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水無月

 我もここに来てからだいぶ生活に慣れてきた。日に何度かキンキンと鳴きながら飛来する巨大な鳥や、蛇のような電車がゴウゴウと音を立てるほかは、いたって静かである。朝のミルクを飲み、一寝入りしてから部屋の中をうろうろとする。

 少し体を動かすと、小腹がすいたので女房が用意したおやつを食べる。からからと子気味良い音を立てるそれは、口に入れて思い切りかむと、カリッと音がする。皿から落ちたそいつを猫パンチするとくるくると回っていて楽しい。

 腹が膨れるとまた横になり、眠りにつく。日暮れ頃には目を覚まし、女房が帰ってくるのを待っている。

 そうこうしているうちに扉がガチャリと開いて、女房が入ってくる。

 いつもうまそうなにおいがするので、女房にすり寄り、ねだってみるが、いつも寝所に寝転がり、一休みする。

 フンフン、今日は酒の匂いがする。それに混じって、知らない男の香りも漂っていた。ははん、そうか。この女房にもつがいができたのだな

 そう思うとだらしなく眠っている女房をそのままにして、我は眠りについた。


「さおりさん、お疲れ様です。ようやく新人の行事が終わりましたね。」

 と声をかけてきたのは、新たに上司になったおつまみ君だった。名を何と言ったか覚えてはいなかったのね。4月の大忙しの時期を乗り切ってからは、こうして気軽に声をかけてくるようになった。

「さおりさんにはいろいろと教えてもらって助かりました。お礼にどうです一杯?おごらせてもらえませんか?」

 まあ、おごりならいいかな、と、その日の帰りに一杯付き合ってみた。

「そういえば、新人の時にオリエンテーションで指導していただいた以来、一緒にお仕事するのは初めてですよね?」

「うん、そうなるね。」

「そういえば、お名前はなんでしたっけ?」

「ひどいなぁ、まるで気にも留めてなかったみたいだね。」とあきれられたけど、

「改めまして、佐々木です。よろしくおねがいします。」とあいさつされた。

「まぁ、あの有名な佐々木さんですよね。」といたずらっぽく言うと、

「どんな有名人、なんでしょうかねぇ。」と笑っていた。

「お噂はかねがね……。」と返してみた

 それから私は他愛もない話をしながら、この人とは話していても楽だな……と感じていた。話しやすく、明るく屈託のない笑顔があった。

 そこで、若い子とのお付き合いについて聞いてみると、

「いろいろ声かけたけど、振られまくったよ。長く続かないんだよ。その、話題に困ってさぁ。」から始まって、

「渋谷の高級なマカロンを二人で食べたいとか、BTSのライブに二人で行きたいとか、二人の行動がしたいって言っても、何がいいのかよくわからないし、とりあえず付き合ってみたけど、価値観が違うなって思い知らされて、かわいい若い子じゃ話が合わないのかなって?」

「あら、ご自分を高級物件とでも思っているのかなぁ?」

 少しお酒の力も借りて、遠慮なく話をしていると、

「相手に会わせよう、理解しようって近づいていくんだけど、だんだんこっちが一生懸命になっても、彼女は自分のことばかり話すんだよ。」

 ああ、そういう展開ね。若い子たちから見れば少し年上の、何でも言うことを聞いてくれる優しいお兄さんで、佐々木君から見れば、子守になるよね。

「かわいいなぁって思えていた彼女だけど、なんか見ているだけでいいやって思えてね、中身のない会話に付き合って、食事一緒にして、『ねぇ、聞いてる?』と、よく聞いてくるから、適当に返事をした。彼女はただ話したいだけで、もしかして僕のことを見ていないのかな?って思ってね。」

「そしてさよなら。」

 そりゃ、お付き合いの初期は、共有する話題も関心事もない状態から、どうにかして一緒にいる時間を作ろうと彼女も頑張ったんだろうけど、この手の男には通じなかったのね。

「かわいい子は、ながめているに限る。」

 なんて突然悟ったかのように言うと、

「かわいい子といると、心の隙間を埋めてくれると思ったけど、そうじゃなかった。」

 まぁ、女がかわいくなろうとする理由がわからなければ、この人に春はないんだろうな。そう思って下から上まで改めて眺めていると、唐突に

「さおりさん、付き合ってみません?」って

「私はかわいいって思われるほど若くはないのよ。」

 それから、プライベートの連絡先を交換して、今日のところはお開きになった。何年振りかに異性に声をかけられて、少し有頂天になっていたかもしれないけど、今日のお酒は気分が良かった。そうだ、キミにも話をしなきゃ!

 そう思って玄関を開けると、いつもの「お帰り」のにゃぁが待っていた。

 きっとこれもキミが変えてくれた未来なんだろうかなぁ?

 うん、きっとそうだ。そう思うことに決めた。

 そうして私はいつものようにベッドに沈んだ。


 それからというもの、同じ課の上司である佐々木君は、仕事で事あるごとに用事を言いつけ、一緒に仕事をする機会が増えた。社内でも人前でも

「さおりさん」なので、私はどうしていいやら恥ずかしくなった。それでもお構いなしに話しかけてくるから、

「人前では二人の関係が目立たないように、けじめをつけましょう。変な誤解をされても困るので。」というと、

「誤解されてもいいじゃないか。ホントのことだから。」と妙にわけのわからない言葉で畳みかけてくる。なので、

「一度、外でゆっくり話をしませんか?」と言った。

 なんだか自分からデートに誘ったようで、少し癪だが、社内で振り回されるよりもよっぽどいいので、週末はデートの約束をしてみた。


 顔洗う キミの隣で ドライヤー 明日のデート 晴れるかと聞く


「そういえば、最近デートなんてしてなかったな、何を着ていこうかな。」

 女房は思った以上に乗り気で、明日の予定に小さな期待を膨らませているようだ。夢のある道に踏み出そうとしているのかもしれない。我は女房の隣で静かに丸くなる。さて、この夢のある道はどこへ向かうのやら。

 


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