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みやびとマサ

 美那月雅(みやび)は東京新宿の区役所通りを、真っ直ぐ靖国通りに向かって歩いていた。やがて夜明けの来るビルの谷間は、珍しく人込みが途絶え、深く白い霧に覆われていた、夏のうだるような暑さは、この後何時間かは少々休止する。だが水蒸気の粒子が顔を濡らし。都会の霧は避暑地のそれとは違い、べったりとした水滴が、まるで人の汗のように顔にへばりつく。


 雅は焦りながら歩いていた。店の閉まるのが、通常より遅くなったのだ。すると速足の雅の左側に黒のワゴン車が止まった、すばやく車から若い男、もしかしたら十代かと思われる三人が出て、雅の前に立ちはだかった。

 

雅が足を止めると、坊主頭で耳にピアスをしている男がにやにやしながら雅に向かって言った。

「お姉さん、店の帰り?」

 まったくいやな顔だなと雅は思った。顔が歪んで、まるで盛りの付いた犬だと言ったら犬に悪いか。 三人は雅の正面、左、右と囲む。半包囲の形だ。逃げるには後ろしかない。

 正面に耳にピアスをして、坊主頭の男。右には腰までずり下がったジーンズを穿いた長髪、左にはTシャツから伸びた腕に蛇の刺青が見える三白眼の男。皆、口元を緩めてヘラヘラ笑っている。そしてその目はどす黒い欲望に満ち満ちている、心の中が女しかないのが、こいつらはと思う。

 

ピアスが笑いながら言った。

「いい脚してるね」

 雅は白の短パン・ジーンズに赤のTシャツという軽装だが、三人の眼は雅の身体を舐めるように見ている。こいつらイカれてる。しかしあくまで雅は冷静に応じようとした、つもりだ。

「何か用? あたし急いでいるのだけれど」

 ピアス男が口を開いた。

「俺等と遊ぼう、ねーちゃん」

 長髪男が雅の身体を舐めるように見る。

「一六五、八十五、五十六、八十三、えへへ」

 当たりだ、が雅は反吐が出ると思った。こいつ絶対ストーカーになる。

「綺麗な黒髪のおねーさん、気持ちいいことしよう。」とは刺青男。

 

三人そろって、ろくなでなしだということは分かった。一刻もはやく逃げるが勝ちだが、後ろに戻るわけにはいかない。前方に用があるのだ。

「あなたたち、女が欲しいなら、早朝ソープでも行って、ね」と雅はあくまで丁寧に云った、つもりだ。が、三人ともへらへら笑っている。目は淫獣そのものだ。どうやらこちらの誠意は通じないようだ。


「おとなしく車に乗れ!」とピアスが両手を広げ、雅の身体を掴もうとした。しかし、そこには雅は居なかった。するりとピアスのガニ股の間をすり抜けたのだ。

 すっくとピアスの後方に立った雅に刺青男が目をぎらつかせて殴りかかった。

「ヤロー」

「あたしはヤローじゃない!」

 雅は真っ直ぐ伸びてくる刺青男の腕を左に避け、その手首を掴んだ。と同時に、「えい!」と気合を発するとその腕を逆手に取った。するとたまらず刺青男の身体が前につんのめる。瞬時に雅の右膝が刺青男の腹に叩き込まれた。「ぐぇ」とカエルが潰されたような声を発して倒れた。

長髪が次に飛び込んできた。三段式警棒のような物を持っている。こいつ凶器持っていた。雅は大きく後方に飛んだ。長髪が「死ね」と警棒を振り下ろす、が一瞬速く、雅の両の手が伸び警棒の先を両手で掴んだ。そのまま警棒を手元に引きむと、一気に回転させた。長髪の身体はいきおいよく宙に舞い、ドスンと地に叩きつけられた。

「こいつ。殺すぞ!」

 ピアスが上着のポケットからバタフライナイフを出した。今度はナイフか、つくづくイカレてる。雅は一歩下がった、しかしそこに先ほど倒した刺青男が腕を伸ばして雅の右足首を握った。雅は刺青男の後頭部を踏み抜く、「ゲエッ」と唸ると、刺青男は突っ伏した、だが次の瞬間、ピアスがナイフを一直線に雅の胴体めがけ突き出した。胴体が貫かれた、と思われた瞬間、「グッ」とピアスが唸った。その身体は凍り付いたように固まってしまった。ピアスは大きく目が剥きだされ息さえ失われたようだ。瞬時に雅の右足が飛んだ。回し蹴りだ。それは見事にピアスの右手の甲を叩き、ナイフが跳ね飛ばされた。それは宙を飛んでキーンと金属音を響かせアスファルト道路に落ちた。

 

その時だ、濃霧の一角に一筋の光が射した。

「ああ、まずい。だから云ったのに!」と雅の声が悲壮に鳴り響いた。

 すると世界に光が満ちた。

 

一瞬にして、光は全てを覆い、広がってゆく。その光は世界を覆った壁になっていた。雅の身体は光の壁の中を突き抜け、その身体は壁の向こう側に移り、新宿のその場所から消えた。しかし、光の壁の向こう側から、まるで映画の画面を見るように、雅はほんの少し前に居た場所を見ていた。雅の現在居る場所は何もない空間だが、上の方にぽっかり空洞があり、まるでその穴がマンホールの穴の様にぽっかり空いていて、その向こうは深い闇に包まれた空間だった。つまり雅は現実ではない空間、亜空間ともいうべき場所にいる。


ピアスは呆然と立っている。そして光の壁がカーテンのようにグラリと揺れた。文字どおり回転したのだ。時間も無く、空間も無いまっさらな世界が出現した。

 

