をじっと見つめて言った。
「今のお前に必要なのは、プライドじゃない。実績だ」
リュシアは、拳を握りしめた。
「わかってる……」
顔を上げた瞳には、迷いはなかった。
こうして二人は、最初の依頼を受けた。
***
王都郊外の森へと続く道。
陽光に照らされた森は、緑がまぶしく、鳥のさえずりが響いていた。
だがその静けさの奥には、害獣の脅威が潜んでいる。
「剣の持ち方、見せてみろ」
歩きながら、ガルドが言った。
リュシアは素直に剣を構える。
「……力みすぎだ」
ガルドは、リュシアの手首を軽く叩いた。
「剣は力で振るものじゃない。技と知恵で振るうもんだ」
リュシアはむっとしたが、黙って頷いた。
歩きながら、ガルドは基本の立ち方、剣の握り方、体重移動のコツを教えていった。
リュシアは必死でそれを吸収しようとする。
(魔法に頼らない戦い——こんなに、地道なものだったんだ)
汗が額を流れる。
それでも、剣を握る手を離さなかった。
***
森の中。
リュシアとガルドは、害獣の痕跡を探していた。
足跡。
泥に残る擦れ跡。
木の皮に残る噛み跡。
かつて魔法感知で一瞬だった作業を、今は地道に行わなければならない。
(なんて……面倒なんだ)
そう思いながらも、リュシアは諦めなかった。
やがて、茂みの奥からガサリ、と音がした。
「来るぞ」
ガルドが低く告げる。
次の瞬間——
巨大なイノシシが飛び出してきた。
普通のイノシシの三倍はある。
獰猛な牙を剥き出しにし、怒声のような鳴き声を上げて突進してくる。
リュシアは一瞬、体がすくんだ。
(でかい……!)
「動け!」
ガルドの怒鳴り声に、リュシアは咄嗟に飛び退いた。
イノシシの突進が地面をえぐり、土煙が舞い上がる。
リュシアは剣を構え直したが、剣先が震えていた。
(今なら、魔法で一撃なのに……!)
思わず、ない力にすがりたくなる。
だが、それはもうない。
イノシシが再び突進してくる。
リュシアは、必死に剣を振った。
だが、刃はかすり傷程度しか与えられなかった。
(だめだ……!)
牙が目前に迫る。
そのとき、ガルドが割って入った。
重い剣を振るい、イノシシの突進を受け流す。
「リュシア、退け!」
ガルドが叫ぶ。
リュシアは、悔しさに歯を食いしばりながら後退した。
「このままじゃ、勝てない」
森の中、肩で息をしながら、リュシアは言った。
ガルドも頷いた。
「無理に正面から行くな。知恵を使え」
リュシアは、ぎゅっと拳を握った。
(力だけじゃ、無理なら……)
(知恵で勝つ!)
周囲を見渡す。
地形、木々の配置、地面のぬかるみ。
(あれだ……!)
リュシアは、急いで指示を出した。
「地面に浅い穴を掘る!あの大岩まで誘導して!」
ガルドは、一瞬だけ目を見開き、すぐに動いた。
二人で素早く罠を作る。
土を掘り、葉で偽装する。
イノシシを誘い込み、大岩の陰に隠れる。
そして——
「今だ!」
リュシアの声と同時に、ガルドが囮役となり、イノシシを引き寄せた。
突進してきたイノシシは、地面の穴に足を取られ、バランスを崩す。
そこへ、リュシアが跳び込んだ。
「はああああっ!」
全身の力を込めて、剣を振り下ろす。
ガツン!
鈍い音と共に、イノシシの額に剣が突き立った。
巨体が、ぐらりと揺れ——
——どさり。
イノシシは、動かなくなった。
「……やった」
リュシアは、膝から崩れ落ちた。
疲労と安堵が、同時に押し寄せる。
ガルドが近づき、無言で彼女の頭を軽く叩いた。
「よくやった」
短い言葉だったが、重みがあった。
リュシアは、涙が出そうになるのを必死で堪えた。
(私は……魔法がなくても……)
(戦える)
初めて、自分の力で勝った。
それは、何にも代えがたい小さな誇りだった。
***
その夜。
王都の小さな宿屋の一室。
リュシアは、銀貨数枚を手のひらに乗せ、じっと見つめていた。
(これが……私が、自分で稼いだお金)
たったこれだけ。
だが、それは世界で一番重く、尊いものだった。
リュシアは、そっと銀貨を握りしめた。
窓の外には、満天の星空。
その光の下で、リュシア=フェルディナンドは、小さな小さな一歩を踏み出した。




