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夏生、村正を取る

 景子は、とてつもなく大きな大樹の中で目を覚ました。長く太い蔓やツタ、大きな幹に囲まれて、景子は、まるで胎内の中に目覚めたような感覚を覚えた。

 その大樹の周りには、同じような大樹の樹々が並びたち、その樹々の間に道が一本通っていた。地平がどこまでも続くような果てしない大地と宙天には、ひときわ赤々と大きく輝く満月,煌めく無数の星々があった。

 景子は木の胎内のなから、這い出るために、体に纏わりつく、木々の枝を振り払い、中から這い出た。すると正面に緑の道がどこまでも続くように一本道がまっすぐ通っていた。

 景子はずっとその一本道に踏み出した。

 道は柔らかい赤土の様ようだ、歩きにくいほど柔らかくはなかったから、歩きやすい、だが、いったい、この道はどこに続いているのだろう。左右を樹々の、夜には黒く不気味になる色の壁に何か圧迫を感じながら、とにかく真直ぐ歩くしかなかった。

赤く輝く満月の光で、歩く道が真直ぐ一本の道であることは分かるが、果たしてこの暗夜の路がどこに繋がっているのかは分からない。

 景子は歩きながら考えた。気が付いたら、この妙な空間に居るが、その前は、リョウと一緒に居た、というよりは、あの空間はリョウが作った物に違いない、物質と意識世界の境界線とか言っていたが、要は非日常の世界で、リョウはその世界に住む幽霊みたいなものに違いない。そして、彼は景子を追い詰めた、景子が最も恐れ、しかも決定的に景子を追い詰める問題に。彼は景子を追い込んだのだ、それも精神的に、ダメージを与える問題に触れた。景子の酒飲みは、実は田村健二を忘れたいからに他ならない。くそ、嫌な奴。と、その時、そういう苦境に立たされた人間を私は知っていると景子は思った。それはマックスだ、マックス・佐奈だ。私と彼女は似ている。何故なら、マックスは肉体的にではなく、精神的にダメージを負っているに違いない。だから、ああやって新宿の酒場で飲んだくれているのだ。マックスは自分の最も得意の分野で、言い訳のない敗北をした。これは精神的にきつい。景子も言い訳のない傷を田村健二のために負うた。マックスが立ち直るには容易ならざる方法が必要なように、景子には何かが必要だ。だが、それは何だろう。


 景子は歩きながら、いったい、ここに来てどれくらいの時間が経っているのか分からないことに気が付いた。時計が無くても、人間はなんとなく時間が経っていることに気が付くものだが、ここには、その感覚が無い、時間だけではない、いったい自分がどのくらいの距離を歩いたのかが分からない。もしかしたら、ここは通常の時間も空間も意味をなさない場所なのか。リョウが言ったように、ここも物質と意識世界の境界線なのか。だとすれば、ここも誰かが創造した世界なのか。


 と、その時、地が翳った。振り仰げば。円球だった月が三日月になっていた。まったく何でもありか。その時、

「そうだ、時間と空間は意識が決定する」と声がした。

 リョウ! いや声が違うな、しかしどこかで聞いた声。

「高原景子さん、あなたには使命がある」

 使命?

「人にはそれぞれ、本来的に使命が付与されている。運命と言ってもいいだろう。そして、それは人間の知るところではない。あらゆる宇宙の可能性がそこにある」

 確かにリョウの声ではない。あの美少年のような皮肉に満ちた声ではない。だが、どこかで聞いた声。だが、その姿は無い。

「とりあえず。この道の先に、あなたの運命の一つがある。あなたは、あなたの意志で運命を拓くべきだ、あなたが正しい判断を下すように願う」

「私の、目の前の道は運命なんでしょ。私の意志は無い」

「運命と意志は相関関係にある。運命の前に意志は初めて意味を持つ。つまりあなたの意志は無数存在する運命を選びとるということだ」

 そして前面の風景が変わった。


 霧に覆われ、表面から水蒸気が立ち上る川の面があらわれたのだ。川幅はそれほど広くない、穏やかな水面だった。景子は気の赴くまま、川辺に沿って歩き始めた。声はもうしない。だが、この霧に向こうに何かある。そういう直感が景子の足を運ばせた。


