皐月
ようやく年度初めの大騒ぎからひと段落して、気が付けばもう連休になる。
実家で一人暮らし母のから、「今年も帰ってこられないの?」と聞かれ、猫を飼いはじめたことを話すと、ぜひ連れていらっしゃいと喜んだから、キミと一緒にお出掛けしようと思うの。
私の住んでいる空港近くのマンションから、電車を乗り継いで1時間。駅員さんに聞いたら、ちゃんとおとなしくかごに入っていれば、猫の料金はいらないって。これならキミとどこにでも行けるよね?今までは仕事が終わると帰って寝ることしか考えられなかったけど、キミが来てから楽しみが増えたかな。
我はしばらく電車の中に納まっていた。とにかく駅に人が多く集まっていることには驚いた。いかに宮中とはいえ、これほど多くの人が集まることはめったにない。それはさぞにぎやかな宴でもあるのだろうと思っていたが、この人たちは言葉も交わすことなく、黙々と立っていた。見目麗しい女官たちにも声をかけず、公達たちのこわばった顔ばかりが覗かれた。戦場にでも行くのであろうか。そんな様子を眺めながらの道中である。
やがて電車は、海辺の町へとゆっくり滑り込んだ。鼻をくすぐる潮の香。いつかクロとともに訪れたお伊勢参りの時のような、暖かな安らぎに満ちていたころを思い出す。潮風が心地よく流れる丘の上、我はそこで外に出ることを許された。初めての空、初めての場所。電車に乗った疲れもあって、我は恐る恐るかごを出た。
ねぇキミ、お外はうれしくないのかな。私はキミとここに来られてうれしいよ。ここはね、家の近くの季節ごとにお花が咲いている公園で、小さかった私を連れてお父さんとお母さんがお弁当をもってよく来ていたの。
ここに来ると懐かしくなって、きれいなお花を見ながら過ごしていると、昔みたいに無邪気になれて、元気がでるんだよ。
女房がそんなことを話している顔をきょとんと眺め、足元をちょこちょこ歩いていた。やがて女房は椅子に腰掛け、一面を埋め尽くす菜の花の鮮やかな黄色に、女房の表情がほころんでいた。
風が吹くと一面を、黄色の波が揺れているようだった。
我はというと、ひらひらと舞う白い蝶を見つけ、追いかけっこを楽しんでいた。
春風の フルートのよう 菜の花に モンシロチョウと 戯れるキミ
久しぶりに会う母の姿は、なんだか小さく見えた。父を亡くしてもう7年。私が大人になるのを見届けて、あっさりと亡くなってしまった。一人暮らしを心配して、地元に帰るといったのに、お前にとってあこがれの仕事なんだろ?と言って、一人暮らしを許してくれた。
最近は早く彼氏の一人でも連れて来いなんていうから、帰るのがどこか気まずくなっていたけれど、今日はキミがいるから気持ちをやわらげてくれた気がした。母はいそいそと食事の支度をしている。私は久しぶりの実家で、何もすることなく、すっかりと寝転んで甘えてしまった。
我は母様があきれた視線を送ったのがわかったので、いつものように鼻先をフンフンと嗅いで、健康チェックをする。
さすがに酒は飲んでいないが、さっきのソフトクリームの甘い匂いがした。そして頬に猫パンチして起こす。いくら母様に甘えても、年頃の女房が寝転がるなど、我には理解しがたい。
「あら、あなたにはわかるのね?これだから貰い手がないのよ。」と半分呆れて、そして笑っていった。
「それで、この仔はなんていうの?」
「えっと、私はいつもキミ呼ばわりで、この子もそれで分かっているから、名前とかは考えていないかな?変わっていていいでしょう?」
「でも、迷子になったとき、どうするの?動物病院でも名前がないと困るでしょう。」
「確かに、それもそうね。」
「ジョニーとか、トムとか、どう?」
「へ?」
我は母様に名を付けてもらうことを、あきらめた。我は高貴な猫である。名が風流でないどころか、聞いたこともないような、西洋人のような名では皆に示しがつかない。
我は一目散にその場から離れ、話題が変わるのを待った。
「それで、少しはいい縁でもあったの?」
やはり、その話題からは逃れられないらしい。女房はいやそうな顔をしているので我が心配して見上げると、
「そう、キミに出会えたんだよ。」と我を抱き上げた。
へへっ、今はまだこれでいいよね。だって出会いなんてないような生活しているし、この生活から抜け出したいと願ったら、キミに出会えたんだから。
素敵?な旦那様より手のかかるキミとの時間が楽しくて。
わかってる 若さの影は 遠ざかり いま少しだけ 無邪気でいたい
我にはこの女房の言う夢のある道とは何か、皆目見当がつかなくなった。




