鬼切丸と幻獣・大人魚
「リョウ!」と景子と雅が歯ぎしりとともに唸った。
「死を賭した崇高な自己犠牲の結果が馬鹿息子を生きながらえさせること、これほどの喜劇があるか。負けると分かっていて、特攻隊を死地に送り込んだ、大日本帝国と同じとは、よほど日本人は学習能力が無いと見える」
景子はもう完全に切れた顔になった、怒髪天とはこのことか、いや修羅のごとくと言ったらいいか。
「あんた、言って良いことと悪いことがあるわよ」
「何を興奮する、高原景子」
「何!」
その時、夏生が「うーん」と唸って、上体を起こした。
「夏生」と景子が駆け寄る。
「景子、私は何を」と半ば朦朧として夏生が聞く。
「あんた何も覚えてないの」と聞く景子に、
「家に行って、こっそり村正を盗んだところまでは覚えている。けど。その先は…」と答えた夏生は、鉄心の姿に目を遣った。そして次の瞬間、喝! と眼を見張った。その目の先に鉄心の壮絶な死体があった。
「あれは、親父…」
「ええ、そうよ」
夏生が歯を食いしばり、言葉を絞り出した。
「あれは、あたしがやったこと?」
「何故、そう思うの?」
「親父が、あんな風に死ぬのはあたしが原因に決まっている」
これは親子の絆か、雅はそう思った。景子も絶句した。
「……」
「雅も見たんでしょ」
雅は当惑した。答えるべきか、否か。躊躇している間にリョウの嘲りに満ちた言葉が発せられた。
「そうだ、夏生さん、あなたが村正で自分の父親を殺した」
「あたしが、やった」
「そうだ。あなたは父親殺しだ。まあ、神話や戯曲ではありふれた設定だが」
「違う!」と一喝したのは美那月優馬だ。
「鉄心はんは、わが身を賭して、四百年の呪いと我が子の怨念を解いたのじゃ。小僧、お前は何だ」
皆、一斉にリョウを見た。
「僕は、この世界にあって必然的に生まれたもの」
「あなたは、いったい何がしたい? リョウ」と叫ぶ景子。
ふっと笑った顔が、真直ぐ、雅を、景子を、マックスを、優馬を見た。
「ならば問う、あなたがたは、この理不尽で非現実の破滅をどうする。これを止められるか!」
リョウの右手が真直ぐ天空に向かって伸びた。
すると霧が晴れ、満天の夜空に星が煌めくなか、信じられない現象が眼前に現れた。宙空に。突如、薄青のさざ波に揺れる水面が現れた。宙に浮かんだ水面。これは以前見た。すると、まさか。
「この十二社熊野神社あたりはかつて池が広がる景勝の地だったんですよ。そして古来より、その池に棲みつくのは、こいつだ!」
きいいいいいいいい!! 奇声とともに、水面がごうごうと波を立て始めた。そして、逆巻く波の下から現れたのは、巨大なひれを持つ、般若のごとき悪鬼の相貌の巨大な人魚だった。以前見た人魚は幻では無かったのか、しかし、その体は何十倍の大きさだった。
宙空の湖から大人魚がさかさまになって出る。これは漫画か映画か、誰しもがそう思う。
「ほんとうに、これは夢か幻か、誰が言い切れる。想像力は現出する、ならばこれも現実だ。いけい! 目標は都庁だ!」
きいいいいいいいい!!! 咆哮とともに巨大な人魚は夜の闇空で、身をひるがえし、一直線に闇夜に立つ都庁ビルに向かって行った。
「これは、あり得ない」と景子が呟く。
「こ、これはわし等は夢を見ているのか」とさすがの首領・優馬も唸るだけだ。
リョウが再び宣言した。
「何が、現実か夢が、誰が決める。全ての可能性は現出する。それが何であれ、首都ビルは破壊される。地震か、テロか、人魚か、いずれにせよあるのは破壊の現実だ!」
本当に? 都庁ビルは破壊されるのか。
