マックス対真武会空手
廊下には奥に金髪軍団が見えた。彼らも二人に見入っているのか、廊下の照明はくっきりとマックス、黒マスクの姿を照らしていた。
黒マスクが言った。「どうした、鉄砲玉食らったようだぜ。顔が」
「チ!! 顔隠してるくせに、顔のこと言われたくねえよ」とマックス、だが、雅はその言葉なんとなく噛み合っていないような気がする。
「おお、悪いな。こんなもん、脱ぐぜ、暑苦しいからな」
なら、初めからつけてくるな。だが、ハッとした、この男、有明アリーナでオリバージョンソンと闘った男。そして、出てきた顔を見た時、夏生が一言。
「真道誠」
え! と雅は思った。真武会の総帥だ。
「お父ちゃんと一緒に並んだ写真が家にあった。有名人だしね」
「そうなんだよ、素顔じゃ、試合もケンカもできねえ。だからマスクを被っていたんだが、そのせいでオリバーとはプロレスやるはめになったぜ、あん時は相手の黒人おっかなかったからな」
「なんで、あんたが出てくる?」とマックス。
真道誠は頭をぼりぼり掻いて、
「まあ、生きてるとよ、いろいろ義理もできてな、というのは建前、本音は、あんたが気に入った」
「あたしが気に入った?」
「だからよ、ぶちのめすよ」
なんと! マックスが気にいったからぶちのめすとは、人を食った男、この男のどこまでが本当で、どこから嘘か分からなくなった。畏るべし。これが武のありかたの一つだろうか。
マックスは黙っている。いつもは冗談とホラの塊が、真道誠をじっと見ている。つまり、いつ敵がかかってくるか、いつ攻めるか推し量っているのだろう。マックスも冗談が多くてどこまで本気か分からないから似たもの同士、感じるものがあるのだろう。
「あいつ、どこから来たの?」と初めて夏生は立ち尽くす景子に声をかけた。
「あ、夏生」
「何が、あ、なのよ、しっかりして」
「ああ。そうね、黒マスクは、向かいの奥から、ひょいと出てきたの」
「ひょい?」
「うん、ひょい」
これは漫才ではない。ただ人間は極限状況になると、著しく言葉が単純になるらしい。
「おい」と真道誠は言った。
「おい、あんたが、こないなら、こっちから行くぜ」
といった瞬間、真道誠はいつのまにか、マックスの前に居た。
そして「よいしょ」と言うと、拳と蹴りを同時にゆっくりあげた。ゆっくりと見えたから遅い。なのでマックスはかわせた、と思ったら、被弾して後方に飛ばされた。
「なんで?」と思わず雅が言うと、
「外しね、そして虎翔、つまり、武において単純なスピードは意味は無い。簡単に言えば、普通は一秒前を予測して動くんだけど、あの親父、二分の一秒単位で動くから、タイミングが取りづらい」
「二分の一秒ってすごく速いの?」と景子。
夏生は首を横に振った。
「いいえ、一秒と半秒、つまり一と二分の一、その時間で動くから、一、二、三と整数で動く人間は面食らう。たとえば象の動きを考えて、あんな図体で鼻振っても当たらないと思うよね。でも当たるんだなこれが、だから象の鼻の動きを予測できなくなる」
「つまり、あの親父は象の鼻」
「そういうこと、人間の反射速度を無視しているのよ、すなわち外し。そして虎翔、右足と左拳が同時に飛んでくる。あの技は美那月家にも伝わっている古流の技、あれも速さに適応しようとする現代武道やスポーツ全体と異なる。あのおっさん100メートルを40秒で走れと言えばかっきり40秒にできるわね」
うーんなんだか難しいが、確かに「よいしょ」でマックスに当てた、この現実がある。
マックスも不思議な顔をした。いったい何故打撃が当たったのか分からないというところか。
「おい、ねえちゃん、所詮はスポーツだな。あんた強くなりたいのなら古流を学べ、とは言っても、いろいろこっちも事情があって、あんたたちを自由にするわけにいかねえんだ」
