マスクマン
第四試合、龍の口、女戦士オリバージョンソン、虎の口、ミスターM
オリバーは髪を赤く染めていた。雅の目には少し太って七十キロ以上はあるか、黒色の肌は張りつめて、筋肉はいっそう固く盛り上がっていた。
が、虎の口を見たとき、雅は微妙な気がした。中年以上であることは間違いないが、少し小太りで白い空手道着のその人は黒い顔マスクをすっぽり被っていたからだ。これはいよいよ、時代がかってきた。黒マスクのレスラーは昭和によく見た光景だが、令和になっての黒マスクでミスターMとはね、これを考えた人は頭が良いんだか悪いんだか。
だが、両者がリングに立った時、黒マスクがひとまわり大きくなった。ミスターMの発する闘気が可視化されたように、天にも伸びていった。
「ファイト!」レフリーの声がかかりカーーンとゴングが鳴らされた。
オリバーは大きく手を天に伸ばし、天地上下。対するミスターMは左手を顎に伸ばし、右手を下段に置いた。ミスターMの体重はやや後方の右足にかかっているみたいだ。受けの姿勢か。
オリバーはゆっくりミスターMの周りをまわる。オリバーはミスターMが見かけ通り空手かどうか探っているように見える。そしてシュッっと左足を飛ばす。ミスターMは軽くそれをバックステップでかわすと、上下に構えなおした。オリバーが周りをまわる。
オリバーが慎重だなと雅は思った。よっぽどミスターMに圧を感じているのか。膠着状態が続いた。
するとミスターMが「やめた、やめた」とロープに体重をかけて、「おい、マイクよこせ」と言った。ハハ、プロレスみたい。だが、次の瞬間本当にプロレスになりそうになった。すなわち、ミスターMはマイクを握って言った「よう、オリバーさんよ、あんたプロレスラーなんだって、だったらさ、プロレスしようぜ、あんたがロープにおいらを投げ飛ばしてもさ、おいらは返ってくるからさ、なあ、どうでえ、その方が見てる人も面白いだろ」
観衆はドウ! と湧いた。このおっさん面白いと思わず雅は思った。
だがオリバーはまだ信用していないようだ。おっさんミスターMの周りをまわっている。
すると、
「あいよ!」とおっさんがドロップキックを放った。
「おおおおおおおお!」「本気だぜ」「おっさん面白い」
これでオリバーはにやりと笑うと、おっさんの右腕を持って、ロープに飛ばした。ここでプロレスかどうか分かる。だいたい、プロレスでロープに振って、まともに返ってくること自体、格闘技としては?が付くのである。
だがおっさんは返ってきた。そのおっさんにラリアットをかますオリバー。熱い胸板にバン!と音がしたようだ。これは本当にプロレスになってきた。大の字になったおっさんに肘打ちを落とすオリバー、そして素早く抑え込むオリバー「こらあ、レフリー、カウントせんか!」
「あはははははははははは、おかしい、あのおっさん」と夏生。
ツーで返したおっさんにオリバーがトップロープに上ってニードロップ、が、おっさんは素早く、身を回転させ避けた、マットにうずくまるオリバーの右腕を取ると、ロープに振って空手チョップ。
「初めて見たわ、これがプロレス」と景子
私も初めて、見た。生プロレスと雅も思った。
空手チョップで倒れたオリバーの手を取り、思いっきりロープの間に飛ばし、リング外に、おっさんもリング外に降りる。
「おいおい、場外乱闘かよ!」と夏生が叫ぶ。前列に倒れこんだオリバーにパイプ椅子で前頭部をぶん殴る。大の字になったオリバーを捨てて、リングに上がろうとするおっさんの足を掴み、引きずり倒すオリバー、オリバーはそのままトップロープに上りダイビング、大の字になったおっさんにとびかかる。もはやプロレスー昭和のプロレスだ。そしてオリバーは素早くリングに上がった、後から、ようやくリングにあがりロープを掴んだおっさんにオリバーはドロップキック、と思われた瞬間、軽るがるとそれをかわし、ジャンプして三本のロープを跨いだおっさんはリングに立った。オリバーも素早く、体勢を立て直し、大きく手を伸ばすオリバー。相対する二人
