日常
その日は35度超えの猛暑日だった。山陰地方に所在するM市、駅を中心に広く疎に立つファミマの駐車場らの一つを貸し切り、極厚の制服を着た警官らはマスクに脂汗を染み込ませながら事件の一部始終を見た若い女店員を囲んでいた。
「強盗しようとした男は、今日おそらく11時56分ごろにこのファミリーマート松浦高校前店へ入店しました。」
「ほう、それで?」
「挙動不審というか、周りを威圧したかったのか分かんなかったですけど、ギョロギョロと首を前に伸ばして動かしてましたね。結構目立ちました」
「容姿についても、教えてもらえるかな?」
「はい。老け具合的に50から60手前っぽくて、おそらく還暦前だと思うんですけど。」
「はい」
「色黒で身長もそんなに高くなくて、でもガタイは良かったし、うーん。大工さんでもやってたのかなあ?」
「はい。服装は?」
「全身黒アディダスのジャージでしたね。脇腹らへんに白線が三本ほど入ってるやつの。あとマスクもつけてました。」
「特に変わった外見ではないか。」
「私もただ様子が変なだけであって、社会に溶け込めた人だと思っていました。レジに来る前までは、、」
「その後のいきさつを教えて下さい。
どうして何の罪もない青年を刺すに至ったか
についてまで。 」
「初めは私に小さいドスの効いた声で言ったんです。『金出せ』って。」
もちろんそんな事は出来ませんと断った。しかし強盗は強盗。徐々に声を荒げて、ナイフの切先突きつけて何度も言うんです。
ほんと怖くて手がブルブルしました。
ちょうどその時入ってきた今風コーデの青年が私にアイコンタクトを送りながらあなた方警察に通報してくれました。
しかし、それが強盗の反感を買い、今度は青年の方へガンを飛ばしながらドスドスと近寄っていったんです。
「お前、俺のこと通報したか?あああ!」
「当たり前じゃないすか。あなた犯罪やってるんすよ!金出せ金出せって店員さん脅迫して。」
「人として最低」
青年以外の誰かが発したその言葉が、感情のタガを外してしまったらしく、
青年は目の色変えたその強盗に腹部を刺された。
刺した刹那、我に帰ったのかその強盗はまた首をギョロギョロと動かし、青年の腹部からナイフを強引に抜いてその場を去っていった。
現在も逃走中とのこと。
青嶋晴斗。軽く入り組んだ住宅街を慣れた足つきで小蠅のように曲がり抜く。
M市中央駅から徒歩20分ほど歩いたところにあるごく普通の住宅密集地、その中の一つに彼の家はある。特に目立つところもない赤レンガ造りの二階建てだ。
青く澄んだ空の下で全身を発汗させながら、生き高らかに自転車を漕ぐ。
今日はネトフリアニメ「サッカーボウイ」7話が更新されている。
M市少年サッカークラブの帰りでお腹いっぱいな足も、クーラーの効いた部屋でお母さんが作り置きしてくれたまんまを頬張りながら7話を見れるのならば別腹だ。
シャワーを浴び、麦茶をがぶ飲みしながら7話と昼食を終えた晴斗は途端に眠くなり、スーパーマーケットレベルに冷やされたリビングにずんと位置取るソファへ身を預けた。
晴斗は家族用タブレットから鳴る鬱陶しい着信音に耳を押さえながら目を覚ます。
冷え切ったふくらはぎを左手で触りながら右手で液晶を触ると、母からの電話が3件ほど続いてあった。
薄暗くなる液晶にぼーっと目を向けていると、またタブレットは鬱陶しい音を体で鳴らし始めた。
「あ、お母さん?」
「晴斗、あんた今リビングいる?」
急かすような口調だ。忘れ物を取りに車を戻らせたこの前を試合がふと頭によぎった。
「はい、そうだけど」
「寝てたでしょいつも通り」
「うん」
そして母からタブレット経由で発された言葉は、一家をまるごと非日常へ放り込ませた。
「家中のカーテンと鍵閉めて!人刺した強盗がナイフ持って家の近くうろついてんのよ」
「は? マジで?」
文字通り背筋が凍っていくのが体感される。
「だからお母さんも今日は早く帰ってくるから。もし強盗が入ってきても変に勇気出して通報とかしなくて良いからね。それでお兄さんが刺されてるらしいから。」
晴斗は目を見開き、リビングから家中を透視するかのように隈なく見張り始める。さっきまで眠気で頭が蕩けていたのが嘘みたいに消えていた。
何事もなく一階の窓とカーテンは全て閉めることが出来た。いくら家の近くとはいえど強盗が青嶋家へ侵入するなんてことは起きるはずがない。
電話が切れてまだ5分も経ってないが、緊張が心なしか緩み始めてきた。
でも一応2階もやっとくべきか。
流石に2階にまで上っては来ないだろうと思いつつ、ドアを開けて階段を上がる。
日中の2階は1階に比べて蒸し暑い。ほんの1、2度の差なんだろうが、晴斗の脳裏に夏の2階への嫌悪感を植え付けるのには十分な役割を果たしていた。
ただ万一に備え、二階廊下の窓、トイレの換気窓、父の部屋の窓をすべて閉めた。
残すは兄の部屋だけ。ドアノブを引こうとするとやはり鍵が掛かっていた。
オープンな晴斗とは違い、お兄ちゃんは秘密主義な所がある。
強盗が入ってくるかもしれないという事態はややあり得ない。しかも2階だ。わざわざ鍵開けてまでやるものでもない。
そして暑い。またシャワーを浴びたくなるくらいに汗をかいた。
兄の部屋を残し、晴斗はキンキンのリビングへ体を戻した。
録画した金曜ロードショーの先週の分(90年代?の洋画)を流しつつ、switchでポケモンシールドを始める。
何十分経っただろうか。通信バトルのロード中にふと2階から物音がする。ドスっドスっと。
兄が壁を叩いたような音感だ。地震でも起きない限り自然にこんな重い音が出るはずがない。
でももしかしたら机のライトかなんかがギリギリのバランスに立っていて、それを崩して落とした音なのかもしれない。
きっとそうに違いないと思いたかった。
しかし、また数分ほど経ってから音はなる。同じ感じの音。
大人しく逃げるべきか、しかしわざわざ2階に上がってまで人の家に隠れるというとんでもないリスクを冒すものか?
せめて一階から侵入するだろ。そんなことでビビっても意味がない。
晴斗は音を気にするのをやめ、再びSwitchの液晶へ目を光らせ始めた。
「ただいまー」
「おかえりーー」
午後4時半、暑そうに荷物をダイニングテーブルに置く母を横目に変わらずポケモンをプレイする晴斗。
「鍵ちゃんと閉めてるね。よし」
2階からまた一階へ階段を降りながら母は呟く。
これで自分も騒動の蚊帳の外だ。そう思った刹那、またあの音がドンと鳴った。
母も他人事だと思っていたんだろう、晴斗以上にビクつき、洗い物する左手のスポンジを震わせていた。
夢だと思いたかった。しかし音はまた確かに鳴る。
自分の不足がこの事態を起こしたのだ!
その解釈を上手く装うことは小学五年の少年には不可能に近かった。
「お母さんごめん!お兄ちゃんの部屋の窓閉めなかった。だってどうしても、、」
母は怒り狂うと思った。それも感情で憤怒するのでなく、冷め切った憤怒で。
「うん。分かった。」
一瞬予感が当たったと思ったが、その目に怒りはなく寧ろ別のなにかに対する感情を虚に出していた。晴斗にはそれがとても意外だった。