 やがて、うっすら霧の中に何かがあらわれた。多分木材の何かだろう。景子は足を速めた。天の三日月は霧の中にうっすらと鈍く光っていた。

 景子の一歩が光となって、ぼんやりしていたものが徐々に表れてくる。そして、それは形となって景子の眼に入ってきた。


 それは橋だった。僅かに弓なりの、奇麗な曲線を描く、優美な橋だった。

景子は呟いた「渡月橋」と。すると霧が晴れ渡り、視界が露わになった。

それはまさに景子の生まれた嵯峨野のあまりに有名な「渡月橋」だった。天に三日月は炯々と輝き、優雅な曲線の渡月橋は、静かに水を湛えた、桂川の上に架かっていた。人の影は無く、その景勝の地はしんと静まりかえっていた。


 その時、空から一滴の水がポトンと落ちた。その微かな音を景子の耳は捉えた。そして、静かに水を湛えていた川波に僅かのさざ波が風のように立っていた。その波は徐々に、円形に、広がってゆく。そして外に大きくなるその波は、その幅が広くなると同時に円形になり、動きを速めて行った。回転が上がり、やがて、ごうごうと轟音が響いてくる。

 景子は、見る間に大きくなっていく水の渦を見入っていた。何かある、この渦の中心に。


 すると回転する水の中心に大きな穴が出現しつつある。水はその回転しつつ、その穴の中に落ちてゆく。そして。穴の奥から一閃の光とともに、飛び出した影があった。

空に澄み渡る三日月の光が、その影を捉えた時、景子は驚愕した。そして呻いた。「夏生」と。

 真白の袴に、紅の小袖の橘夏生が、真空の夜空に飛び出したのだ。「なんだ、これは?」

「夏生がどうして?」複数の疑念が景子の脳内に湧きだし、混乱している。今宙を行く夏生は、禍々しい、怪しげな気配を発していた。

 そして景子の眼に、思いもかけかない現象が展開した。何かの物体が三日月から湧きだしつつあるのだ。その物体の形状を見た時、景子の口から、景子自らが思いもしなかった言葉が湧き出た。景子は一言「むらまさ」と呻いたのだ。

 まさに、村正の名を持つ妖刀に夏生が手を伸ばしていたのだ。

「夏生!」「ダメ!」景子は絶叫した。


 しかし、天空の輝き渡る無数の星と、不気味に光り輝く三日月を背景に、宙天の夏生は、それを取った。そして黒鞘を掴み、夏生は白刃を抜き放った。瞬時に村正の鈍く光る刀身が円を描いた。その真剣が切ったのは何と鈍く光る三日月であった。三日月が奇麗に半分に切り裂かれたと同時に、一瞬にして世界は暗黒に転じた。まさに夏生は光を切り裂いたのだ。妖刀村正を持って。

 世界は暗黒の中で静まり返っていた。そして、景子はもう見えぬ大地に伏し、意識が再び無に転じていった。


「景子さん」と声がした。

「ん!」と呻いて、景子は顔を上げた。その目にシンの整った顔が見える。

 景子はハッとして顔を上げ、周囲を見回した。

「先生、珍しい、酔っぱらって、入ってくるなんて」

 声の主を探した。すると雅が、黒のタンクトップに、赤い短パンをはいて立っていた。いつもながら露出の激しい娘だ。シンはもう景子を見ずに、グラスを磨いている。シンがいて雅がいて酒という事は、ここがドリームステージということか、うーん頭が痛い、私は大学に居たはずたったが。景子は店の中を改めて見た、カウンターの端にマックスが酔いどれて潰れている。マックスは相変わらずか、そう思った時、記憶の断片が浮かんだ。リョウ、不思議な声、むらまさ、夏生、夏生!

「雅、夏生は」

「田舎に帰ってくると言っていましたが、何か」と答える雅に。

「ああ、そう」と答えた夏生の胸に不安が大きくなってくる。そのほかのことはおおざっぱにしか覚えていないが、村正を取った夏生の姿ははっきりしている。夏生の父、橘鉄心が口にしていた、妖刀村正と夏生の異能が合体すれば……

「何かが起きる」

 えっ! 何、今の声、誰、思わず背後を振り返るが、誰も居ない。

「先生、どうしたんですか?」と雅が聞く。

「ううん、なんでもない」

 景子はそういうと黙ってしまった。しばらく考え込んだが、ふと目を上げると、白のポロシャツに紺のズボンのシンが景子をじっと見ていた。


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