だが、その時、巨大な鳥居に異変が起きた。鳥居全体が光り始めたのだ。そして両の柱の間に、稲妻が閃いた。煌めく閃光と轟音が鳴り響き、まさに光の奔流が鳥居の二本の間から迸る。光の奔流は、まるで滝のように空間に満ち満ちて、夜の空間を吹き飛ばすように流れて出てくる。そして、光の滝から、今、出でて来るものがあった。最初は獣の脚のような形が現れ、ついには脚が二本になり、それが光り輝く馬だと見とめられた。光の奔馬が、両足を大きく上げると、光の中から一気に現れた。そして、馬の背に甲冑の武者が乗っていたのだ。漆黒の武者は、手綱を引き締めて、光の壁から立ち現われ、次々と顕れる奇怪な現象に呆然としている雅たちの前に馬を止めた。そして、馬の背から降りた鎧も兜も顔も黒の武将は、地に伏している鉄心に片膝をつけ、合掌した。
「汝はまことのもののふなり」そうつぶやいた武将は、腰の刀を抜くと、夏生に向かって投げた。
宙に飛んでくる刀をガシッと夏生は捕まえた。
「もののけは汝が鬼切丸で成敗せよ」と声を掛けると、武者は馬に再び乗り、ひと声の嘶きで、光の奔流に帰って行った。武者が消えると、もとの暗夜に帰ったが、その間に巨大人魚は今しも、その尾を都庁ビルに巻き付けようとしている。
景子が夏生に聞いた。
「夏生、どうすんの、あの武者は何者か分からない。でも、あの武者はあんたに、化け物を鬼切丸で切れって言った。どうする?」
夏生が聞く。
「鬼切丸って何?」
「太平記に出てくる刀の事だったと思う」
夏生はしばらく手で握った鬼切丸を見ていた。すると村正のような怪異な光ではなく、鬼切丸が七色の虹のような光を放ち始めたのだ。
夏生は立って、雅に聞いた。
「あんた、あの人魚の動き止められる?」 人魚の動きを止める、私が。「あんたしかいない、あの化物を止められるのは」
そうかもしれない。しかし。
「ここからは無理です。近づかないと」
「あんた飛べないの?」
「そんなに飛んだことは無いです」
「なら、出来るかもしれないってことよね」
そうかもしれない、だが、それでどうする。
「あんたが止めている間に私が斬る」
夏生があれを斬ると言うのか。
「私が斬る」と夏生は、煌々と輝く鬼切丸を見ながら言った。
「でもママはどうやってあいつに近づくんですか。私はママを運んで飛ぶことは難しい、もし運べても、その状態であいつを止めるのは無理かと思います」
その時、優馬が口をはさんだ。
「二正面作戦でよかろう」
夏生が眉をひそめた。
「二手に分かれろと」
優馬が頷いた。
「そうじゃ、雅は飛べ、そしてあいつを止めろ。鉄心の息子はあれが運べばよい」
トランシーバーを片手に持ち優馬は空を指した。すると、ごうごうと轟音が鳴り響き、新宿の暗天の空に一機のヘリコプターが出現した。
「UH-60JAブラックホークじゃ。あれに乗れ」
夏生がヘリを仰ぎながら聞いた。
「何であんなものを?」
「シンとかいう若造に頼まれた。まさか、こんな使い道があるとはな」
「シン! あいつが。でも操縦しているのは、まさか自衛隊員?」
「時任三郎とか言っていたな。儂よりお主たちの方が知っている人間じゃろ」
「三郎!」
生きていたのか、三郎、そしてヘリコプター、そしてシン、つまり、あの時、ここ熊野神社で見たことを雅は思い出した。三郎もまた今日、来ていた。シンは、この目の前にある現象のあらかじめ知っていたのか、などと考えている場合ではない。今しも都庁ビルは破壊されつつある。優馬のプランに乗るしかない。雅は言った。
「私は行く」
雅はそう言うと、ヘリの三郎に念を送った。
「分かった」と短く返事が返り、ヘリコプターから縄梯子がするすると降りてきた。
「何、雅、三郎に情報を送ったの」
雅はうんと頷いた。
「じゃ、作戦開始」
夏生は梯子を掴んだ。
ごうごうと轟音を上げて、縄梯子に捕まった夏生を乗せ、ブラックホークが都庁ビルに向かってゆく。
快刀鬼切丸を片手に掴み、夏生がぎりっと巨人人魚を見据えている。それに並走して宙を飛ぶ雅。
「雅、聞こえる?」と夏生が思念を雅に送ってきた。だが、地表に比べ、上空はかなり風が強い、びゅびゅうと寒風が渦巻いていたのでようやく夏生の声が感じ取れる。
「雅、聞こえる、作戦を立てた。まず私はあの化物より上に飛ぶ、あなたは下に居て、化物の動きを止めて、そしたら、私が上から飛び降りて、あいつを真っ二つにしてやる」
