第4話「魔導書院からの別れ」
朝の光が、薄暗い部屋に静かに差し込んでいた。
リュシア=フェルディナンドは、黙々と荷物をまとめていた。
魔力を失ってから、一か月。
かつて世界最強の七賢者と称された少女は、今やただの人間だった。
ベッドの上の荷物は、驚くほど質素だ。
旅用の着替え、古びた剣、そして数冊の魔導理論書。
それだけ。
陽の光を受けて、金色の髪がさらりと肩を流れる。
深く澄んだ青の瞳が、静かに部屋を見回した。
壁には、七賢者就任の証書。
棚の上には、魔導大会優勝の盾。
かつての栄光が、今はただ遠い記憶のように並んでいた。
リュシアはそれらに手を伸ばすことなく、鞄の口を閉じた。
(……私は、もう「天才」じゃない)
唇の端が、わずかに歪む。
魔力こそが、自分の存在意義だと信じていた。
それがない今、自分が何者なのかすらわからない。
ふと、部屋の隅にある鏡が目に入る。
近づき、そっと覗き込むと——
そこには、疲れた表情の少女がいた。
目の下には薄い隈。瞳の奥には、確かに影が差していた。
「……元・天才魔導士」
リュシアはぽつりと呟き、目をそらす。
その時、扉を叩く音が響いた。
「リュシア……オーディンだ」
聞き慣れた重みある声に、リュシアは静かに返した。
「入って」
扉が開き、老賢者オーディンが姿を見せた。
かつての師。彼女を七賢者にまで導いた人物。
オーディンは、リュシアの顔に目を留めると、眉をひそめた。
「出発の準備か」
「ああ」
短い返事。
「……魔力は、まだ戻らないのか」
「戻るなら、こんなことしてないわ」
リュシアは肩をすくめる。
「焦るな。魔力は、時が経てば——」
「待つつもりはない」
即答だった。
オーディンは一瞬だけ視線を落とし、それでも静かに語る。
「リュシア、お前の価値は魔法だけではない。私は……」
「その話、今は聞きたくない」
リュシアの声は静かだったが、はっきりと拒絶していた。
今の自分に、かけられる優しい言葉は、重すぎた。
「私は……別の強さを探しに行く。それだけよ」
しばし沈黙が流れたのち、オーディンは頷いた。
「ならば行け」
その言葉には、信頼と祈りが込められていた。
「必ず、また戻ってこい。魔法だけでない、本当の力を得て」
リュシアは無言で頷き、鞄を肩にかけた。
廊下を歩くリュシアに、静かな視線が集まる。
かつて尊敬と羨望の的だった少女は、今や別の意味で注目されていた。
「……あの子が、七賢者だったのか」
「魔力ゼロだって。信じられない」
「可哀想に……」
小さな囁きが、突き刺さるように耳へ届く。
リュシアは俯かず、足を止めずに進んだ。
拳を握り、唇をかみしめる。
(見ていなさい……)
(私は、ここからでも、何度でも立ち上がってみせる)
そう、誰にも言えぬ誓いを胸に。
目の前に、魔導書院の巨大な門が現れる。
そこは、彼女が夢を叶えた場所。
栄光とともに生き、力を得た場所。
今、その門を越えるのは、すべてを失った少女だった。
「魔法がなければ、別の道で強くなる」
呟きとともに、リュシアは門を越える。
背後にいたオーディンと教官たちは、何も言わず、その小さな背中を見送った。
リュシアは、一度も振り返らなかった。
それが、「リュシア=フェルディナンド」の——
新たな物語の、第一歩だった。




