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父と子

 その時、バンッと空気を裂く音がした・そして空を切り裂く音と同時に夏生の立つ足元で、地に小さい穴が穿たれ、わずかに煙が上がった。

「夏生、目を覚まして!」

 景子が、手にS&W・M360を握っていた。リボルバー式拳銃である。

「景子さん、そんなものを持って来たんですか」と雅が問うと、

「夏生の凄さは夏生のお父さんから聞いていたから、持ってきたの」と景子は答えた。

「何でそんなもの、違法じゃないですか」

「私がアメリカで得た物は学問だけじゃないってこと」

 景子はそう言って、改めて夏生を見た。

「夏生、もうやめて、あんたおかしいよ。顔が」

 夏生がゆっくり幽霊めいた顔を景子に向ける。

「あんたは呼んでないよ、景子」

 そう言って、刀を正眼に構える夏生。

「景子、震えているな、俺が恐いか? そんなんじゃ当たらないよ」

 景子は、必死の形相だ。

「夏生、村正を離して、じゃないと、あんた人間でいられなくなる」


 景子の言う通りだと思う、雅は前の黒の夏生と闘った夏生を知っている。あれは激闘だったが、今目にした夏生は、あの時の夏生の比ではない。あの時はやや黒の夏生が上だったが、今の闘いは夏生が黒の夏生を圧倒した。つまり夏生は、黒の夏生を上回る化物になっているということだ。まさに人外の魔物。


「夏生、村正を捨てて」

 夏生は右手で持った村正を右肩にかけて、薄笑いを湛えながら答えた。

「なんで、村正を捨てろと言うの? その根拠は、ドクター高原景子」

「あなたが、いかれてるから」

「なんだ、それT大の先生がいう事?」

「じゃ、別の言い方をするわね、今のあなたは、外見的にも精神的にも。通常の人間以上のエネルギーを発出している。これは人間の最も危険な状態。今のあなた機械の許容する限界値を超えて、エネルギーを放出しようとする原発みたいなもの。物理的にはそう言える」

「なるほど、あたしがメルトダウン寸前の原発」

「そうよ」

「私は原発じゃないわよ」


 景子は少し躊躇したようだったが、顔を少しあげて言った。

「人間が一番、精神的エネルギーを放出するのは、多分自殺する時、絶望や怒りで、完全に理性をコントロール出来なくなった時」

「へええ、でもあたし気が狂ってなんかいないわよ。むしろ晴々したような気分」

「三島由紀夫が、腹を切る前、今日死ねると思うと晴れがましいと言ったそう。これは完全に躁状態。人間が破滅に向かう時、人によっては、それがもっとも昂揚するものと錯覚する。これは特攻隊もそうなの」


「へええ、つまり私は躁なのか、それは、いかれてるわけだ」

「そうよ、だから村正を離して」

「何で村正を離す必要がある」

「それがなぜかは分からないけど、あなたの能力が村正と親和性が異常に高いとしか言いようがない。あなたは村正に依存し、村正はあなたに依存している」

 夏生はいっそうぞくりとする笑みを湛えた。

「まるで、毒物を持ったあなたの友人のようだね」

景子は眉をひそめた。

「何で、それを」

「あんたは、自分が救えなかった恋人と私を同じに見ているわけだ」

 景子は拳銃を持つ手が震えた。

「何でそれを知っているの?」

「さあ、何ででしょうね」と夏生がおかしくてたまらないという顔になった。

 景子はぎりっと歯を食いしばった。

「リョウね」

 リョウ、こんな人の心の内を見透かして、人を追い込む。いったい何で? ここまでの全部にリョウが関わっていることがかなりはっきりしてきたと雅は思う。いったい何をしたいのかリョウ。


