父の告白 2
「……父上。ソレはないんじゃないですか? いやむしろ、その4年前の話はお姉様にする必要は無かったのではないでしょうか。あれではお姉様が可哀想です」
レティシアが完全に行ってしまったのを見計らい、父エドモンドの前に現れたステファン。
そしてあの話の内容に、若いステファンは義憤に燃えていた。
「父上の皇女殿下への想いを断ち切らせる為に前公爵のお祖父様がお姉様の母親をって事ですか? お祖父様は随分と短絡的な方だったんですね。……まあ何かと我慢のきかない方だなとは思ってはいましたが」
「……ステファン」
レティシアに会う前のような感情の感じられない父エドモンドを見ながら、ステファンはふと気付いた。
「……ッ! まさか。……だから、ですか? だから父上はお祖父様を王国から帰っていきなり僻地に送られたのですか? 皆が父上が祖父を幽閉したと騒いでいましたが……」
レティシアと出会い王国から戻ったエドモンドは真っ先に父である前公爵を領地の隅にある寂しい土地に幽閉していた。
ステファンは父に帰ってすぐに言われた『養女』の話に気が動揺して実家に帰ってしまったので後から周りから聞いただけであったし、元々祖父は引退してから別邸に住んでいたので普段からそう会う事も無く、深くは考えていなかったのだ。
エドモンドの妹でロンメル侯爵夫人となっているステファンの母は兄の行動を不審に思い問い詰めたが、兄の頑なな態度に『それ程の何かがあったのだ』とため息を吐いて納得するしかないようだったが。
「父上は、前回王国へ行った時にその事実を知ったのですね? ……なんて事だ。政争時ならいざ知らず、お祖父様はなんて事をしてくれたんだ……! 父上は、よく幽閉程度で済ませましたね!?」
だんだんと事の重大さを理解してきたステファンはそれをしでかした祖父に怒りを感じた。
「……自分でもそう思うよ。そして私はその時決めたのだ。私の……この家の進退を決めることが出来るのは……、その権利を持つのはレティシア1人だと。だから私はこれから彼女の決めた事に従う。……レティシアだけが、私たちの未来を決めることが出来るのだ」
固く決意した表情の父エドモンド。皇女の死の原因を知った時から彼は1人で思い悩みそう決めていたのだろう。
しかし……。
「父上。……それの最悪の事態は、クライスラー公爵家だけじゃなくて僕の実家ロンメル侯爵家やその先の貴族たちまで存続の危機になると、分かっていらっしゃるのですか? 父上の思いは分かりますが、その先に起きうる周囲への大き過ぎる影響もお考えください!
公爵家の当主として判断するならば、その話は墓場まで持っていくべきだったのでは無いのですか!?」
ステファンは思わず声を荒げていた。冷徹で完璧だと思っていた父にこんな風に声を荒げる日が来るなんて思わなかった。……しかし言わずにはいられなかったのだ。
父のその行為は罪を犯した前公爵と、公爵家やそれに連なる貴族共々に心中しようとしているようなものだったから。
――皇族に手をかける。それは、それだけの意味を持っているのだ。
――そして何より。
「それに、……何よりお姉様の事をちゃんとお考えください! 父上はお姉様にどうさせたいのですか? このような事を伝えてお姉様を苦しめ自分が楽になる為に許すと言わせようとしているのですか? ……ふざけないでください! そんなのただの自己満足でしょう! お姉様のことも、周りの僕達の事も馬鹿にしています!!」
ステファンは、姉レティシアの事が好きだ。
初めて会った時、その深い紫の瞳から一目でこの新しい姉がこの帝国でその昔行方不明になったという皇女の娘と分かった。だからこの皇女の娘をこの公爵家の養女として一生支え続ける、ただその為にだけ自分がこの公爵家に存在するのだと思った。皇女の娘を支える為にこの家を発展させるべきなのだと。
ステファンは小さな時から、実の両親であるロンメル侯爵夫妻からはいつか公爵家の養子となる為に他の兄弟達とはどこか一線を引かれていると感じていた。そしてこのクライスラー公爵家では、自分も愛を与えられずひたすら厳しく次期公爵として育てられた父公爵は、同じように厳しく冷たく接するしか育て方を知らなかった。
けれど姉レティシアと過ごしたこの約3ヶ月、ステファンは初めて『家族』というものが分かった気がしている。
いつも自分を気にかけてくれる姉。自分も淑女教育で忙しいだろうに、毎日話を聞いてくれる。どんな事を言っても、姉は自分を否定したりしない。勿論明らかに間違っている事は指摘されるけど。
僕を、受け入れてくれている。そう感じて初めて心から安心した。
そんな姉の為に、『皇女の娘に対する義務』ではなく自らの心からの気持ちから、この公爵家を盛り立て隣国の王妃となる姉の後ろ盾となっていきたいと思った。
そんな姉は父の愛する女性の娘という事で、父から本当の娘のように愛されていた。……それが今その父がそんな姉に対して、母の死の真相を話すという姉の心を傷付けるような事をするなんて……。
ステファンは父の心を分かりかねて、その父の答えを待った。
