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マサ対オリバー

 マサは、そんなことを考えながら道を歩いて、真武館のビルに近づいたとき、一人の女性が玄関から出てきた。何か、慌てている感じだ。マサはちょっと嫌な感じがした。また道場破りか。


 その女性、萩原明美は道場生とは言え、正式に真武館が雇った事務員である。施設の管理や維持、また大会のエントリーなど、簡単に言うとマネージャーだ。その明美が青い顔をして、マサを見ている。

「どうしました?」とマサが聞くと、

「美那月さん、道場に、とんでもない女が、いや、あれは女じゃない」

 女? まさか天下の真武館に女の道場破り? あり得ない。

「また明美さん、冗談を」

 明美は激しく首を振った。

「いいえ、本当なんです。黒人の空手家」

「分かった。とにかく入ってみよう」

 

 ここまでは、マサはたかをくくっていた。女、空手、ドッキリか、

 だが、道場に足を踏み入れた瞬間に見た光景に、マサは唖然とした。平日の午後だから道場生は少ない、しかし少なくとも二十人弱は居る。そして、その大半がうずくまっていた。完全に伸びているもの、腹を抑えるもの、足を痛めて抱えているもの。

西城もまた、右足を両手で押さえて、苦悶の表情を浮かべている。

 

 そして白い空手着を着て、マサに背を向けて、軽く屈伸をしている人間、後ろ姿でははっきり見えないが、髪をポニーテールにしている姿は、女と言われれば、そうかもしれない。


「おい!」と鋭く、マサが声を掛ける。その時、

「遅かったですね、あなたが来るまでに、こうなっちゃいました」と真横から声が掛かった。

 何! と視ると、そこにいたのはダークスーツにシルクのシャツを着た、美少年。

「お前!」

「また、会いましたね」

「リョウ、とか言っていたな」

「覚えていてくれて、嬉しいですね」

「これをやったのはお前か」

 リョウは微笑を湛えて、首を横に振った。

「いいえ、真武会の方々と試合をやったのは、彼女、オリバー・ジョンソンです」

 その時、オリバーは振り向いた。黒人のような風貌と肌、そしてまぎれもなく女だった。

「どうしますか、美那月マサさん」

 

 マサはオリバーを見据えた。身長は一八〇くらい、体重は七十五というところか、やはり手足が長い。そして、腕には多少の傷跡が見える。だが、二十人近くを相手に、平然と立っているのは尋常じゃない。ただ、この二十人のうち精鋭は五、六人だ。

実質、オリバーはそいつらと闘ったということだ。見ると、西城も含めて、足を痛めている者が多い。だが、その時、


「シュッ」と気合を発してオリバーがするすると動き、左回し蹴りを放ってきた。こいつ、ケンカのやり方を知っている。つまり先手必勝か。

「油断をしてはいけません。オリバーは強いですよ」とリョウが笑いながら言う。

蹴りを寸前で避けて、マサは後方に退いた。どうやら空手着も着させてくれないらしい。まあいい。Tシャツに短パンだ、これでつかみ技はやりにくいはずだ。マサは相手が空手家とは断定しない。

「そうです。オリバーは空手とは限らない」

 こいつ人の思考が読めるのか。嫌な奴だ。


 マサとオリバーが相対した。やはり背が高い、自分と同じくらいだから、女にしては高い。その時、オリバーか、ふとどこかで聞いた名のようにマサは思えた。が、邪念は捨てなければならない。ただ体重は自分の方があると思う。ミドル級とヘビー級の闘いだ。ならば力で勝負だ。体重が十キロ違えば、パワーが全然違う。まして女だ。

 

 マサは真正面に立って、「シュっ」と正拳を放った、が、瞬間にズンとした衝撃を左ひざに感じた。こいつ、と思った。オリバーがマサのパンチに合わせて右ローキックを放ったのだ。何だ、このローは、すると西城が叫んだ。

「ローキックだ! そいつのローは尋常じゃない」

 マサは半歩下がった。なるほど、だから足を抱えている奴が多いのか。真武会がローにやられたとなると、こいつの空手は本物か。だが、そうなると、徐々に膝と、体力を奪う。厄介だな。ローキックは回し蹴りのように、相手を一発で仕留める武器では無いが、相手の攻撃に合わせ、何発も打てる技術をオリバーが持っているとすると、パワー勝負にはならない。ローは攻撃でもあり、相手の技を封じる技でもあるからだ。では、フットワークを使うしかない。マサは一転両手をだらり、下げると、足を軽く上げ下げした。そして、後ろ足で、オリバーの周りを回り始めた。空手のヘビー級のマサがフットワークとは意外かもしれないが、偉大な先人がいる。蝶のように舞い、蜂のように刺す、モハメド・アリが。

 

 このマサの動きにローキックを放つにはアントニオ猪木がアリにやったようにスライディングのようなキックを放つしかない。だが、それはリスキーな攻撃だ。オリバーがそれをやったら、足を両手で払って、上半身を踏み抜く。                                                       

 マサは軽快に動き、「シッ」と唸り左ジャブを放ち、オリバーの動きを制す。オリバーは身体を捻って避ける。どうやら、こいつはボクサーではないなとマサは思った。ジャブの受け方が直線だからだ。ボクサーならジャブは払ったり、上体を捻って横か後ろに避ける。なら、やっぱり空手か。だが、右回りに回っていたマサにオリバーはすっと止まり、一点に立った。そしてすーすーと足を滑らせ、マサに相対する。

 