「私が、何をしようとあんたに関係ない」と夏生が吐き捨てた。

「その言葉自体があんたが狂っている証拠。恋人とか友人とか、親とか子供が破滅しかかっているときに平然としているのは異常なの。夏生、あなた今異常なの」

 最後の方は悲鳴に近かった。拳銃を持つ手が震えている。

「ふーん、恋人の次はあたしを助けるってわけ、それは、あんたの自己満足と言うんじゃないの」

 景子は黙った。だが凄い目で夏生を睨んでいる。

「……」

「あんたの行為は、あんたが思うほど崇高なものかしらね」

 景子はいやと顔を上げた。

「そんなことは思っていない。でもあんたが破滅したら、私も、あなたの親も悲しむ」

「俺に母は居ない、俺がまだ小さい頃死んだ」

「お父さんがいるじゃない」

「俺を見捨てた奴だ」

「あんた、何も分かってなそうね」

「何が」

「トランスジェンダーかなんか知らないけど、自分の現在が自分の思うものと違うなんて、世の中に溢れかえっているの。それはLPGTだけじゃない。多重人格の人だっている。自閉症の人だっている。それに表面は普通に見えても自分だけじゃ解決の出来ない問題を持っている人なんて、ここ世の中あふれているのよ、私はその人たちの力になりたいわ。それは善意なのよ。障害を越えて生きようとするのも、その助けになろうとするのも、人間の善意の信頼があって初めて成り立つ。今のあんたは何、悪意そのものじゃない」

「私は私の心のままにしているだけだ、気持ちいいぜ」

「あなたのお父さんが言っていた通りね」

「何!」

「障害を持つ、その家族のことは他人にはたちいれない部分もある。あんたがお父さんをどう思っているかなんて、とっくに気が付いてるわよ、こう見えてもT大の心理学の助教授なのよ、あたしは。その気持ちは理解できる、だから私は立ち入らないことにした。でも、今、こんなになっているあんたを見て、理解した」

「理解した、何を?」

「破滅に向かうあんたを、あなたのお父さんがどう思うか想像がつくってこと」

「うるさい! 親父のことなんて、お前に何が分かる!」

「他人だから分かる。一度しか会ったことがない、あんたのお父さんを私が理解しているなんて言わない。でも、これだけは言える。あんたのお父さんは、本当にあんたと村正が会う事を恐れていた。なのに、あんたは村正を取った。いったいなぜ?」

「俺は、俺を否定した親父とは口も聞きたくない」

「それが方便とは思わないの」

「方便?」

「あなたを村正から遠ざけるための方便」

「……」


 今度は夏生が黙った。多少心に届いたか。

「あんたが、その気になれば、どこに隠しても無駄なのは、鉄心さんは分かっていた。

だから、あんたが自ら家に近づかないように心理的に鍵をかけたのよ。我が子が二度と家に踏み入れないように、TGを理由にね。お父さんはわざと我が子に嫌われるようにした。心理学者として断定するわ。物理的な鍵より心の鍵の方が強いのよ。でもこれは苦渋の決断ね。あんたは、そのことが分かっていない」

「うるさい! 黙れ」

「あんた、もしかして、あんた自身も気が付いていたんじゃないの。村正を取れば自分がどうなるか」

「……」

「あんた自身も恐れていたはずじゃないの、それなのに、なんで取った! 夏生、村正を」

「うるさい、うるさい、私は強い、強くない私は私じゃない!」

「そんな強さ認めない」

「うるさい、あたしは最強なんだ。現に黒の夏生に勝った」

「邪悪に邪悪をぶつけたら、それは絶望なのよ」

「うるさい!」

 びゅうと風を切って、村正の白刃が飛んできた。

 雅は景子を守ろうと、念動力を発動した、が、わずかに白刃の軌道を逸らしただけだった。これは驚異だ。


 が、その時、景子が斜め左に飛んだ、と同時に、S&Wの引き金を引いた。バンッと発射音が響き、38スペシャル弾が夏生の身体目掛けて、飛んで行く。雅はその弾道を確かに見た。だが、驚くべきことに夏生は飛んでくる弾に向かって、一歩踏み出した、同時に「しゃっ!」気合一閃、弾を切り裂いたのだ。雅は、弾が真っ二つになったのをはっきり見た。弾を切り裂く村正の刃を。


