第30話「黒い影」
王都アルカディアからほど遠くない小高い丘。
そこに一人、優雅な身なりの男が立っていた。
──アルカード。
彼は上品な黒のローブに身を包み、手には銀細工の細い杖を携えている。
その整った顔立ちには、冷たく、計算高い微笑が浮かんでいた。
アルカードは手元の小さな魔法鏡を覗き込む。
鏡の中には──王都を出発するリュシアたち四人の姿が映し出されていた。
「……予定通り、動き始めたな。」
彼は低く呟く。
周囲の草木が、彼の放つ魔力に蝕まれるように枯れていく。
だが、そんな現象を気にも留めない。
ただ、静かに、楽しむように微笑んでいた。
***
ふいに、空間が揺らぐ。
黒い霧が集まり、やがて一人の存在を形作った。
──顔を覆う黒衣の使者。
「主の意志は、どこまで進んでいるか?」
くぐもった声で問う使者に、アルカードはあくまで優雅に応じた。
「順調だ。七つの封印は、活性化を始めている。」
「……活性化?」
使者の声に戸惑いが混じる。
アルカードは、口元に冷たい笑みを浮かべた。
「封印は、ただ閉じ込めるだけではない。
動かせば──内側の力が活性化し、復活への道が開く。」
「……我らの主、魔王陛下の復活に、必要だと?」
「ああ。」
アルカードは鏡を閉じた。
「そして──彼女。リュシア・フェルディナンド。」
使者がわずかに身を震わせる。
「彼女は、危険では?」
「逆だ。」
アルカードは静かに言った。
「彼女のリミット解除の力は、むしろ我々にとって好都合だ。
彼女が封印を修復すればするほど、封印は"活性化"する。」
「……理解した。」
使者は深く頭を垂れた。
***
アルカードは空を仰ぎ見た。
「面白いだろう? 力を失った天才が、必死に抗い、成長しようとしている。」
その声には、愉悦すら滲んでいる。
「だが、最後には……彼女自身が、主の復活に力を貸すことになる。」
黒い霧が、アルカードの周囲を取り巻き、不穏な気配を強めていく。
使者は、さらに尋ねた。
「次は、いかがいたしましょう?」
「──干渉はするな。」
アルカードは断言した。
「彼らに試練を与えよ。
炎の祠で、試練を乗り越えさせろ。」
「なぜ……?」
「修復こそが、活性化への道なのだ。」
アルカードの瞳が、妖しく光った。
***
「──彼らは、自分たちが罠に向かっていることに気づいていない。」
「だが、それでいい。」
アルカードは杖を軽く振った。
黒い霧が渦を巻き、使者の姿を呑み込んでいく。
「炎の祠の封印を……"修復"させるのだ。」
「それが、主の復活の鍵となる。」
最後に、使者の声が闇に溶ける。
「御意──」
──静寂。
アルカードだけが、丘に残った。
彼は、王都方向に向かって最後の視線を投げた。
そして、低く呟く。
「さあ……
リュシア・フェルディナンド。
お前が、どこまで抗えるか見せてもらおう。」
冷たく、そして美しい微笑みを浮かべながら──。
──「ゲームの始まりだ。」
その声は、風に乗って、誰にも届くことなく消えていった。




