第2話「魔族の拠点突入」
## 北方の荒野は、夕暮れの冷たい風に吹かれていた。
リュシアは、重厚な外套を翻しながら、荒れ果てた大地を進む。彼女の前にそびえるのは、廃墟と化した古代神殿。崩れ落ちた石柱、苔むした壁、しかしそこには今もなお、太古の威厳と力の名残が漂っていた。
「ここか……」
青い瞳で神殿を見上げる。
風に乗って、かすかに魔力の匂いがする。
下級の魔族のものだ。脅威にはならない。
リュシアは腰の剣に手を添えながら、ゆっくりと神殿の入口へと歩みを進めた。
足元に散らばる瓦礫を慎重に踏み越え、壁に刻まれた古代文字を一瞥する。
(ここはかつて、天空神を祀った神殿……)
学術的好奇心が、かすかに胸をよぎる。しかし今はそれどころではない。
「……さて、始めようか」
リュシアは、軽く手を掲げた。
瞬間、青白い魔法陣が彼女の足元に浮かび上がる。
詠唱すら必要ない。彼女にとっては、呼吸するのと同じ行為だ。
神殿内部へ、足を踏み入れる。
薄暗い回廊を進むうちに、空気が徐々に変わっていく。
ひんやりとした石壁に、ざらつくような魔族特有の瘴気が染みついていた。
(複数の気配……だが、数も力も大したことはない)
リュシアの唇に、わずかな笑みが浮かぶ。
そのとき——
「ギギギ……!」
不意に、闇の中から飛び出してくる影。
小柄な体躯、爪を振りかざし、牙をむき出しにする——魔族の下級兵たち。
リュシアは一歩も引かない。
むしろ、わずかに首をかしげた。
「遅い」
そう呟いた次の瞬間、彼女の周囲に疾風が巻き起こる。
「——《烈風刃》!」
無詠唱で放たれた風の刃が、見えぬ軌跡を描きながら敵を一掃する。
一陣の風が吹き抜けた後、魔族たちは悲鳴すら上げる間もなく、瓦礫と共に倒れ伏していた。
リュシアは足元を払うように軽く手を振った。
「七賢者を甘く見ないことだ」
静かに、だが誇り高く言い放つ。
なおも現れる新たな魔族たち。
しかし、リュシアは焦るどころか、むしろ楽しげだった。
右手をかざし、火の属性魔法を詠唱する。
「——《紅蓮爆炎》!」
瞬間、神殿の内部を赤い焔が駆け抜けた。
炎に包まれ、魔族たちは次々と消し炭になっていく。
水、風、雷、土——
リュシアはまるで舞踏でもしているかのように、多彩な魔法を操った。
各属性を自在に切り替え、敵を圧倒していく。
詠唱時間は極限まで短縮され、一度の詠唱で複数の魔法を同時発動する離れ業すら披露する。
「魔族どもめ、せいぜい私の訓練台にでもなれ!」
彼女は、あくまで余裕だった。
魔族たちは、七賢者リュシアの圧倒的な力に、恐怖の叫びを上げて逃げ惑う。
「ひ、ひぃっ……!」
「馬鹿な! こんな少女が……!」
「バケモノだ……!」
リュシアは冷たい微笑を浮かべ、さらに奥へと進んだ。
深部へ向かうにつれ、魔族の数は減り、代わりに気配は次第に濃密になっていく。
(なるほど、上層の雑魚どもで体力を削るつもりか……)
小賢しい手だ、と心中で吐き捨てる。
だが、それすら彼女にとっては遊戯に過ぎない。
回廊を進み、重い石の扉の前で足を止めた。
(ここか……)
リュシアは手をかざし、扉に残る古代の魔法痕を探る。
ほんの微かに——
封印魔法の痕跡が感じられた。
(やはりここは、魔王封印に関係している)
だが、痕跡はすでに薄れ、封印の力は失われつつあった。
リュシアは、わずかに眉をひそめた。
(急がないと——)
そのときだった。
突如、周囲の魔力が収束し、扉の前に立つリュシアの足元に、不気味な光が広がった。
「……!」
咄嗟に跳び退ろうとする——だが、一瞬、足が動かなかった。
「罠……!?」
周囲の空間が歪み、足元に浮かぶ魔法陣が輝きを増していく。
暗黒の光がリュシアの体を絡め取り、動きを封じようとする。
「っ、ちっ……!」
リュシアは即座に魔力を集中し、結界を張った。
しかし、相手は相当に高度な術式だ。ただの下級魔族が仕掛けたものではない。
「誰だ……?」
警戒しながら、周囲を見回す。
魔族の気配は、消え失せていた。
まるで、彼女をここへ誘い込むためだけに配置されていたかのように——。
リュシアの背筋に、冷たいものが走る。
(まさか、これは……)
彼女の直感が、危険を告げていた。
しかし——
「私の力なら、大丈夫だ」
自信が、それを押しとどめた。
リュシアは再び前を向き、扉に手をかけた。
石の扉が、重々しく開かれる。
開かれた先——そこに待っていたのは、
想像を遥かに超える「絶望」だった。




