第52話「港町の秘密」
ブルーヘイブン――。
それは、王都から三日間かけて辿り着いた、賑やかで自由な港町だった。
白い石造りの建物が並び、海風に旗がはためき、潮の香りと魚介の匂いが混じり合う。
「ここが……」
リュシアは、初めて見る海辺の町に目を輝かせた。
港には大小さまざまな船が並び、荷揚げに忙しい商人たちの怒号が飛び交っている。
「活気があるな」
ガルドが腕を組み、周囲を見渡す。
「まずは宿を取って、それから船の手配ね」
エルナが実務的に提案し、ザックがうなずいた。
「そうですね。航海は最低三日。しっかり準備しておかないと」
四人は賑わう港町の通りを抜け、評判の良い宿「シーラグーン亭」に荷を下ろした。
***
船の手配は、港湾局の事務所で行われた。
事務所には、がっしりした体格の事務官が待っていた。
「水の祠のある孤島へ行きたい、だと?」
事務官は目を丸くした。
リュシアが王国からの任命状を見せると、さらに顔をしかめた。
「無理だな。あそこは《禁海域》だ。近づく船はまずない」
「どうしてですか?」
リュシアが問いかけると、事務官は渋い顔で答えた。
「……あの島には、海の怪物が出るって話さ。近づいた船は沈んだって噂もある」
ガルドが腕を組み、低くうなる。
「そんな怪物、本当にいるのか?」
「さあな。ただ、誰も近づかないことだけは確かだ」
困ったリュシアたちに、事務官は言った。
「一応、船長たちに聞いてみる。だが期待しないことだな」
***
その夜、四人は手分けして情報収集に乗り出した。
リュシアとガルドは港の酒場へ、
エルナは港の精霊たちと交信し、
ザックは資料館で過去の記録を探った。
***
酒場は、荒くれた船乗りたちで賑わっていた。
リュシアは腰に《蒼銀の刃》を下げ、堂々とカウンターに座った。
「水の祠の島について知りたいんだけど」
周囲の男たちがどっと笑った。
「嬢ちゃん、死にに行く気か?」
「昔、あそこに近づいた船があったがな――嵐に巻き込まれて木っ端みじんだ」
「海の底には、化け物が棲んでるって話だぜ」
リュシアは眉をひそめた。
ガルドは無言で背後に立ち、威圧的な空気を放っている。
それ以上からかわれることはなかった。
***
一方、エルナは港の外れで、潮風に乗る小さな水の精霊たちと話していた。
『あの島は……すごく古くて、静かで、でも……悲しい場所』
『昔は精霊たちも住んでた。でも、今は……』
『何か怖いものが、島の奥にいる』
精霊たちのささやきは、不吉な予感を含んでいた。
***
ザックは港の資料館で、古い航海日誌を発見した。
「……なるほど。かつては島に、聖職者たちが定期的に訪れていたらしい」
「だが百年前を境に、誰も近づかなくなった……?」
彼は古い地図を丁寧に写し取り、宿へ戻った。
***
夜、宿に戻った四人は情報を持ち寄った。
「確かに、島には何かある」
「そしてそれは、人々を遠ざけるほど強い影響力を持っている」
「でも、私たちは行かなきゃならない」
リュシアの言葉に、誰も異を唱えなかった。
***
翌朝、港湾局から連絡が来た。
「キャプテン・マリオン――あの島に行ったことのある唯一の船長だ」
指定された酒場で、リュシアたちはマリオンと面会した。
日焼けした肌、鋭い青い目、そして波に揉まれたような強靭な雰囲気。
「若い頃、一度だけ行った。二度と行きたくない場所だ」
マリオンは厳しい口調で言った。
リュシアは真っ直ぐに言った。
「世界を守るために、あの島へ行く必要があるんです」
マリオンは目を細めた。
「……信じられる理由は、それだけで十分だ」
条件は、特別報酬と、万が一に備えた準備。
交渉はまとまり、三日後に出航することが決まった。
***
だが、宿に戻る途中――
リュシアたちは町の空気の変化に気づいた。
通り過ぎる人々が、ちらりと彼らを見ては、小声で話す。
「何か、広まってる……」
ガルドが低くつぶやく。
宿の主人がこっそり耳打ちしてきた。
「気をつけな。お前たちのこと、港中に噂になってる。
『伝説の宝を狙う連中』だとか、『七賢者の使いだ』とか」
リュシアは顔を曇らせた。
「誰かが……情報を流した?」
港町には、商人だけでなく、海賊、密売人、魔族の手先まで紛れている。
油断はできない。
***
その夜、宿の裏口からキャプテン・マリオンがやってきた。
「話がある」
彼女は低い声で言った。
「水の祠の島には、《水の心臓》という宝石がある。
それは封印の核――お前たちの目的でもあるはずだ」
「私たちは、封印を修復しに行くだけです」
リュシアが答えると、マリオンは満足げに頷いた。
「ならいい。だが、他の連中は違う。
金目当てに動く奴らもいる。魔族の手先も、な」
「……警戒を強めましょう」
エルナが小さく言った。
マリオンは真剣な顔で言った。
「港を出たら、もう後戻りはできない。覚悟しておけ」
リュシアは頷いた。
「――ええ。覚悟は、とっくにできています」
嵐の海も、未知の島も、恐れる理由はなかった。
彼女の中にあったのはただ一つ。
使命を果たすという、揺るぎない意志だけだった。




