それぞれの日々 3
「……皇帝陛下。……私レティシア クライスラーは明日ランゴーニュ王国に出発いたします。このヴォール帝国での日々はとても楽しく……愛おしい貴重な時間でございました。誠に、ありがとうございました。
私はこのヴォール帝国での大切な時間を胸に、愛する方ランゴーニュ王国リオネル王太子に嫁ぎます」
ヴォール帝国筆頭公爵クライスラー家の養女となり更にヴォール帝国皇帝の『姪』と正式に認定されたレティシアは、約10ヶ月のヴォール帝国での『淑女教育』を終え明日ランゴーニュ王国へと出立する。レティシアは今日は帝城に皇帝陛下初めこの帝国貴族の方々への挨拶に訪れたのだ。
「……レティシアよ。我が愛しい妹ヴァイオレット皇女の大切な娘。お前との日々は私にとっても何にも代え難い愛おしい時間であった。何よりお前は20年以上もの長い間私を縛っていた心のしこりを解きほぐしてくれた。……私の方こそ礼を言う。
これからお前が遠く離れた地で暮らそうと、お前は私の大切な姪でありいつでも愛し見守っている」
皇帝ジークベルトは愛しげにレティシアを見詰めて言った。
「……私からも礼を言わせてください。我が従姉妹殿。貴女のお陰で我が父は見違えるほどに穏やかなお顔になられた。そして私も、貴女と過ごしたこの半年間はとても刺激的で楽しかった。これからも切磋琢磨して両国を良き国とし、良い関係で居られるようにしましょう。
将来の子供達の交流も楽しみです。……その前に、お互いに結婚の儀がありますが」
アルフォンス皇太子はそう言ってニコリと笑った。
……この方の笑顔もなかなか曲者なのよね。アルフォンス様にはご婚約者のカタリナ様にヤキモチを妬かせる作戦に勝手に付き合わされて酷い目にあった。まあ結果的にそのカタリナ様とはとても仲良くはなれたんだけど、初めは恋敵のように見られて冷や汗をかいたわよ。
「そうですわね。アルフォンス殿下の結婚式には是非私も出席させてくださいませ。カタリナ様のお美しい花嫁姿を楽しみにしておりますわ」
「まあ」とアルフォンス様の隣で照れていらっしゃるカタリナ様。とても可愛い方だけど、怒らせると怖いのはよく分かっている。
「皇帝陛下、皇太子殿下。この私めが共にランゴーニュ王国に参り、レティシア様に何か無礼な態度を取られるような事態には決してさせはいたしません! どうかご安心くだされ!」
横からそう頼もしい台詞を言ってくれたのは、ゼーベック侯爵。彼は……シュナイダー公爵3兄弟は最初の宣言通り、あれから随分私に心を砕いてくれている。
……なんというか、本当に気の良い親戚のおじさん達なのだ。いや、本当に親戚なのだけど。お母様の従兄弟にあたる方達なのよね。……とにかく初めて出会った皇帝陛下の誕生を祝うパーティーでは父クライスラー公爵に随分と悪絡みしていた彼らだけど、懐に入れた人間はすごく大事にする方々らしい。
「……私も行くのだから、そのような心配は無用なのだがね。ゼーベック侯爵。
皇帝陛下。父である私がレティシアが如何にヴォール帝国で重要な存在であり大切にされているのかを、王国などに嫁ぐなど彼らには身に余る光栄な事なのだと知らしめて参ります」
レティシアの横からしらっとした様子でそう告げた父クライスラー公爵。
それにゼーベック侯爵は負けてはなるものかと更に言った。
「そのような事は勿論でございます! レティシア様は我が従姉妹である輝かしきヴァイオレット皇女殿下の御息女。我が一族……シュナイダー公爵家の血を引く大切なお方! そのレティシア様を王妃に戴けるなど王国などには身に過ぎた事なのだとこの私が奴らに分からせてやるのです!」
何やら2人共王国に喧嘩を売りにいくのかと勘違いしてしまうような事を言い張り、更にそれをどちらがやってのけるかで揉めている。……レティシアは少し頭の痛い思いがした。
周りの人々は「また始まった」とばかりに生温かい目で見る中、流石にこれからこのメンバーで王国へ向かうにあたってこのままではいけないと思ったのか皇帝は2人に言った。
「……どちらも、その力の限りに王国でレティシアを存分に守って来るが良い。……本当は私も王国へ行き、彼ら王国の者達に我が姪レティシアを必ずや大切に扱うようにと厳命したいのだ」
まさかの、2人の背中を押す発言。レティシアは驚き伯父である皇帝を見た。
そして目が合い、皇帝は苦笑した。
「……そのくらい、私は……私達はレティシアを大切に想っている、という事だ。