「でも、それではママが地上に落ちる」
「落ちていく私をあんたが掴んでくれればいい」
やや雅は躊躇したが、それしかない、か。
「分かりました」と雅は返答した。
「じゃ三郎に作戦を伝えて」
「はい」
すると、ブラックホークが、雅から離れて、上空に向かって飛び始めた。雅はその場で、真直ぐ巨大人魚に横から肉薄する。
巨大人魚は、その尾を首都ビルの左の塔に巻き付けようとしている。あの馬鹿げて大きい尾ひれを巻き付かれたらビルはひとたまりもない。ただ、幸いなことに、物理的に大きい物体は速度が遅い場合が多い。巨大人魚も例にもれなかった。雅は急速度で人魚の尾ひれに取り付いた。そして鱗らしき物体に手をかけ「んんんんんんんんんん!!」と唸りを上げる。尾ひれの旋回運動を全力で止めにかかり、且つ人魚の行動を制御しようとしたのだ。いわば鯉のまな板状態にしようとしたのだ。夏生が少しでも功利的、且つ迅速に、この巨大人魚を切り裂くために雅は全力を傾けた。しかし何という風景か、映画でもありえない、非現実的なスペクタクルだ。ブラックホークは急速に人魚の頭を超え、上昇している。雅ははっきり見えた。夏生が刀の腰に差し、鬼切丸の白刃を右手で抜き出したのを。 ごうごうと唸りを上げるブラックホークから垂れる縄梯子を左手で掴み、右手で鬼切丸を構える夏生。ブラックホークが人魚の真上に達した、その瞬間、夏生は宙に飛んだ。
宙空で「せいいいいいいいいいいい!!」烈迫の気合と同時に夏生は鬼切丸を大上段に構えた。目にも鮮やかな満月の夜空に舞った夏生は「ちいいいいいいいいいいいいいいい!」と気合と同時に鬼切丸を振り下ろした。雅の渾身の念動力でほぼ、水平になった巨大人魚のちょうど臍のあたりに、鬼切丸の刃が振り下ろされた。次の瞬間、人魚の胴体が閃光とともに真っ二つになって、夜空に飛んだ。上半身が、公園の林に飛び、危ない、思わずヘリに向かおうとした瞬間、宙空から落ちてくる夏生が目に入った。真っ逆さまに空から降ってくる夏生、雅は夏生が大地に激突する寸前、紅の小袖の端を握って、空に舞った。まさに間一髪だ巨大な尾ひれが宙に舞う。が、雅はハッとして観た。巨大な尾ひれがブラックホークにぶつかったのだ。ブラックホークの胴体が旋回して落下してゆく。その時雅は驚愕の三郎をはっきり見止め、った。だが、ヘリが、新宿中央公園の森に落下するのが見えた。あれでは三郎は助からないか。
雅は夏生の身体を抱くと、地に降り立った。
景子とマックスが駆けつけ、
「大丈夫、夏生は」
「ママ、死んだのか」
雅は首を横に振った。
「いえ、気を失っているだけです」
すると優馬が近づいてきて、言った。
「ここは、儂にまかせて、皆、撤収するが良い」
「でも、あんなものが空から降ってきて」と景子が夜空を見ると、人魚の死骸は消え失せていた。
「あれ、いったい、あの人魚は」
優馬は困惑した顔を隠せずに言った。
「儂も、何が起こったのか分からんが、人魚も、あの生意気な小僧も消えたわ。但しヘリは落ちたがな」
優馬にして、眼前で繰り広げられた出来事は空前のものだろう。
「とにかく、自衛隊のヘリが落ちたのはまちがいない。だから面倒になる前に、儂に任せておぬしらは速く去れ」
「ヘリの三郎は?」と聞く景子に、
「多分、だめだろう、あの高さから落ちたのではな」と優馬が首を振りながら答えた。
「とにかく、このじいさんの言う通りにしようぜ」とマックスが言った。
「ママはあたしが担ぐ」とマックスは雅から夏生の身体を放して背負った。マックスは、オリバーとの激闘から、だいぶ時間が経っているから、体力が戻ったのだろう。
「はやく、行け!」と優馬が急かす。雅は立ち去りがたかったが、
「おじいさま」
「お前も、速く行け!」
景子、雅、夏生を背負ったマックスが新宿中央公園を出ようとしたとき、一閃の光が射した。
「おい、夜明けだぜ」とマックス。