 景子は硬直した。あり得ない、そういう顔だ。38口径の拳銃の速度は、確か音速に近いはずだ、それも小さい弾丸を日本刀で真っ二つなんて、まったくあり得ない。

 地に転がりながら、景子は弾丸をもう一発発射した。だが、夏生は村正の刀を翻す。

結果は、前と同様だ。

「そんな、馬鹿な!」

 夏生はにやりと笑った。

「景子、相手をやるなら、胸か頭を狙いな。足じゃ意味が無い。もっとも結果は同じだけどね」

「くっ!」と景子は唸った。拳銃を持つ手が震えている。

「二発撃ったよね、後何発? 撃ってみなよ、全部」

 夏生は刀をゆっくり上段に上げた。

 景子も震える手を挙げた。


 その時、空を切って、夏生めがけて飛んでくるものがあった。

「チッ!」と夏生は、刀をひらめかせ、キーンっと弾き返した。

すると地に手裏剣が落ちた。そして、

「そこまで!」と大音声が響いた。


 その人影が呟いた。「これほどとは思わなかった。まさに異能よな、旋風(つむじ)に対するは逆風(さかかぜ)、そして拳銃の弾丸を斬り飛ばすとはな」

 夏生がその人物を酷く醒めた目で見た。

「何しに来た」

 その人物は低い声で答えた。

「お前を止めに来た。これ以上、わしらの親子喧嘩によその家のお嬢さんを巻き込むわけにはいかない」

 夏生はふんと鼻を鳴らした。

「俺に勝てるとでも思っているのか。親父」

 なんと、夏生の父、橘鉄心。白袴に黒の小袖の壮年、背はさほど高くないが、ピンと張った背筋、肩幅広く、引き締まった体は真っすぐ大地に立ち、口を引き締めて炯眼に輝く光。まさに古武士の相貌。そして、その武骨な手には日本刀が握られていた。


「これは、ごっつい、空間ですな。物騒なものがぷんぷん匂いますな」

 鉄心と並んで立つ老人がいた。白髪の、細身の人物、その唇に微笑みを湛え、何か飄々とした風情だが、その丸渕眼鏡の奥の瞳は、決して笑っていない。しかし、その奥に光るものの意味を正確に捉えうるものは少ないだろう。これが、この老人の特徴、不可思議な存在感ともいうべきものだろう。雅が目を瞠った。

「おじい様」

 橘鉄心、美那月優馬が、大鳥居の前に立っていた。

「おいらも居るよ」

 霧の中からマックスも姿を見せた。

「まったく、恐れ入ったね、ママは怪物だね」

 鉄心が一歩前に出て言った。

「御前、皆を下がらせてください」

 日本刀を握りしめ鉄心が前に進む。

 夏生がそれを見て言った。

「へえ、曾爺さんの力借りるんだ」

 鉄心がゆっくり頷いた。

「そうだ、旧帝国日本陸軍中佐、橘柔心の軍刀で、お前を制する」

「そんな昔の物、役に立つの?」

「この軍刀で橘柔心は、2.26に加担しようとした五十人の同僚を制したと聞く」

「へええ、五十人殺したの?」

「いや、皆逆手だったと聞く」

 夏生はぞっとするような笑みを湛えた。

「へえ、殺しちゃえば良かったのにね」

「問答無用!」と鉄心が駆け出した。


 壮年とは思えないスピードで、夏生に向かってゆく鉄心。夏生はすっくと立ち、余裕の表情で正眼に構える。必死の形相の鉄心と余裕綽々の夏生では、確かに技量の差は明白とは思うが、鉄心の闘気も凄まじい。この壮絶な親子喧嘩の行方は、さすがに雅も見えなかった。


 鉄心は走りながら、軍刀の刃をすらり抜き、鉄鞘を放り投げた。そして、次の瞬間、

ぴたり止まり、刀を振り上げると一直線に石畳に突き入れた。何と、固い石を突き通して、刀を垂直にしたのだ。そして鉄心は垂直に立った刀の鍔に右足を掛けて、それをばねに一気に宙を舞った。刀を放棄したのか鉄心。が、宙に舞った鉄心の右手は肩の後ろにあった。鉄心は背中に小太刀を担いでいたのだ、それを素早く抜放ち、攻撃の姿勢を取った。が、なんと、鉄心の上で声が上がった。