マックスは立ち上がって、構えなおした。その佇まいは、完全にスイッチが入っている状態だ。だが何とマックスは笑っていた。
「おお、いいねえ、俺をやっと敵に見えたかな。だが悪いな、俺も本気でいくぜえ」
それにしても何故真武会が敵になる? 真道誠ならマサのことは知っているはず。
雅が変身したとき、すでに歌舞伎町にいた。それはマサが新宿にいたということであり、それが西口道場に違いない。ということは、その時点では真武会は敵ではないということだ。なにか事情があるに違いない。
マックスが動いた。が、向かったのは廊下の壁だった。
「シュッ!」廊下の壁を蹴ったマックスの身体は横向きに真道誠に向かって行った。右拳が真道誠に向かう。
「オオ!」真道誠は気合を入れて、マックスの右拳をかわす。外されたマックスはそのまま廊下に落ち、くるり前回転で起つ。
「三角飛びとは、しゃれたことやるじゃねえか」
「へへ」と笑ったマックス。だが何も言わない。
「マックス、笑ってるだけね」と景子。
「気圧されているのよ、あの親父に、だからごまかしている。それとも本当に可笑しいのかもしれない。でもそうだったらイカれてる」と夏生。
景子が笑った。
「まあ後者なんじゃないの」
夏生がボソっと言った。
「これは試合じゃない、ケンカよ、もしマックスがやられそうになったら」と夏生は鬼切丸に手をかけた。
すると、
「そこの女か男か分からないやつ、手出しは無用だぜ」とかなり失礼な真道誠。
「おっさん、相手はあたしだ!」とマックスが一気に間合いを詰めて、右腕をまっすぐ横にして、真道誠に襲い掛かった。この技はウエスタンラリアットという。
この単純極まる技が何と真道誠の胸にぶち当たったのだ。
「ハハ、マックス無茶苦茶だわ」と夏生が言った。そして、
「それでいい」と一言。
「え、プロレス技で良いの?」
「そう、相手が常識外れなんだから、マックスも本能で動けばいい。そもそも現代スポーツは合理主義、それが通用しない相手には、もう本能フルスロットルでいい」
真道誠はラリアットを食らって、一歩下がった。
「へええええ、面白いな」と真道誠が笑うと、
「へへへへ、面白いな」とマックスも初めて笑いながら言った。
「おまえさんケンカ好きか?」
「ハハ、当たり前だろ」とマックスが言ったとたん、真道誠は拳を開いて右足を一歩、これもよいしょと前に出すと、拳を開いたままマックスの肩にぶち当てた・
「おっさん、好きだねえ、ケンカが」
「あたりまえよ」
夏生が笑った。
「だんだんガキの喧嘩になってるわよ、ラリアットもどきと空手チョップもどき、よくやるわ」
つまり相手の技を全部受けるのか、そうすると確かにプロレスか、ガキのケンカになってしまう。
どっとマックスが右腕を大きく、まっすぐ、振り上げて拳を真道誠の顔にぶち当てにいった。気合一閃、ロシアンフックだ。
真道誠も「おおおおおお」と正拳を繰り出す。
ゴン! としか言いようのない音がした。そして、マックスが吹っ飛び、真道誠が片膝をついていた。相打ちだ。
マックスは大の字になった、次の瞬間身体を跳ね上げて立った。
真道誠は片膝をついたままだった。
「マックス、派手に飛んだわね」と景子。
「正解よ、あのおっさんの拳は凶器だから。派手に飛んでパワーを流す」と夏生
マックスは片膝をついている真道誠の周りをゆっくり回る。
「おっさん、芝居は止めろ。私がかかっていくのを待ってんでしょ。そんでもって、あたしを抱えて寝技に引き込むんだろ」
真道誠は俯き、やや薄い頭を見せていた、が、「くくくくくくくくく」と笑うと、スタッと立った。
「あんた、なんで女に生まれた、惜しいな、やっぱりよ女の顔はひっぱたきたくなかったから寝技で決めようと思っていたのにな」
すると、マックスが思いもかけないことを言った。
「私は女じゃない!」
