第5話「冒険者ギルドでの新出発」
石畳の大通りを歩き、リュシアは冒険者ギルドの巨大な建物の前に立った。
厚い扉の上には、堂々と『王都冒険者ギルド・本部』と刻まれた金属製の看板が掲げられている。
朝の陽光を受けて鈍く光るその文字は、まるで新たな世界への門を示すかのようだった。
リュシアは一つ深呼吸して、扉を押し開けた。
——ギィィ。
中から溢れる喧騒に、わずかに身をすくめる。
そこは、混沌と活気のるつぼだった。
剣士、弓使い、魔導士、獣人族、ドワーフ、ヒューマン。
ありとあらゆる種族と職業の冒険者たちが集い、依頼の貼られた掲示板に群がり、酒をあおり、取っ組み合いを始める者すらいた。
(……これが、私の新しい世界)
リュシアは、鞄の紐を握り直すと、まっすぐにカウンターへ向かった。
受付には、茶髪の女性職員が座っていた。
整った顔立ちに、手馴れた仕草。慌ただしいギルド内でも落ち着き払っている。
「冒険者登録をしたいんですが」
リュシアがそう告げると、職員はにこやかに微笑んだ。
「はい、初登録ですね。お名前と年齢、戦闘経験をお書きください」
手渡された書類に、リュシアは迷わずペンを走らせる。
——リュシア・フェルディナンド。
——十五歳。
——戦闘経験あり。
魔法適性の欄は、ほんの一瞬だけペンが止まった。
しかし、リュシアは迷わず「なし」と記入した。
(魔法は……もうない)
書き終えた紙を返すと、職員の目がふと止まった。
「……リュシア・フェルディナンド……?」
小さくつぶやき、顔を上げる。
一瞬、驚きがその表情に浮かんだが、すぐに事務的な微笑みに戻った。
「ありがとうございます。では、簡単な登録試験を受けていただきます」
リュシアは黙って頷いた。
***
訓練場。
裏庭に作られた広い空間では、模擬戦用の訓練が行われていた。
リュシアの相手を務めるのは、筋骨隆々の中年剣士。
教官として長年務める男で、腕に自信を持っているらしい。
「さぁ、かかってこい。基礎だけ見せてもらう」
教官が簡素な木剣を渡してくる。
リュシアは受け取り、構えを取った——が。
重い。
(こんなに……剣って、重いんだ)
かつては、魔力の補助で軽々と持ち上げられた剣。
今は、体力だけで支えるしかない。
リュシアは、無理やり力を込めた。
気合いとともに一歩踏み込み、剣を振るう——
しかし、教官にあっさりと受け止められた。
「ふむ、力だけはあるが……動きが素人だな」
木剣を交えながら、教官が冷静に評価する。
リュシアは、何度も何度も剣を振った。
だが、足さばきも甘く、バランスも悪い。
一撃ごとに身体が揺れる。
わずかな隙を突かれ、教官の木剣がリュシアの肩をかすめた。
「っ……!」
リュシアは顔をしかめたが、すぐに踏みとどまった。
(……私は、負けない)
魔法を失っても、七賢者としての誇りはまだ胸の奥に燻っている。
どんなに格好悪くても、
どんなに嘲笑われても、
ここで諦めるわけにはいかなかった。
木剣を構え直し、汗をにじませながら、リュシアは立ち向かい続けた。
***
試験終了。
リュシアはぐったりと地面に座り込み、息を荒げていた。
教官は、苦笑しながら彼女に近づいた。
「まぁ、基礎はこれからだな。心意気は認める」
そして、ギルド登録証を手渡された。
そこに刻まれたランクは——
F級。最低ランクだった。
リュシアは、それを静かに受け取った。
(……これが、今の私)
かつて七賢者最強と謳われた自分が、最下層からやり直す。
それは、胸を抉るような屈辱だった。
だが、リュシアは顔を上げた。
(ここから、また登るだけだ)
そう、力強く胸に誓った。
***
ギルドのホールに戻ると、ざわめきが広がっていた。
「なぁ、今登録したあの子、リュシア・フェルディナンドって名前だったよな?」
「え、あの七賢者様だったって……?」
「マジかよ、魔力失ったって噂、本当だったのか」
冷たい視線が突き刺さる。
好奇、軽蔑、嘲笑。
リュシアは、わざと無表情を装いながら、カウンターを通り過ぎた。
(気にするな)
(気にするな)
何度も何度も心の中で唱える。
かつて彼女を讃えた声たちは、今や無情に彼女を笑う。
だが、そんなものに屈するわけにはいかなかった。
リュシア=フェルディナンドは、諦めない。
どれだけ這いずってでも、
再び世界を救う力を手に入れるために。
拳をぎゅっと握りしめながら、リュシアはギルドの扉をくぐった。
夕暮れの王都の空は、まるで彼女を嘲笑うかのように赤く染まっていた。