「上を取ったぞ、親父!」

 信じられないことに、夏生は、鉄心が舞い上がると同時に自分も宙を飛んだ、それも鉄心よりも上に。

 夏生の刀が上段から振り下ろされる。

「ちいいいいいいいいいい!!」と鉄心は吠えながら、迫ってくる刀に小太刀を横に構えた。


ガツンと宙で、刀の激突音がする。鉄心の右肩すれすれに夏生の村正が食い込んだまま二人はどうと地に落ちた。

 夏生は素早く起きると、石畳に突き刺さった、刀に目を遣った。と同時に鉄心が動いた。夏生が素早く刀に取り付き、刀を奪い取る。

「ふん」と鉄心を見る。刀を取られて、鉄心、絶体絶命か。が、鉄心が向かったのは刀の鞘だった。夏生もちょっと驚いたように鉄心を見る。

「へええ、計算づくか。やるね、親父」


 刀を取ると見せて、鞘を取った鉄心。その鞘は軍刀ゆえに鉄、充分に武器として使える。

 鉄心は黙って。鞘を上げた。右肩の斜め上に、鞘を真っすぐ、立てる。野球のバッテイングのフォームより僅か上に、鞘を振りかぶる。薩摩示現流の蜻蛉の型に似ている。これは、まっすぐ一撃で相手を仕留めると言う型だ。だが、その左肩から血が噴き出ている。つまり鉄心は一撃に賭けるしかなかったということか。


「親父がそうくるなら、付き合ってやるよ」

 夏生はそう言うと、刀を翻し、村正をパチンと鞘に納める。そして柄の頭に手を添えて、右足を前に出した。これは抜刀術だ、相手より一瞬、速く刀身を抜き放ち、

そのまま相手を切り捨てる。つまりこれも一撃だ。

 一撃と一撃が、ぶつかり合って火花が散っている。じりっ、じりっと両者がにじり寄る。


「おおおおおおおおおおお!!」烈迫の気合で鉄心が鉄の鞘を振り下ろす。夏生が素早く刀身を鞘から抜き出す。両者が交錯した、すると、宙に鉄の鞘が半分飛んだ、抜刀で夏生が鉄鞘を斬り飛ばしたのだ。返す刀で大上段から村正が鉄心の頭上に振り下ろされた。鉄心、絶命かと思われたが、刀はぴたり鉄心の頭ぎりぎりのところで止まった。鉄心の真剣白刃取りだ。が、鉄心の白刃を取った両の掌から血がにじみ出ている。本当に命ぎりぎりの闘いだ。だが、ここまで自分の親にやるか橘夏生、まさに狂気に支配されている。


 鬼の形相にも薄ら笑いを隠さない夏生、こんな顔見たくない、だが、夏生は村正の束を握りしめて、自らの父の額を真っ二つにしようと全身の力を入れている。鉄心は徐々に押され、村正の刃が額に届かんとする、その時、

「御前!」と鉄心は絶叫した。

「おう、鉄心!」と応ずる優馬。

「我が意を得ましたぞ、御前!」

「我が意とは」


「我が生きる意味!」

「おおおおおおおおおおお!!」と絶叫を上げて、鉄心は刀を押し戻した、そして、次の瞬間。村正の刃を自らの胸にまで下し、「おう!」と気合を入れた。次の瞬間、そこに居る人々は凍ったように固まった、雅はその瞬間を見た。何と、鉄心は村正を自らの胸に突きつけ、体の内に通したのだ。鉄心の胸に刀が深々と突き立ち血が噴き出ている。そして雅は見た。まさに、夏生が思わず離した村正を、鉄心が自ら胸深く突き通すのを、そして渾身の力で言い放った言葉を聞いた。


「むらまさ! これで終わりだ」

 そういうと鉄心はどうと地に仰向けに倒れた。すると胸に突き立った村正が、束が消え、刀身が空に消えていった。すると村正の消失に合わせるかのように夏生が地に伏した。


「凄まじいよのう、わが身を賭して、村正と刺し違えたな鉄心」

そう言ったのは優馬だ。優馬は続けた。

「四百年の怨念を絶つことと息子を救う事、これが我が意の意味か」

 すると、天から笑い声がしてきた。それは、まさに哄笑というべき、何か、とてつもない悪意に満ちた笑い声だった。そして笑い声に続き、冷たい声が続いた。

「ハハハ、可笑しくてたまらない。これだから人間は笑えるんだ。崇高な理念と愚かな行動、この差に人間は常に棲んでいる」

 霧にけぶる夜空から、哄笑の響きとともにリョウが地に舞い降りた。


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