すると、バチン! と耳をつんざく音が鳴り響いた。たまらずにピアスは耳をふさぎ、地に伏した。何秒か過ぎた。

 そして、声が掛かった。

「おい。ピアスやろう」

 ピアスがおそるおそる顔を上げた。するとそこには若い男が立っている。

 私はみやび、男はマサ、つまり私たちは一でありニなのだ。その男はかろうじて布切れ一枚を腰にまいて、ほぼ全裸の姿で立っていた。短髪で精悍な顔つきをした男のその肌は白く輝き、まるでギリシャ彫刻を思わせる。これもいつもの風景だ。この男はいつも裸なのだ。

「あ、あんた誰だ? 女は何処に行った?」とピアスは奮える声で問うた。

 男がギラリと目を光らせた。まっすぐピアスに向かって指を指す。

「あんた、あんたらのやったことは許されない。雅はやさしかったが、俺はそうはいかんぞ!」

 男は両の手を前に交差させた。

「ひゆううううううううううううううう!」と気合を一閃! 右拳を振り上げ、ガツンとアスファルト道路に叩き付けた。

 何と! 固い頑丈なアスファルトがピシッとひび割れ、亀裂が生じた。

 それを唖然と見るピアスは完全にマサに呑まれたように見える。

「シュッ」と拳が唸りをあげてピアスの目の前に飛んでいった。顔面を硬直させてピアスが固まった、が、その顔の手前10センチで拳はピタッと止まった。

 寸止めで、ピアスの顔の前で拳を止めたのだ。雅はほっとした。当たっていたら、死ぬかもしれないところだ。

 男はにやりと笑った。ピアスは腰が抜けたように、その場に座りこんだ。


 すると少し離れた場所から音がした。パチパチと拍手する音だった。そこにはもうひとりの男がいつのまにか立っていたのだ。

 

その男は真夏というのにダークスーツで、シルクの白のシャツを着ている。その顔はというとこれは美少年と言うしかない容姿だ。一筆で書いたようでまっすぐな眉、黒く輝く切れ長の目、細くて高い鼻梁、紅い唇に真っ白な肌とまさに完璧だ。だが、一番の特徴は灰色の髪だろう。完璧な容姿にグレイの髪、まったく独特な雰囲気と言うべきか。


雅は戸惑った。何だこの男、どこから来たのだ? 雅もマサも捉えられない所からふっとその男は出てきたのだ。こんなこと初めてだ。

「ふふ」と紅い唇が震えた。

「見事だ。マサさん」

「何!」

 え、と雅は思った。何故マサの名前を知っている。

「何で、俺の名を知っている? おれはお前を知らないぞ」

「僕の名はリョウ、覚えておいてください」

「リョウだと、お前、日本人か?」

 リョウはまた笑った。

「僕は何人でもない。僕はことばの正しい意味で人ではない」

 マサは眉をひそめた。

「人でない?」

「ああ、僕は宇宙人だ」

 宇宙人? 何! ばかな。と雅は思った。こいつ馬鹿にしているのか。

「お前ふざけているのか」とマサが怒った声で言った。

「冗談ですよ。マサさん。だが僕は何でも知っている」

「何を知っているというんだ?」

 リョウはマサを真っ直ぐ見た。あくまで冷たい視線だった。

「僕は雅さんも知っているんですよ」

 雅は仰天した。私を知っている?

「何?」

「あなたがたは面白い。実に面白い」

「何が面白い?」

「ふたりはひとり、ひとりはふたり」

「……」

 

マサは黙ってしまった。その口を閉ざし、じっとリョウを睨む。そして右手を腰のあたりに置き、左手を頭上に挙げた。空手の型だ。リョウはあくまで自然体に構えている。体格で言えばマサの方が圧倒的に勝るが、リョウのたたずまいも真剣のような鋭い雰囲気を漂わせている。

ケンカが始まるのかと雅は思った。二人の間にピーンと張りつめた緊張感が走る。

 一瞬、マサの右足が一歩出たところで、

「ふっ」とリョウが肩を落とした。

 

マサが「うっ」と唸った。攻めるタイミングを失ったのだ、それほどリョウの間合いの外し方は絶妙だった。


「ケンカはいつでも出来ます。それより」

「それより?」

「お迎えです」とリョウはボソッと呟くと目をマサの後方に遣った。するとシルバーのベンツが、唸りをあげてみるみる近づいて来た。その車は、ぴたりマサの横につけた。ドアウインドウが下げられ、声が上がった。

「マサ様」

 マサはおうと答えた。

「倉本か」

 倉本と言われた男は白髪の眼鏡をかけたやや痩せた老人だった。倉本は言った。

「あまり遅いので、心配になり来ました」

 たしかに、このままだと人が集まってくる。多分大騒ぎになるだろう。はやく車に乗った方が良いが。

 リョウはすでに踵を返してすたすたと歩き始めていた。

「お前、何ものだ、何で俺等を知っている」

 リョウはうしろ向きのまま答えた。

「あせらないで、まだ始まったばかりです。これから面白くなりますよ」

 リョウはゆっくりと遠ざかってゆく。マサは黙って立っていた。


「早く車に」という声にせかされマサは車の後部座席に乗った。

 車は爆音を響かせ、発進した。

 後に残ったのは、呆然と佇むピアスと倒れたままの二人の仲間だった。

 雅はそれを見届けるとふっと笑った。画面は消え、雅の意識はそこから離れ、やがて意識と体は空洞の彼方へ飛び去った。


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