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マサ

 西新宿は巨大駅の新宿駅西口を出ると、巨大ビル群が、目の前に飛び込んでくる、そんな街だ。大企業の商用ビル、ショッピングモールや公共施設が立ち並ぶ、この一帯が、このようになったのは五十年位前からである。もともとは浄水場の殺風景な風景が広がっていた。新宿西口でフォークゲリラなるものが盛んだったころである。若者は、西口を広場と呼んでいた。それが一変したのは東京都庁が建設されたからである。

 

 巨大ビル群が並ぶ、中央通りを真っすぐ歩くと、その威容は眼前に迫ってくる。塔のように二つの高いビル、それが東京都庁である。東京都の予算は小国家予算にも比すると言うが、その巨大な金が、この都庁を中心に蠢くのである。

 

 だが、その二つの塔ともいうべき建物を過ぎると、風景は一転、緑の世界に変わる。

新宿中央公園である。都庁と公園を結ぶ橋を渡ると、かなり大きな公園が広がっている。小さな滝があり、樹々に囲まれた、小山があり、それが雅とマサが良く立ち寄る富士見台と言う場所だ。 都庁が無ければ、いやビル群が無ければ、富士が見えるのかもしれない。

 その公園の中を通り過ぎると、十二社通りに出る。

 

 マサは、今、その十二社通りを跨ぎ、ホテルの脇を通っている道をゆっくり歩いていた。


 十二社通りを境に、巨大ビル群とはまったく異なる風景が現れる。巨大企業ビルも大きなホテルもない。中小のビル類の、ありふれた東京の雑多な街並みが広がっている。

 マサは、少々狭い坂道を、炎天下の道路を歩いている。東京の夏は、すさまじく熱い。ビルのエアコンが吐き出す熱気と、アスファルトの照り返しが、人を分厚い布団のように包み込む。夜でも三十度を下回らない気温の中で、多分アスファルトの表面温度は五〇度をこえるのでないか。そんな道をマサは意気揚々と、軽く汗をかきながら歩いてゆく。

 

 マサの向かうのは、道場である。とはいっても、れっきとした灰色の三階ビルである。すなわち、そこは真武会・新宿道場という。真武会とは空手の流派である。

 真武会は空手の流派で言えば新しい。それを起こしたのは、太平洋戦争後の闇市時代に生きた一人の男である。この闇市時代は、日本の歴史で言えば、ときおり起こった無法期間のひとつである。敗戦のどさくさが、一時的に生んだ、非合法暴力が跋扈していた時代である。その中心がヤクザである。だが、ヤクザでもなく、警察でもない、一人の男が、おのれの拳のみで、時代に立ち向かった。その名を真道健という。ヤクザ、チンピラのストリートファイトはもとより、米兵相手の裏カジノの試合、そしてプロレス、ボクシング、ムエタイ、そして空手という闘いに一度も負けなかった男。それが真道健である。その名は日本を超えて、アメリカ、ヨーロッパにも、真道ケンカ空手として、その名を轟かした。真道健は二十一世紀を迎えた年に逝ったが、二代目真道誠は健在であり、今もなお、自流が格闘技最強と言ってはばからない。マサは昼間、その真武会の道場に通っているのである。真武会の始祖真道健は美那月優馬とは莫逆の友である。同じく、まさに太平洋戦争直後の日本をともに生き抜いた二人だった。優馬は、その縁を持って、マサを真武会に託した。

 

 マサは、この境遇を気に入っていた。

 昼間、ここで過ごすのは、快適だ。そして何よりマサは強かった。マサは空手という武道においては素人であるが、基本的な運動能力においては図抜けていた。空手の基礎練習を終えた時、空手でも、マサに勝てる人間は、西口道場では居なくなっていた。西口の道場の師範の西城功二でさえ、組手では、かろうじて引き分けにするのが精いっぱいだった。西城は真武会の全国大会にベスト8まで行った男である。決して弱くない。それが、逃げに逃げまくって、引き分けにしたのである。もっとも勝ち負けは、マサにとっては、どうでもいいことだった。ようするに、何も考えずに肉体を動かすのが好きなだけなのだ。ここは快適だ、そう思った。

 

 しかし、真武会が最強を歌っている限り、避けてとおれないこともある。それが道場破りである。ただ、その大半は、西城が出るまでもなく片がつく。それが空手であれ、柔道であれ、何であれ、そのトップクラスが道場破りに来ることは無い。何故なら、正式な異種格闘技戦というのは、ルールが全てである。柔道が相手なら、寝技はどうするとか、ボクサーならグローブをつけるとか、ルールを決めないと成り立たない。それを無視したらケンカである。トップの選手は、そんな無駄はしない。自流でトップを維持すれば良いと、たいてい考える。ケンカで真武会を相手にするのは、たとえ勝っても、何の得にもならない。普通は、そう考える。