 こいつ、完全にすり足をものにしている。どっちが日本人か分からなくなる。

この体勢は、オリバーにとっては省エネだ。回り続けるマサの方が疲れるという展開だ。だが、オリバーもこれでは攻撃は難しい。オリバーも何戦もやって疲れているはず。必ず何か仕掛けてくる。マサはステップを一瞬間、止め、左拳を伸ばした。軽いジャブだ。すると、オリバーは一瞬、身を落とした、ように見えた。マサはうっと唸った、何だ、こいつ今何をやろうとした。マサは、再び、オリバーの周囲を回る。マサはオリバーをじっと見ながら思った。こいつの中段に構える格好、確かに空手に見える。見えるが、何かが違う。こいつは空手には、あまり見ないはずのマサのフットワークに困惑している様には見えない。その自信は何だ。マサはじっと見る。オリバーの足を見る。そして、ふと思いついた。マサはだらりとした両手をゆっくり上げると腰を屈めた、そして蝶のようなステップを止めた。すると、ほんの一瞬、オリバーの手が開き、何かをつかむような仕草をした。

 

 この手、マサはなるほどと思った。こいつ、もしかしたら。マサは自分が思ったとおりだったら、やることはある、だが間違ったら終わりだ。

 マサは、足を止めると、右手を大きく上げ、左手を腰の前に置いた。天地上下の構えだ。ある意味、これほど一見、大胆な構えは無い。横からの攻撃にも前からの攻撃にも弱そうに見える。拳や蹴りが飛んで来たら、瞬時に反応しなければ、もろに食らう。あまりに大胆だから、相手は戸惑うはずだが、マサが考えていることが正しいなら、オリバーは乗ってくるはずだ。さてオリバーはどう出る。

 すすすとオリバーが前に出る。マサは左手を握って、左正拳を放つ。オリバーが手でそれを払った瞬間、マサは右手を横に回し、右回し蹴りを放った。良いコンビネーションだったが、オリバーは蹴りを避けずに前を出て、マサの右足の内側に入り、マサの懐に入ろうとした。つまりタックルだ。そして、いっきにマサを倒そうとする。こいつ、やっぱり狙っていた。こいつの本当の姿はレスリングだ。素手で空手着を着ているからと言って空手とは限らない。 空手とレスリングに共通するものがある。それは素手だ。空手は殴るために、そしてレスリングは掴むために、素手を使う。多分、この共通項の故にオリバーは空手着を着て、そして空手を練習した。しかしその手はレスリングの手だった。オリバーが一瞬見せた、掴む手をマサは見抜いた。が、マサは容易にタックルを受けた。マサはかわされた右足を器用にオリバーの後ろ首を左肩越しに巻き付けた。そして強引にオリバーの左腕を両手で捕まえ思い切り引く、そして左足を、思い切り跳ね上げ右足に絡ませる。ここでオリバーに強い上体が無ければ、その場にへたり込むはずだ。だがオリバーの腰は頑丈だった。地に膝を着けて踏ん張るオリバー。だがマサはオリバーの首の後ろで右足と左足を交差させた。そしてオリバーの右手をさらに引き延ばす。これは空手では無い。マサがひそかに練習していた柔道の締め技の三角締めだ。サンボの選手を見た時から関節技や締め技の必要性を感じたマサは同じことを考えていた道場生と秘かに練習していたのである。具体的には打撃から一転して極めることのできる飛びつき十字固めや三角締めである。あのサンボのマルコは、他の道場生の意識を変えたのだ。だが、空手家にとっては、これは一発勝負である。


 オリバーは何とか踏みとどまっているが、膝を落とし踏ん張る。ここで倒れると、もう逃げられないが、この状態を維持しているオリバーは、ある意味驚愕だが、ふとマサは締めを緩めた。そして体をオリバーから放し、くるり後方回転して立った。

 オリバーは膝を落とした状態で、ゆっくりと前のめりに倒れた。簡単に言えば気絶したのだ。気絶しながら、上体を起こしていたのだ。

 化け物め、とマサは思った。レスリングと気づかなければ負けていた。こいつ、本当に女か。

 パチパチと拍手が響いた。

「見事です。よくオリバーの本質に気が付きましたね。但し、オリバーはプロレスラーですがね」


 プロレス? この意外な言葉に驚いた。こいつプロレス技は使わなかったが。

「当然です。派手なプロレス技などは、使わない。しかし時と場合によりますが」

 プロレスでも使える技はあるが、そいつを視たかったが、はて、どんな技だろう。

「マサさん、三角締めとは見事です。試合前のオリバーの良いトレーニングになりました」

 マサはリョウを睨みつけた。

「お前、これですむと思っているのか」

 リョウは微笑む。

「僕のことより、けが人の手当てが先と思いますが」

「何!」

 

 その時、西城が声を挙げた。

「やめろ、美那月。道場生が、ほとんど女にやられたんだ。本部に知られたら、俺は腹を切らなきゃならん。ここは引いてくれ。そこの男も、その女を連れて帰ってくれ」

「それが、良いと思います」 

リョウは、そういうと倒れたオリバーをひょいと軽く担ぎ上げると、すたすたと道場の入り口に向かった。その細い身体のどこに、そんな力があるのか、マサも、これには唖然とした。

「あいつら、いったい何をしに来たんだ」と西城が呻くと、

「多分」とマサが答える。

「多分?」

「言う通りにトレーニング」

 西城は苦々しく言った。

「俺らは、練習台か」

 マサは何も言わなかった。西城は屈辱でいっぱいだろう。西城はぼそっと言った。

「俺はその試合の相手に同情するよ」

「押忍」とマサは答えた。


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