「……そうだな。公爵家当主としてはそれが正しい判断だろう。しかし私は……。私を占める1番大切なものは、ヴァイオレット皇女ただ1人。私は……彼女の死を知った時にもう心は死んでしまった。
しかしそこには立場の不安定なレティシアがいたのだ。私はヴァイオレット皇女の大切な娘を放ってはおけなかった。
……そしてステファン、お前は私がレティシアに許しを得る為にこのような事を言ったのかと言ったが、それは違う。
私は、罰して欲しいのだ。今この世でただ1人、私を罰する事が出来るレティシアに……」
……それは余りに捨て鉢ではないか。そしてレティシアに人を罰するなどという事をさせようというのか。そして彼女にそれを背負わすのか。
ステファンはそう思ったが……、大切なものを失うという事はどういう事なのか、若いステファンにはまだ理解できずそれ以上は何も言えなかった。
そして父もレティシアを案じて言った。
「そうは言っても、大切なレティシアを傷付けてしまった……。ステファン、帰って彼女に声を掛けてやってくれないか」
父がそう頼んできたが、そんな事は当たり前の事だ。
「……言われなくとも。姉上は私の大切な人でもありますから」
ステファンが迷いなくそう言い切ると、父はその姿を眩しそうに見た。
「……そうか……。そうだったな」
◇ ◇ ◇
レティシアは父の従者ハンスと共にクライスラー公爵家に戻るべく馬車に乗っていた。
今まで一度も話をした事がない、寡黙そうなハンスがポソリと口を開いた。
「……私とハンナは、旦那様には言葉に言い尽くせない恩があります。子爵であった父を亡くした私達は、子供だった事もありその爵位を父の弟である叔父に不当に奪われました」
突然話をし出したハンスにレティシアは驚いた。
母の死の真相を知り騒つく心をいったん置いて、話を聞いた。
「……ハンナ……。私にいつもついてくれている、ハンナですか?」
「そうです。私達は2人きりの兄妹なのです。私達は子爵家で数年酷い扱いを受けた上に、大きくなってきた私達にその立場を奪われない為にと人里離れた場所に連れて行かれ捨てられました。……まだ妹は10歳でした」
「……ッ! なんという事……」
レティシアの伯父はレティシアを守り愛してくれたが、爵位欲しさに甥や姪にそのような非情な事が出来る人もいるという事に、驚きと憤りを感じた。
「……私達は普段から酷い扱いで痩せ細り、その時抵抗もしたので怪我もしていました。私達を助けてくださったのは、皇女様探索で時間を見つけてはあちこちを探されていたクライスラー公爵閣下でした」
「……お父様、が……」
父は、普段からそんな人里離れた場所にまで母を探しに行ってくれていたのか。……レティシアは胸が温かくなる。
「はい。そして私達兄妹を公爵はそのままここに置いてくださったのです。そして教育を受けさせてくださり学園にも通わせていただきました。……その後、私達は実家である子爵家の闇を暴き糾弾しました。叔父は失脚し今はその息子である従兄弟が跡を継いでおります」
淡々と話すハンスに、レティシアはあれと思った。
「その、叔父様の息子である従兄弟の方が爵位を継がれたのですか? 本来ハンス様が爵位を継がれるべきなのではないのですか?」
その為に、その叔父を糾弾したのではないのかしら?
「……私は、子爵家を継ぐような教育は受けておりません。幼い頃から叔父憎しで育ち、その子爵家の土地も屋敷も辛く嫌な思い出ばかりで、愛し守っていく自信などもなかったのです。
そして……」
ハンスはレティシアを真っ直ぐに見て言った。
「……私は、私とハンナは公爵閣下に心より忠誠を誓いお側で守り仕えていくと決めたのです。あの時閣下に助けられた事は感謝という言葉だけでは言い尽くせないのです。……今、自分達がここにこうして生きていられるのは、全て閣下のお陰。私達は閣下にお仕えして生きていく事を喜びとしているのです」
その真っ直ぐなハンスの瞳は、今こうしている自分を誇りに思いこそすれ後悔など全くしていないと物語っていた。
「……そう、だったのですね……」
父であるクライスラー公爵の忠実な従者と侍女。その2人の過去に驚きつつ、なぜこれほどまでに忠誠を誓っているのかが分かり、そしてこの2人を助け守った父をレティシアは誇らしく思った。
「……それに従兄弟を放逐すれば、私達もあの叔父と同じになってしまいますから。あの従兄弟は幼い頃、いつも私達にコッソリ食べ物を持ってきてくれるような奴でしたから」
ハンスはそう言って、チラとレティシアの様子を窺うように見た。
レティシアにはハンスの言いたい事が分かった気がした。
罪を犯した叔父とその息子である従兄弟は別物だと、子は自分よりも長く生きている強かな親を止める事が出来なかったのだと、おそらくレティシアにそう伝えたかったのだ。
レティシアは小さく頷き、そしてゆっくりと馬車の窓から外を見た。そこからはもう公爵邸が見えた。
――先程まで灰色に見えていた景色は、全ての色をもってその公爵邸の美しい庭を彩り輝かせていた。
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