第56話「水の神殿の内部」
透明な水のカーテンをくぐり抜けた瞬間、リュシアたちは思わず息を呑んだ。
目の前に広がるのは、まるで夢の中にいるかのような幻想的な世界だった。
床は透き通った水晶のように透明で、その下を悠然と流れる水が、かすかに青い光を放っている。
壁面には絶え間なく清らかな水が流れ落ち、天井からはきらめく細かな水滴が舞い降り、光を受けて星のように輝いていた。
「…ここは……」
エルナがそっと呟く。
その声もまた、空間に吸い込まれるように柔らかく消えていった。
「建物というより、生き物みたいだな。」
ガルドが低く唸るように言った。
ザックは目を輝かせながら歩みを進め、壁の水流に手をかざした。
「驚異的だ…。これは単なる建築物ではない。おそらく、魔法的な生命体に近い存在だろう。」
まるで水そのものが意志を持って、祠全体を生み出しているかのようだった。
リュシアは、静かに立つ水の守護者ナイアを見つめた。
彼女は微笑み、青白いローブを揺らしながら、さらなる奥へと歩き出す。
「ついてきなさい。」
言葉は優しく、しかしその奥に強い意志が感じられた。
リュシアたちは無言で頷き、彼女のあとに続いた。
***
やがて、神殿の中央に辿り着く。
そこは広く、天井が高く、中央には円形の水盤が設置されていた。
その水面は鏡のように滑らかで、天井の星光を映している。
ナイアは水盤の前で立ち止まり、静かに語り始めた。
「七つの封印の中でも、この『水の祠』は特別な役割を持っている。
風は動きを、炎は力を、そして水は――記憶を司る。」
リュシアたちは、真剣な面持ちで耳を傾けた。
「あなたたちがこれまで修復してきた風と炎の封印は、それぞれの力の均衡を保つためのものだった。
だがこの水の封印は、単に力を封じるのではない。
『記憶』――過去の想い、罪、希望、そして絶望。それら全てを沈め、守るためのものだ。」
ナイアの言葉に、神殿全体が静かに応えるかのように、水の流れがわずかに高鳴った。
「……封印は、やはり弱っているのですか?」
リュシアが尋ねると、ナイアは静かに頷いた。
「ええ。しかし、あなたたちが修復してきた二つの封印により、状況はわずかに好転している。
だが――」
そこで言葉を切り、ナイアは厳しい表情を浮かべた。
「何者かが意図的に、封印の力を乱している痕跡がある。
『アルカード』――その名は、他の守護者たちからも聞かされている。」
空気が緊張で張り詰めた。
リュシアは唇を引き結び、しっかりとナイアを見返す。
「彼の目的は……いったい何なのでしょうか?」
「まだ全ては分からない。だが、彼は封印を破壊するだけでなく、ある種の“目覚め”を望んでいるようだ。」
ナイアは水盤に視線を落とし、そこに揺れる自らの影を見つめた。
そして、いよいよ試練の説明が始まる。
「この水の祠の封印にたどり着くためには、あなたたち自身が試されなければならない。
それが『記憶の水』による試練だ。」
ナイアの言葉に、四人は静かに頷いた。
「『記憶の水』は、あなたたちの心の奥底に隠された真実を映し出す。
それと向き合い、受け入れることができた者だけが、封印の間へ進むことを許される。
もし、真実から目を背ければ――二度とこの世界へ戻ることはできない。」
厳粛な空気が流れる。
それでもリュシアは、迷いなく口を開いた。
「どんな真実でも、私たちは受け入れます。」
その言葉に、ガルド、エルナ、ザックも静かに頷いた。
「よろしい。」
ナイアは微笑み、彼らをさらに奥へと導いた。
やがて辿り着いたのは、青白く輝く大扉の前だった。
扉の先に、それぞれの「記憶の水」が待っている。
「ここから先は、一人ずつしか進めない。」
ナイアが静かに告げる。
「成功すれば、またこの先の封印の間で再会できるだろう。」
リュシアは振り返り、仲間たちの顔を一人一人見た。
そして、力強く言った。
「どんな結果でも、私たちは仲間です。
必ず全員で戻ってきましょう。」
ガルドが深く頷き、エルナが微笑み、ザックが小さく笑った。
順番はリュシアが最初と決めた。
震える心を押さえ、彼女は青白い扉に手を伸ばす。
静かに開いた扉の向こうに広がる、青い光の世界。
リュシアは一度だけ深く息を吸い込み、そして――
迷いなく、その中へと足を踏み入れた。