すると、期せずして、拍手の嵐が沸き起こった。ふーんプロレスって面白いなと雅は感心した。
オリバーが動いた。真正面からおっさんに迫り、体を前転した。胴回し回転蹴り。
おっさんは堂々と受けー格闘技なら避けるのだが、これはプロレス。回転してきた右足を肩に乗せ、そのまま前に倒れこむ。そしてオリバーの身体を回転させて逆エビ固め。おっさんは本当はプロレスラーじゃないのか。抑え込まれたオリバーは背中をそらし、両腕をマットに付けて、腕たて伏せの格好になった。そして一気におっさんを背中で押した。マットに伏したおっさんがくるり回転するのを見て取ったオリバーは一気に四の字固めを極めた。これは確かに痛い技である、しかし難点がある。もしかけられた側が、うつぶせになったら、今度は逆にかけたほうの足が極まってしまって、苦痛を覚えるというわけで、ごろごろの掛け合いで面白くない。が、おっさんはオリバーの右足を掴むと、おっさんの足から、上体の力だけで引き離した。これはすごいパワーだ。おっさんの右足も「おう!」気合を入れて引き離した。こういう四の字固めのはずし方はあまり見たことが無い、たいていロープエスケイプするからだ。
両者向かい合い立ち上がった。今度はおっさんがオリバーをロープに振った、返すところの空手チョップ、水平打ち。スタンドがオーとどよめく。かの故力道山の必殺技である。だがオリバーはぎりぎりで立っていた。するとおっさんがするするとオリバーの身体に取りついた。その形を見て、拍手喝さいの群衆。それはアントニオ猪木の卍固めであった。ハハ、完全にプロレスじゃん。
卍固めはルーテーズがあみだしたという、プロレス技では珍しく、本当に痛いらしい。苦悶の表情を浮かべながら、必死に一歩一歩ロープに近づくオリバー、必死に左手をロープに伸ばす。ここでロープをオリバーがつかんだ。するとパッと離れたおっさん、思わず拍手が湧く。
このプロレス、ややおっさんがリードか、だがプロレスに判定なんてあったか?とにかくここまでは、完全にプロレスだが、さてこれをどう終わらせる。マスクのおっさんの思惑が雅は気になる。
すると堰を切ったように、オリバーが思いっきり前に出て、キックを放ち始めた。左右、前蹴りと凄いスピードで繰り出した。
「オリバーは極めにかかったな」と夏生
おっさんは、その全てを受けた、というよりは、はたき落とした。そして、右腕と左腕を交差させ、一挙に両の拳を押し出した。ドン! とオリバーの胸に両の拳がぶち当たる。そしておっさんは、「よいしょ」と後ろ回し蹴りを放った。見た目にはどちらも速くはなかった。が、確実におっさんはオリバーの蹴りを見切ったように、はらりとよけ、掌底をよいしょと繰り出したのだ。そんなもんオリバーなら受けないだろうと雅には思われるのだが、
「あの、おっさんの攻撃、並みじゃないわね」と夏生
「何か、よいしょっていう感じね」と景子
「だからリズムを狂わしているのよ、あたしの正剣もかわしそうよ、あのおっさん」
「そんなに」
「ああ、尋常じゃない」
蹴りで胸板をドンと突かれたオリバーは、ぐらり揺れた。そこへ、おっさんの右上段蹴りがオリバーの左頬を捉えた。これも見た目は速くは無い、無いが当たっていた。
ゆっくりマットに沈む、オリバー。
「あのおっさん、結局はじめから空手をやっていたら、もうちょっと速くきまっていたのに」と夏生。
「じゃ本気じゃないってこと?」と景子が聞く。
「いやおっさんはプロレスを真剣にやっていたと思う」
そんなもんか、マサはどう思っているのかと思ったが声は聞こえてこなかった。
こうして第四試合は終わった。