 だが、運が悪いのか、性格が悪いのか、実力がありながら、それを評価されない不遇な者もいる。そういう人間が真武会にケンカを売って、名を上げようとする。そんなことがたまにある。


 そして、三カ月ほど前にマルコという白人系の混血のサンボの選手がやってきた。

 サンボは、ロシアの格闘技である。柔道に良く似ているが、飛びつきの関節技など柔道にない技もある。つまりグラップラー、組技系だ。よって空手とは相性が悪い。だが、真武会は、関節や締めを想定した空手だ。総合格闘技がメジャーになった一九九〇年代から、それに対応する技が空手にも必要になったのだ。投げに対する技、関節を取ってくる技に対して、どう打撃を与えるかが必要だ。だが、真武会の基本理念は真道健が豪語したように、相手が組みに来たら、腕を破壊すれば良い、投げに来たら足を破壊すれば良いということである。ただ、真道健のような天才なら、成しえた技も常人には難しい。そこで、グラップラーの掛けてくる技を、どう凌いで、拳もしくは蹴りを相手に与えるかに絞られる。拳打か蹴りで、最後は仕留めるのが真武の概念である。したがって、組技を常に意識しながら打撃で、相手を戦闘困難にすることが目標とされるわけである。


 だが、この日来たマルコの技は、到底、支部道場のレベルでは凌ぎきれなかった。組技系は、遅いと思われているが、技に入る瞬間は、打撃に匹敵するスピードを持たなければならない。柔道の襟の取り合い、相撲の立ち合い、そしてサンボの独特の組技に入る時。


 慣れぬ形の組技で、倒される道場生を見ながら、マサは、これは甘くないなと思った。西城を見ると、黙って観ているが、やはり、穏やかならぬ顔をしている。西城は、どちらかというと、生粋のストライカーだから、複雑な動きをする関節技は得意ではない。マサは、隣の道場生に耳打ちをした。古寺という道場生は、それを聞いて、少し驚いた顔になったが、すぐに頷いて立った。

 古寺とマルコが相対した。


 古寺は右拳を腰に引き付けて、左腕を大きく振りかぶった。攻撃的に見えるが、よく見ると体重は後方の右足にかかっている。これは受けの姿勢だ。マルコが前に出ると、素早く後方か左に移動する。マルコの姿勢は低い。自然に古寺も低くなる。マルコのタックルが来たら、背中に左肘を落とすか、前蹴りで迎える。いずれも致命傷にはならないが、タックルを阻止できる。マサは古寺に言った。「無理に勝とうとするな。長引かせろ、そして、なるべく相手の技を受けろ。こっちからは攻撃するな」要は、マルコの技をなるべく多く見たかったのだ。何が得意で、何が嫌なのか、そしてスタミナを削る。マルコは多分、スタミナには自信があるはずだ。でなければ道場破りにはこない。一対一でも、一回で終わることは無い。こちらは三十人以上居るのだ。しかし、人間のスタミナは無尽蔵ではない。マルコは、どこかで手を抜くはずだ。そうしなければ持たない。長時間、踊るダンサーも、上手に気を抜いているという。そこがどこか見極めれば良い。


 サンボは柔道と違い、帯も狙ってくる。襟や袖を取る柔道とは勝手が違う。ただ空手着は短く薄い。だが帯は同じようなものである。見ていると、マルコはそういうことを理解しているように思う。思わぬところに手が伸びてくるから、従来の袖、襟の防衛を忘れる。逆に袖を取られて、足払いを食らい、倒されて、関節技で極める。マルコの冷たい目は、その気になれば骨を折ることを躊躇しないように思える。こいつは破壊マシーンだな。

 

 古寺は、フットワークを使って、一か所に止まらない。マルコは古寺の位置に合わせて、技を掛けようとする。古寺からはマサの言った通り積極的には行かない。さてマルコはどうする。

 すると、マルコは意外なことに、すっと立ち、左手を前に出し、右拳を腰に引き付けた。空手? これには古寺も驚いたように一瞬止まった。「セイ!」と気合を発してマルコが足を踏み込み正拳を飛ばした。単純極まりない空手だ。古寺も、ちょっと驚いたようだが、マルコの正拳を、なんなくかわし、後ろへ下がる。すると、今度は、

右回し蹴りが飛んできた。古寺は回し蹴りを受けると、マルコの引き際に、右拳を突き出した。すると予期したように、マルコは古寺の正拳をかわすと、両手で古寺の手首を掴み、右足を宙に飛ばした。右足が古寺の腹に入りこむと、古寺の身体が前方に倒れこむ。次に左足が前につんのめった古寺の首の前に絡みつき古寺の体を前方回転させた。回転されたとき、古寺の右腕は伸び切って、マルコの両の手でつかまれ、しかも腕は両足で抑え込まれている。飛びつき十字固めだ。こいつに持ってゆくために、空手の真似をしたのか。だが、マルコの空手もそれなりなっていた。古寺はそれに騙されたのだ。十字固めが極まったら外せない。タップをしないと折られる。古寺はあきらめたようにタップした。


