再会と不穏 3
伝えるべき事を伝えた後、必死に何事かを考えている様子のランゴーニュ王国リオネル王太子をチラと見てクライスラー公爵は謁見の間に向かって歩き出した。
……さて、リオネル殿下はどう出るか。
この王国の愚か者たちは、帝国の皇帝の姪を王妃に戴く事をそれ程重要な事と考えていない節がある。
王太后という前例があったからというのもあるが、それでは何故その王太后も大事にされなかったのか?
あの叔母である王太后個人に関しては公爵も思うところはあるが、そもそものこの王国の対応が悪かった事が大きな問題だ。この王国はなんだかんだと言って、『世界の食糧庫』と呼ばれるこの国が疎かにされる事などないと思い慢心しているのではないか? ……それが皇帝陛下と自分の見解だ。
現在の皇帝も、先代もマリアンヌ皇帝も戦争や争い事を望まれる方ではない。更に帝国の版図を拡げようなどという野心も無く、広大な帝国を如何に同等に安定した地にし、周辺国と友好な関係を築くかを考えておられる。
特にマリアンヌ皇帝はその前の父皇帝の代で起こった皇太子暗殺事件から始まった戦争で、疲弊した帝国を安定させる事に奔走された。……だからこその、『世界の食糧庫』と呼ばれたこの王国を力では無く平和的に協力関係に持っていく為に、自分の姪であった王太后をこの国の王妃とされたのだ。
……それが。蓋を開けてみれば、王国では前王には想い合う婚約者がいたが帝国によって別れさせられたとして、皇帝の姪であった王太后は嫁いだ当初から責められこの王国で苦しい立場に追いやられた。
それはこの王国が帝国の力欲しさに決めた事であって、彼女がそうさせた訳ではないのは明らかであったのに。
王太后も、格下の王国の者達からそのような扱いを受け元々の性格もありかなり荒れたとも聞く。……確かに彼女にも悪い所もあったのだとは思う。
しかし先に礼を失したのは王国であったし、だからこそクライスラー公爵家は王太后にずっと支援をして来た。……まあ、それもヴァイオレット皇女の件で支援はスッパリ打ち切ったが。今後の王太后の面倒は子であるこの国の国王がみれば良いだけの事だからそれはいい。
……そして王太后がこの王国で蔑ろにされた時、何故マリアンヌ皇帝が動かなかったのか? それは……。
「……公爵閣下。一つだけ質問をお許しください。王太后様がそのような扱いをこの王国の者から受けた時、何故帝国は……皇帝陛下はお動きにならなかったのでしょうか」
後ろを歩いていたリオネルが尋ねてきた。
「……王太后の兄であるクライスラー前公爵の独断です。父は王太后からの手紙でその事実を知りましたが彼女には口止めし、王国の利権を独占する為にこの国の前王や高官と取引をしたのです。いわば、王太后は兄に利用されたのですよ。その代わりに王太后は我が家から莫大な支援を受ける事になりました。
……ですから、当時マリアンヌ皇帝はこの王国の者達に侮られ苦労する王太后の事はご存知なかったと思います」
「ッ! ……王太后様が……。王国やお祖父様からだけでなく、ご実家の家族からもそのような目に合わされていたとは……」
クライスラー公爵の答えにリオネルは驚いて呟いた。
……だから、王太后は夫である前王に似ている自分をあれ程に嫌ったのか。自身に責任のない理由であのように嫌われたのは納得出来ないが、その理由にリオネルはなんともいえない気持ちになっていた。
その苦悶する様子を見ながらクライスラー公爵は言った。
「……しかしながら、今回もその手が使えるとは思われない事です。私も先程のゼーベック侯爵一族も、レティシアをとても大切に思っておりますし何より皇帝陛下がご存知です。今レティシアに何かあればそれは即ちヴォール帝国への挑戦、……宣戦布告ともなり得ます。レティシアを愛する皇帝陛下は、手っ取り早くこの王国を属国とする事も考えられる事でしょう」
リオネルはその言葉にすぐさま反応した。
「ッ……! 私がそのような方法でこの王国の罪を逃れようなど考えるはずがありません!