ドヨヨとざわめいた空気になった。
「じゃ、なにかい?男なのか?」
「男でもない!」
「へ?」
「うるさい、自分でも分からないんだ。女より筋肉は付くんだ。でも立ちしょんはできない。だから自分でも分からない」
これは、マックスはLGBTQのQ、すなわちクイア、自分の性がきまっていない人たちに入るのか。
これにはオオオオとどよめきが湧いた。
夏生も景子も一様に目を見開き、かつ口をあけてマックスを見ていた。
「いやああああああ、長生きはするもんだ。そういうことならこれで行くぜ」と真道誠は手の平をぐっと握った。拳である。
「承知」とマックスが答える。
「では」と真道誠は肩幅くらいに足を開き、天を仰いだ「天上」
そして、足を踏ん張った「天下」そして、顔の前で手を交差させた「唯我独尊」
「はあ」と景子が不思議そうな顔になる。夏生もちょっと戸惑った顔になり「景子」と聞いた。
「天上天我唯我独尊って何?」
「あんたねえ、古流剣術使い手なら四字熟語覚えなさい。いい、自分は天にも地上にもたった一人ってこと」
「そんなの、あたりまえじゃん」
すると、
「おい男女、分かっているじゃあねえか、だがな武において、それを言うのは、天にも地にも俺に敵うやつはいないってこった」
「そんなの、当たり前じゃん、でなかったら真剣振り回せない」
「ほう、あんた剣真さんの息子だな、やっぱ云うこと違うわ、あんた俺とやるかい?」
マックスが、
「おい、あたしだろ、相手は」とむくれると、
「悪い、悪い、だが勝つのは俺だぜ」
「なんでだよ」
「こいつを出すのは寿命が十年は縮むからよ」
「ふん、知るか」
「来なさい!」
「おおお」とマックスは蹴りを出した。三日月蹴り、すなわち美那月蹴り。
だが、真道誠は、そこにいなかった。まるで風の様に体が右横に流れた、引力が消えたように。マックスの後頭部に流れるように左拳が飛んでくる。何だろう今拳がグワッと大きくなったように見えた。この真道誠は天才と言われた健の子にして真武会総帥二代目である。年は六十は超えているようだが、誠がこれなら、健は化け物だ。というか、まったく違うタイプだったのだろう。何故か、雅には、そう思われた。つまり健は天才だった、そうだが。この誠には天才のもつある種の狂気は感じられない。逆に、その拳に激しさ、狂気は一切感じられない。思うに武にしろ商売にしろ一代をおこすには狂気が必要だ。織田信長がそうだ、だが引継ぎに天才はいらない。つまり二代目の役割は引継ぎ、継続可能な集団にすることが求められる。この能力に天才はいらない、いやむしろ欠点にすらなる。この目の前の真道誠は偉大なる凡人である。
だが凡人の努力は人知れず、人の眼に入らない。だから、その技は努力を積み上げるものに他ならない。その技は。天上天下唯我独尊など、はったりだ。どこかに秘密の努力の結晶があるはずだ。凡人ははったりも嘘も言う。それを信じたらえらい目に合う。ん? 目? あ!
「見るな!! マックス、おやじの眼見るな、催眠術だ!」
マックスの上体が揺れた。そこに飛んでくる拳。
バチン、乾いた音がした。
「なあるほどね、おっさん、ペテン師か」マックスの右平手が真道誠の正拳を止めていた。その差頭蓋骨まで三センチ。
「良いコーチいるじゃねえか」真道誠は後ろ脚に離れていった。
「まあね、なんたって超能力少女なんだもんね、にしても正体がペテン師とわね、おっさんワルだね」とマックスが笑う。
「まあな都内の高校のワルほとんど絞めたからな」
「へええええええ、不良だったんだ」
「まあな、あんた楽しいかい?」
「うん、まあな」
「じゃ続けようぜ」
真道誠は天地上下に戻った。
そこから二人はピタリ動きを止めた。マックスは目だけは半眼、「おっさんの眼!に気をつけて」が効いているのだろう。