 なるほどな、これが飛びつき腕十字か、サンボでは組み合った状態で、これを行っているのをマサは動画でみたことがあるが、マルコはそれを対打撃用に仕立てたらしい。そのために、空手も習得したか。いるんだよな、相手を破壊する技を習得するために何でもやる奴は。


「押忍!」と気合一閃、マサが立った。

 マルコはタックルの低い姿勢を保っている。相変わらずのグラップラーに見えるが、

こいつ、足を飛ばしてくるかもしれない。

「シュッ」と気合を発して、上段突きからの右回し蹴りで、マルコの上体を上げてみる。マルコは後ろ足で、かわす。こいつ、いつのまにかすり足になっている。日本の武道を、研究したんだな。何故に総合格闘技に行かないのか不思議だ。だが他人の人生は分からない。

 

マサは、ここまで五人を倒したマルコの体力に内心驚いていた。本来なら、マルコの勝利だ。だが、真武会の立場では、マルコをこのまま帰すわけにはいけない。師範の西城の顔が丸つぶれだ。

 だがマルコは必ず疲れているはずだ。俺で決着をつけねばならないとマサは思った。

道場内が異様な殺気で満ちている。マルコを総がかりで、袋叩きをしかねない。それは道場の恥だ。

 

マサは、右膝をぐっと畳に着け、左手の平を前に伸ばした。右拳を腰につける。これでタックルの体制と高さは同じになった。飛び込んでくる相手に右正拳をたたきつける、そういう体勢だ。

 マルコはちょっと戸惑った顔になったが、再び低く構える。両者の視線がぶつかり、

道場内がしんと静まり返る。勝負一は瞬だ。

 

 マルコが少し前のめりになる。タックルか、だが、一瞬マルコは身を真っすぐに立て、右回し蹴りを放った。やや前に突き出したマサの顔面をマルコの左蹴りが襲う。だがマサは、その時、前方回転をしていた。マサの体勢に対して飛んでくるのは蹴りと見切った、マサの動きだった。くるりと回転をした反動を利用してマサは右拳を放つ。だが、マサの突き出した右をマルコは先ほどと同じように両手で取った、と同時に右足をマサの腹に絡め左足がマサの右腕に絡んでマサの身体が回転したら十字固めになるが、マサは信じられないことをやった。マルコが回転したと同時に空いた左拳をマルコの腹に叩き込んだのだ。これはマサの右腕が仰向けに伸び切っていたら、不可能だが、マルコの取ったのはマルコが両足を極める寸前にマサが上に返した腕なのだ。だから、マルコの取ったマサの右拳は回転して下に向いている。関節を決める極めることが出来る腕は、拳が上を向いている時だ。故にマルコは関節を極めきれないしマサの左が使えた。これはマルコの両手が取ったマサの右腕の位置が悪かった。それは手首から遠かったのだ。マサがそこを取らせたのだ。だから拳を回転させることが出来た。

「ぐえっ」と唸ったマルコが腕を離した。と同時にマサが体を起こして、仰向けになったマルコに馬乗りになる。マウントを取った。真武会の特徴は、このポジションを取って一撃で仕留める練習をしていることである。つまり、相手がガードをする前に一撃を加える練習を嫌と言うほどやるのだ。この一撃で、仕留めるか、少なくとも相当のダメージを与えることを目指している。それが下段突きである。関節技を使わないのなら、これしかない。真道健は言ったという「ガードした腕をぶっこわせ」と。

これはグローブではできない。鍛えられた素手のみで可能なのだ。マサは、そのとおりにした。思わず交差するマルコの両肘に向かって右拳を叩き込んだのだ。鈍い音がしてマルコがのけぞった。マルコの右ひじが青黒く変色している。これでは右腕は使えない。なおも、拳を構えるマサに、マルコは「ギブ・アップ」と言った。まいったと言ったが、マサは注意深く、マルコを観察し、右拳はマルコの顔面を狙っている。構えを解いたら、また飛びかかってくるかもしれない。残心とは、いつでも戦闘可能だという意味を持つと真道健は言ったらしい。正解だとマサは思う。だが、マルコは、もはや立ち上がる気配は無い。「オーケー」と言って、マサはマルコから離れた。だが大した奴だ、真武館を相手に六人と渡り合ったのだ。だが、真武館は負けた相手には何もしない。命にかかわらない限り、原則的にせいぜい入り口まで運んでやるだけだ。そうやって放っておかれた人間は無数にいる。死人は出たことがないがけが人は無数にいるということだ。まあ真武館に喧嘩を売るような人間は、いやというほど、鍛えているだろうから、通常人よりはるかに体は頑丈なはずなのだ。

 

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