一国の王妃として嫁ぐ以上ちょくちょく帰れとも言えぬが、何かあればいつでも帰るが良い。私達は、いつでもレティシアを歓迎する」
皇帝の、その想いの強さにレティシアは涙が溢れた。ほんの10ヶ月前にはその存在さえ知らなかった伯父。それが今は、自分の中でとても大切な人の1人となっている。
伯父だけではない。父と争うように自分を大切にしてくれるシュナイダー公爵の3兄弟。従兄弟であるアルフォンス皇太子やその婚約者カタリナ様、そしてレティシアを姉のように慕ってくれる幼い従姉妹ヴァネッサ皇女。
そして弟ステファンとその実家であるロンメル侯爵一家。そして何より、母ヴァイオレットを深く愛しその娘である自分を本当の娘と思ってくれる父エドモンド クライスラー公爵。
この一年でレティシアの人生は劇的に変わったのだ。
……確か昨年の今頃は愛するリオネル王太子はレティシアには遠い存在。まだ王国の学園の卒業パーティーをどうしようかと悩んだり、リオネルの婚約者だったフランドル公爵令嬢の『予言』の話を聞いていたくらいだった。
……それがあのパーティーで愛するリオネル王子と心が通じ合い婚約者となり、その後ヴォール帝国筆頭公爵の養女となった。その『淑女教育』の為にと帝国へと来たはずが、まさかの母が行方不明だった帝国の皇女と分かり皇帝の『姪』として認められるなど、1年前の自分に想像出来ただろうか?
このヴォール帝国での10ヶ月で出会った大切な人たち――。
それこそが母が自分に残してくれた宝物なのだ。
『――これは、貴女を証明するもの――』
そう言って渡してくれた、レティシアにとって2人の父が渡してくれた宝物。一つはコベール子爵である伯父に、そしてもう一つは父であるクライスラー公爵と伯父である皇帝の目に留まった。母が、そうして心を繋いでくれたのだと思う。
レティシアは、このヴォール帝国で習った心からの美しいカーテシーをした。
そして母譲りの深く美しい紫の瞳、『ヴォールのアメジスト』を真っ直ぐに皇帝に向けた。
「伯父様……、皇帝陛下。ありがとうございます。何かがあって帰ることのないよう、次にお会いする時にも笑顔で皇帝陛下にご挨拶が出来るように王国で精一杯王妃として努力いたします。
皆様も……。本当に、ありがとうございました。輝かしきヴォール帝国皇帝の素晴らしきご治世を、遠くランゴーニュ王国より心よりお祈り申し上げます」
皇帝の姪と認められてから、ほんの7ヶ月程の滞在。それなのにレティシアのその存在はこのヴォール帝国の人々には貴重なものとなっていた。
皇族に稀に現れるという『ヴォールのアメジスト』を持った皇女の娘レティシア。帝国の皇族や貴族達はたった7ヶ月程の間に帝国の貴族界に鮮烈な存在感を放った彼女の事を忘れることはないだろうと思った。
◇ ◇ ◇
そうして翌日。
レティシアはランゴーニュ王国へ出発する為に公爵家の玄関辺りに集まっていた。
「お姉様。……僕、結婚式には必ず出席しますから。……道中お気を付けて。いつでも、……ずっとでも、帝国に帰って来てくださいね」
弟ステファンは泣きながらそう言った。レティシアは苦笑する。
「……ステファン」
それを聞いた父エドモンドはステファンを諌めるように言った。しかし、グッと何かを堪えてからレティシアに向き直り、
「……ステファンの言う通りだ。いつでも帰っていい。ずっとでもいい。なんならもう行かなくてもいい」
と言い切った。……流石にこれにはレティシアもステファンも苦笑を通り過ぎて引き攣り笑いをした。
「もう何それ、父上! ……でも本当にそうだから。ここはお姉様の家なんだから」
そんな父と弟のやりとりをレティシアは泣き笑いながら見て言った。
「……ありがとうございます。お父様、ステファン。帰れる家があるってとても素敵ね。……大好きよ、2人とも」
家族で別れを惜しんだ後、レティシアは父クライスラー公爵とゼーベック侯爵、そして皇帝によって付けられた多数の護衛の兵士と共にヴォール帝国の威信を道行く人々に見せ付けながらランゴーニュ王国へと出発したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
更新遅くなってしまいました……。
いよいよ帝国を出発し、レティシア達はランゴーニュ王国へ出発しました。
クライスラー公爵とゼーベック侯爵、2人の問答は旅の間飽きずに行われまるで漫才のようでした……。
意外に気が合っているのかもしれません。




