突破・プリンスホテル
何故、プリンスホテルが、地震にもかかわらず停電をしていないか、その答えは多分非常用電気が働いているのだろうと景子は思う。それがいつまで持つか分からない。明かりが消えれば、私たちにとってはラッキーであり、またアンラッキーでもある。何故なら明かりが消えれば敵も動きづらいだろうが、私達もまた動きづらい。反対に明かりがついたままだと、敵は当然動きやすい。そして私たちもそうだ。人生は思う通りにはなかなか行かない
皆が声を立てずにシンと静まり返った空間に、ふと、五年前に手首を骨折して入院をしたことを思い出した。病院独特の匂いの廊下、深夜お手洗いに行くと、病院が独時の静寂に満ちた空間に感じた。結構大きな病院だから、しっかり自分の部屋を覚えておく必要がある。何故なら病棟の空間は単一の個性しか持たない空間だからだ。クリーム色の廊下と薄茶の扉が並ぶ、無機質な、それでいて井戸の底を眺めているような、文字通り無音の空間に見える、不思議な感覚を覚えたことを、ふと思い出した。考えればホテルの空間も灯を落としたら同じようなものである。
だが、その空間を突破しなければ生は無い。
すると塚田が帰ってきた。
「マシンガン五丁です」
「殺したりして無いわよね」と景子。
「何、後三十分くらい眠ってもらっただけです。本来の僕は殺人ではなく殴り屋ですから」
「あたしも、アスリートだから、締め落としてやったわ」
気が付くと、若林が笑いながら立っていた。その手にマシンガン二丁。
「速かったわね、若林さん」と景子。
シンがボソッと言った。
「なるほど、窮地に立つと人が変わるか」
「まあ、基本的に暴力は避けるべきだけどね」と景子が言うと、
「悔いているのか」とシンが聞いた。
「悔いは無い。けど、自分が殺人を犯せる人間だということね」
皆シーンとなった。
「まあ、ごちゃごちゃ言うより、今やらねばならないことに集中しようぜ」とマックス。いかにもの言葉だ。
「まあ、言い方はアレだけど、マックスの言う通り、今は自分が生き残る、それだけだと思う」と夏生。
ベッドルームに隠れている女性陣(若林も女性だが)に声を掛けて、皆が暗がりのリビングに集まった。
「バリケードはどうする?」とマックス。
「残しておく。またここに逃げ込むことを考えて」と景子、さらに、
「じゃ脱出よ、みんな!」と檄を飛ばした。
「おお!!」
先頭をシンと雅、その後に若林ら女性群、その後ろに景子、清原、夏生の順で廊下に出た。廊下には誰もいない。
「みんな音を立てないで、階段に」と景子。だが。
「従業員エレベータ―では駄目ですか?」と清原。
「エレベーターで一気に、ということ」
「はい、あらくれどもは、そんなものに気が付かないと思います。一階の従業員エレベーターは、ホテルのロビーにつながる道があります。そこで一気に」
一階一階行くのは、女性群は疲れるだろう、エレベーターに乗って、賭けるか。すると夏生が言った。
「いいんじゃない、長い時間かけるより短時間で一気にロビーを突き抜ける。シンと雅と私が先陣を切るから、走り抜けよう」
やるか。皆を見る。時間をかければ体力が落ちてゆく。まだ体力が残るうちに勝負を決めるか。いずれも全員生還できるかどうか分からない。おとなしく人質になっていれば良かったか。いやそれもいずれは抹殺されたかもしれない。特に地震の後では、むしろ邪魔かもしれない。
乾坤一擲!!
非常用エレベーターには、まず女性群―明美、明美の母、清掃の二人、若林、清原、塚田、景子、夏生、シン、雅の順で入った。前衛の三人が真っ先に飛び出して、道を作る。あとはひと固まりで逃げる。作戦はシンプルだが、たとえ前衛の三人が超人であろうとも、後は普通の人間だ。犠牲者が出るかもしれない。だからと言って、こそこそ行動しても、地下は食堂があるから、そこを突破していくのもギャンブルだ。景子は初めて戦争時の指揮官の難しさを知った。犠牲の無い戦争はあり得ない。
「雅、一階に」と景子が言うと、
「はい」と雅が答えた。
エレベーター扉が閉まり、ブーンと低音が響く。
皆無言だ。
10,9、8・・・・4,3,2,1
「行くわよ!」と夏生が檄を飛ばす。
夏生、雅、シンが飛び出る。それに続く皆。やや細い廊下を走ると、ロビーに出た。
音もなく行く三人は、グループで五、六人がひと塊になっている約百人に向かって行く。グループ間の間はニ、三メートル。
同時に後の八人が入口めがけ走る。若林、塚田が先頭でマシンガンを撃ちまくる。
「どけえええ!!!」とマックスが最後尾でマシンガンを撃ちまくる。
そちこちで「ぐえ」とか「ううう」とかの呻き声が聞こえる。みるみる間に床が赤くなる。
あらくれは統制が取れていないから、夏生、シン、雅が各個撃破している。
夏生の動きは柔軟自在、シンは超スピード、雅は超絶スピード。
だが、敵も反撃する。それに向かってマックス、若林、塚田が反撃。
「うっ!」と若林が、右腕を抱える。床に落ちるマシンガン。
「若林、逃げろ」と塚田が叫ぶ。
「でも・・・」
「ばかやろう、その腕で何を言ってる! とっとと逃げろ」
「ごめん」
ダッシュする若林、女性群に加わる。その時、
「危ない!」と清原が若林を突き飛ばす。
その瞬間、ダダダダダダダダダダ!!!と打ち鳴らされるマシンガン、清原の体が銃弾の衝撃で宙に浮く。
「くそ!」とマックスが銃弾を撃ちまくり「塚田、清原さんを助けろ」と叫ぶ。
「清原さん」と塚田がその体を起こした、が、清原はぴくっともしない。
景子も清原の顔を見る。その顔は意外に穏やかだったが、もの言わぬ顔だった。
「くっ」と景子はうなだれた。が、
女性軍の中でまばゆい光が煌めいた。そして、光の中に、一人の人間のシルエットが見えた。
シンが叫んだ。
「いけない、やめろ!」
その声を無視するように光の中から明美が飛び出した。間髪を入れずに、ギラり眼は光り、髪は逆立っていた。そして足は地に付いていない。
「死ね!」と短く叫ぶと、明美は右手を開き、突き出した。するとロビーの空間にボ、ボ、ボ、ボ、ボ、ボ、ボ、ボ、ボ、火球が出現し、荒くれどもに火球が襲い掛かった。そして炎に包まれる人間の何を言っているのか定かでない咆哮。
雅は目を見張り、つぶやいた。
「パイロキネシス」
「ああ」とシン。
遂にまた出現したガチの超能力少女。もはや誰もマシンガンを撃つものはいなかった。生き残った者は皆、人間が焼かれるのを見て、かつその凄まじい匂いを嗅いだ。生きながら焼かれる人間の顔は、もはや何も語っていない。叫喚は喘ぎになり、やがて炎の中に消えてゆく。
死臭と煙が充満した空間に明美が宙に浮かんでいた。
明美の顔はもはや少女ではない。まさに鬼女の様。
「清美ちゃん」と雅が声を掛ける。
だが、少女は宙に浮いたまま、にやり笑うと、音もなく出口から一直線消えて行った。
生きている者は茫然と見送るばかりたった。




