エピローグ
宇宙に煌めく銀河の中、一千億個ある恒星の一つ、銀河の片隅に存在する太陽系第三惑星、地球。その蒼い星の光と金色に輝く月光の中に、二つの声が響き渡っていた。
「リョウ居るか?」
「ああ、シンだね。僕は居るよ」
「リョウ、まずは聞け。僕はこの世界に来て、分かったことがある。雅とマサはこの世界の始まりに関わるのだろう。基本、多くの生物が雌と雄に分かれているが本来的には同一のもの。この生物上の現実を彼らは体現化しているということだ。正しく彼らは生物史の根幹にかかわっている。アダムとイブは本来同一なのだ。だが、このことを引きずり続ける、この世界とは何かを考える必要がある。もしかしたら神はわざと、欠陥のあるこの世界を創造したのではないか、この世界に住む愚かな人間に自分たちが宇宙の主人などと馬鹿げた夢想を壊すために雅とマサを創造したのかもしれない」
すると軽蔑に満ちた口調でリョウが答えた。
「シン、何もかも神が行ったというのは思考の停滞であり能天気な議論だ。そんなことも分からないのか」
リョウの口調に比べてシンの口調は、あくまで静かに落ち着いていた。まったく対照的だ。
「では雅とマサは、どうして生まれた」
リョウは少しまともな口調で答えた。
「多世界は人間が増えるうちに生まれた。人間の存在の意思を無くして多世界はあり得ない。それは同意だな」
シンはリョウの問いかけに答えた。
「ああ、多世界は人間の意識にある」
二人の問答は、その肉体の姿は無く、声だけが深淵の宇宙空間に響く。リョウの声がやや真面目になったようだ。
「だとすれば、雅とマサは、人間の数だけ生まれた一例に過ぎないことになる。すなわち人間には、あらゆる可能性が実体として存在すること、その実体が、悪になりうることを示すために雅とマサは存在する。悪とは何か、人間の怒りの表現だ。雅とマサの分裂は。それは彼らが怒りによって、統一を図ろうとする時、その宇宙は滅ぶ。一つの宇宙が破滅すれば、多元世界の崩壊につながる。何故なら一は多であり、多は一であるから」
シンはすかさず聞く。
「雅は怒りのエネルギーに満ちているというのか?」
この問答は主にシンは聞き、リョウが答えると言う風になっている。
「そうだ、雅のエネルギーが最大限になる時、それは雅が怒りの感情に全支配される時に他ならない」
「お前は、その怒りのエネルギーを全部、雅から引き出そうと言うのか?」
「そうだ」
「そもそも、お前は何なのか、聞いていなかったな?」
「僕が存在するのは、シン、お前がこの世界に来たからだ」
「僕が来たため?」
「そうだ。シン、お前はこの世界にあっては、初めて多世界から来た存在だ。だからお前が来た瞬間、新しい可能性が、この世界に付与されたのだ。すなわちシンの可能性のひとつ、つまり僕だ。僕はお前のもっとも先鋭的に邪悪な存在なのだ。僕が邪悪である理由は、この世界以外、そんな可能性はない。ということは、この世界は邪悪に満ちているということを逆証明しているのだ。それは実際来てみて、お前も分かっただろう。人間が邪悪に全てを支配されるか、否か。この世界の人間が邪悪に支配されやすいのは自明だ。ただ愛と言う幻想によって、それをかろうじて止めているに過ぎない。雅とマサの人格分裂はつまりは愛ゆえの分離、これほどの献身はあり得ない。その起源は遥か遠く遡る。マサは雅を愛している。だから雅が完全に悪に染まることを阻止しているのだ。もし雅が怒りによって人格統一を成し遂げるなら、この世界の破滅を意味する。そしてこの世界のひび割れは多元世界のひび割れに繋がるだろう。さて、そうなったら、いったい何が起きるだろうね」
「ずいぶん、楽しそうな口ぶりだが、世界の破滅は君の破滅でもあるのだぞ」
「僕が破滅を恐れる存在だと思うのか?」
「破滅を恐れない人間などいない」
そう断言するシンにリョウの嘲笑が答える。
「いや、人間はもっと複雑なんだよ。人間は神に似て非なるもの、カインはアベルを殺した。親に似ていないのは子供の宿命だ。人間自身が、それを証明している。この世界の人類史に自らが造ったものを自らが破壊してゆく者は枚挙にいとまがない。飽きもせずに良くやるものだとは思わないか」
「君は皮肉が好きなんだね。それともニヒリズムかな?」
「ニヒリズムとは例えるなら衣装だ。君は夏に何を着る? 冬には何を着る? 服を着るのは人間だけだ。これはいかに人間が自然において脆弱であることを示している。ニヒリズムは人間の絶望を覆い隠す衣装だ。人間は自然においては絶望的に弱い、そのことを最も表していたのはキリスト教だ。だが、神はもはや死んだ。急いで人間はニヒリズムと言う衣装をまとったんだ」
「神は死んだと言うが、忘れたと言うべきではないのか?」
「記憶の中から去った存在を死と言う」
「私たちの世界では、まだ神を忘れてはいない。人間以上の存在を念頭にいれることで人間は謙虚になれるはずだ。それが何故、この世界で神は忘れられたのだ?」
「この世界では人間は神を真の意味で必要のないものとなった」
「多分、その神の忘却の年譜が、この世界の最大の特徴と思うが、リョウ、君はどう思う?」
「神の忘却は必然だ。人間は神を捨てたのだ。ドストエフスキーを読まなかったのか君は。神はどの面下げて、人類の前に立つと言うのだ。人間をこういう風にしたのは、神自身だ。親の因果が子に報いという日本の祭りの路上商人の口上があるが、いい得て妙だ。 お前は、多世界にあって、この世界が特殊だと思っているだろう。だが、残念ながらそれは間違っている。多世界を生む人間意識の帰結点は、この世界にある。順調に見える他の世界にも、やはて綻びが必ず来る。この世界は、いちはやく人間の滅亡を先取りしているのだ。やがて全ての世界に、それは来る。人間の生とは緩慢な自殺にすぎないことに、お前たちは、この世界の滅亡で思い知ることになるのだ」
「君の、言うことが正しいか、間違っているかは、結局、あの雅とマサにかかっているということになる。とすれば、彼らの周りのトモダチの行動が鍵になってくる。多分君は、彼らを挑発し続けることということだな。未来は彼らの手に、だな」
「そうだ、さて、彼らはどこまでやれるだろうね」
「リョウ、いったい君は本当はどんな存在なんだ、君は人類にとって試練なのか災厄なのか」
「……」
「リョウ、聞こえるか?」
「……」
リョウはもはやシンの問いに答えることは無かった。宇宙は黙って、しんとして静まりかえっていた。
長い物語で、かつ再掲載で、大勢の方に読んでくださって、まことにありがとうございます。
なお、新宿ドリームステージー夢舞台は一応完結しました。引き続き新章「ー聖戦ー」で、雅とマサ、その仲間の物語を書いていますので、よろしくお願いします。一章の長さがー夢舞台ーより短いので読みやすいかと思います。よろしくお願いします。




