第22話「書庫への道」
下層区域――。
王都の華やかな表通りとは違い、ここは薄暗く、湿った空気が漂っていた。
リュシアたちは細い路地を進み、やがて「知恵の泉」と書かれた古びた看板の前にたどり着いた。
ガルドが扉をノックすると、中から聞き覚えのある声が響いた。
「おお、お帰り。待ってたぜ、三人とも。」
現れたのは、情報屋マルコ。
小太りで、油断ならない笑みを浮かべた中年男だ。
マルコの目が、リュシアに留まる。
「……って、なんだその姿は?」
リュシアは腕を組んで、堂々と言った。
「私だ。リュシア・フェルディナンド。」
マルコは目を見開き、しばらく言葉を失った。
だがすぐに、興味深そうな顔でニヤリと笑う。
「なるほど。変身、ってやつか。噂以上に面白い現象だな。」
ガルドが冷たい視線を向ける。
「余計な詮索はするな。契約は守ってもらうぞ。」
「わかってるさ。ビジネスだ、ビジネス。」
マルコは手をひらひらと振り、奥の机から小さな箱を取り出した。
「さて、これが例のブツ……王家の印璽だ。」
リュシアが手を伸ばし、慎重に受け取る。
確かに、王国の紋章が刻まれた金属製の重厚な印だ。
「取引成立だな?」
リュシアが言うと、マルコは満足げに頷いた。
「もちろん。では約束通り――『忘れられた書庫』への案内を始めよう。」
*
マルコは店の奥の棚から、古びた羊皮紙の地図を取り出した。
そこには、王都の地下に広がる下水道網が細かく描かれている。
「書庫は、王都建設以前――いや、千年前の大魔法戦争のころに造られた遺構の中にある。
表向きには存在しないことになってる場所さ。」
リュシアは地図を覗き込みながら、真剣な表情を浮かべた。
「下水道を通る……危険は?」
「当然あるさ。」
マルコは軽く肩をすくめた。
「古代の防衛装置、崩落した通路、魔物……いろいろな"歓迎"があるだろうな。
だが、君たちなら行けるさ。」
エルナが不安げに尋ねた。
「あなたも、同行するの?」
「案内役は必要だろう?」
マルコは飄々と笑った。
「安心しな。裏切る気はない。俺にも得があるんでね。」
リュシアとガルドは視線を交わし、短く頷き合った。
「……いいだろう。案内を頼む。」
*
下層区域のさらに奥、誰も気づかない隠された路地。
そこに、小さな鉄格子の扉があった。
マルコが手際よく隠しレバーを操作すると、ギィィ……と扉が開く。
「ここからだ。」
中からは、湿った空気と、苔の匂いが漂ってきた。
ガルドが剣を抜き、エルナは精霊魔法の準備を整える。
リュシアも、軽く剣を握り直した。
「行こう。」
リュシアが小さな体で先頭に立つ。
石造りの通路。
緑の苔に覆われた壁。
滴る水音と、遠くで鳴る獣の咆哮――。
まるで千年の眠りから目覚めた異世界のような、
不思議な空間だった。
リュシアの目が細くなる。
(……この空気。この場所。この感覚。間違いない。ここは本物だ。)
慎重に、そして確信をもって、リュシアは一歩ずつ進んでいった。

***
下水道を進む一行。
やがて、道は崩落し、巨大な瓦礫が通路を塞いでいた。
「ちっ……これじゃ通れねえな。」
ガルドが苦々しく呟く。
壁の隙間はあまりにも狭い。大人が無理やり通れば、引っかかるだろう。
リュシアが一歩前に出た。
「私に任せて。」
子供の姿ならではの小さな体躯。
細い隙間に、すいっと身を滑り込ませる。
ゴリゴリと石に服を引っかけながらも、リュシアは反対側へと抜け出た。
ガルドが苦笑しながら声をかける。
「お前、こんな姿も悪くないな。」
「馬鹿にしてるのか?」
リュシアがジト目で睨む。
だがその頬は、どこか誇らしげだった。
彼女は内側から古びたレバーを探し、力いっぱい引いた。
ギギギ……という音と共に、瓦礫を避けるための別の隠し扉が開く。
「これで通れる。」
エルナが嬉しそうに拍手した。
「リュシア、すごい!」
マルコも感心した様子で言った。
「見かけによらず、頼りになるな。」
リュシアは鼻を鳴らした。
「状況に適応するのも、戦士の資質だ。」
彼女は、かつてのように魔力に頼るのではなく、
いま「できること」で戦う力を、確かに身につけ始めていた。
***
さらに進んだ先――。
突如、壁に埋め込まれた魔法陣が淡く光を放つ。
ガルドが咄嗟に剣を構え、エルナも精霊の気配を探った。
そして――
石でできた巨大な像が、ぎぎぎ……と不気味な音を立てて動き出した。
「ゴーレム……!」
リュシアが叫ぶ。
それは、千年前の技術で作られた防衛機構。
侵入者を感知すると、自動的に活動を開始する守護者だった。
「戦うか?」
ガルドが構える。
リュシアはすぐに首を振る。
「待って! 無闇に戦えば、周囲を崩落させる!」
彼女は壁に刻まれた古代文字を素早く読み取る。
(……特定の合言葉で停止する仕組み。だったはず!)
リュシアは深呼吸し、心を落ち着けた。
子供の高い声で、古代語の詠唱を唱える。
「――〈賢者の名において、命ずる。目覚めるべからず〉!」
ゴーレムが、ピタリと動きを止めた。
辺りに、静寂が戻る。
マルコが驚きの声を上げる。
「おいおい……子供なのに、古代語まで完璧とは……!」
リュシアは息を吐き、汗を拭った。
「ふん、元七賢者だからな。」
少し照れながらも、誇らしげに答える。
エルナもガルドも、その小さな背中を頼もしく見つめていた。
***
一行は再び歩き出した。
だがリュシアは、ふとマルコに視線を向ける。
――彼は、あのゴーレムの動作原理を、あまりにも自然に理解していた。
古代語に対する反応も、普通の情報屋にしては鋭すぎる。
(……やはり、ただの商人ではないな。)
そう確信しながらも、リュシアは今は口に出さなかった。
今は、まず目的地――『忘れられた書庫』へ辿り着くことが先決だ。
湿った空気を切り裂き、リュシアたちはさらに地下深くへと歩を進めた。
そして――
視界の先に、
巨大な石造りの扉が、
厳かに、彼らを待ち受けていた。