私はレティシアを愛し守って共に生きていきたいのですから!」
クライスラー公爵は少し微笑んで頷いた。
「……それでは、この難局を見事乗り越えてみせてください。
私も大切な娘レティシアを守らなければなりません。……その為に、これより先は私は殿下の敵となります」
――クライスラー公爵が、私の敵――。
卒業パーティーでフランドル公爵令嬢との婚約破棄騒ぎの際、窮地に立たされたリオネルに手を差し伸べてくれた。そしてヴォール帝国の皇帝にレティシアとの結婚を認めて貰えたのは公爵の後押しがあったからだ。
一瞬、目の前が真っ暗になったリオネルだった。……しかし。
……違う。『敵』などではない。何故なら自分と公爵は1番大切な事、守りたい人は同じなのだから。
――ならば――。
「クライスラー公爵閣下。……私は私のやり方で、レティシアを守ります」
リオネルは決意した。自分は自分のやり方でレティシアを守ろうと。何が1番最善なのかは、その時考える。もしも公爵のやり方が1番レティシアを幸せにする方法なのだとしたら、その時は公爵に従おう。
しかし。
自分はレティシアを愛している。そんな最悪の事態にならない為に、今自分は動くのだ。愛する人と共に生きる未来を掴む為に――。
クライスラー公爵は、そんなリオネルを見て優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「リオネル。……遅かったではないか。もう皆様お揃いだぞ」
ランゴーニュ王国の国王は、そう言って息子を急がせた。
何せヴォール帝国の高貴な方々が王族や主だった貴族が集まってから話を始めるというのだから、彼等が焦るのも仕方がなかった。
クライスラー公爵との話の後、リオネルはそのまま謁見の大広間には行かず側近達と打ち合わせをしてきた。
そうしてからこちらに来たので、当然の如く1番最後に会場に入った。
「申し訳ございません。火急の件にて。……皆様、お待たせ致しまして、大変申し訳ございません。
そしてようこそおいでくださいました。ヴォール帝国の高貴な方々。私はあなた方を心より歓迎いたします」
そう言ってリオネルはレティシアを始めとする今回王国を訪れたヴォール帝国の貴族達に挨拶をした。
ヴォール帝国の貴族達がそれを見て鷹揚に頷く中、レティシアだけはそんなリオネルに違和感を抱きつつはにかむように微笑んだ。
「……それでは、王太子殿下もお揃いになられた事ですし、我がヴォール帝国皇帝陛下よりの御言葉を述べさせていただきます」
年齢不詳の金髪薄紫の瞳のクライスラー公爵が一歩前に進み出て言った。本人の姿形だけでなくその洗練された所作の美しさに、この場にいる貴族達や王族までもが思わずほうとため息をついた。
「『――偉大なるヴォール帝国ジークベルト ヴォールの名に置いて、我が姪であるレティシア クライスラーを、皇女としての立場と位置付けする事とする』
……それにより今回お2人のご結婚は様々な条件が変わってまいります」
深く響くその美声に皆聞き惚れていたが、ハタとその内容に気付く。
「……従兄弟殿……、クライスラー公爵閣下。レティシア……様は、確かに皇帝陛下の『姪』であるとの報告は先日こちらでも聞き及んでおりました。そしてその上で我が息子リオネルとの婚約を認めていただいた、と……」
国王は従兄弟殿と呼んだ瞬間クライスラー公爵からギロリと睨まれたので訂正した。……今は『従兄弟』としてここにいるのではないと突き放されたと感じた。
「そうです。皇帝陛下は想い合う若い2人の為、レティシア様の幸せを願いそのまま婚約の続行を認められました。……しかし」
最後の言葉の瞬間、ランゴーニュ王国側の者達は急にこの広間の温度が下がったように感じた。
「……その後の、この王国からの知らせに皇帝陛下は驚愕されました。
それは、現在王国の王太后様であられるヨハンナ様のことです。王太后様も今のレティシア様と同じ『皇帝の姪で公爵令嬢』でございました。……その『皇帝の姪』が当時この王国でどのような扱いを受けたか……、知らぬとは言わせませんぞ」
その低い美声で凄まれた王国の側は、その内容の意味に冷や汗をかいた。当時の王太后の話は前の世代の事とはいえ大概の者は皆知っている。前王が最初から愛妾を持ち帝国からの王妃を侮り貴族達も同じように侮っていた事実を。
……しかしこの王国の者はその事の本当の意味を分かってはいなかった。
お読みいただき、ありがとうございます!
クライスラー公爵は、レティシアを1番大切に思っています。その為に、帝国としてその最大限の力を使い彼女の立場を万全とさせ、場合によっては帝国に連れ帰る覚悟でランゴーニュ王国に臨んできました。
しかし、レティシアの幸せを考える以上リオネルにも期待しているのです。




