ヴォール帝国にて 1
ヴォール帝国皇帝、登場です。
「陛下。エドモンド クライスラー。ランゴーニュ王国より戻りましてございます」
筆頭公爵であるクライスラー公爵。その彼が唯一頭を下げる存在。それがこのヴォール帝国皇帝。
「……よくぞ戻った。ランゴーニュ王国の王太后は公爵の叔母であったな。久しぶりの甥との邂逅にさぞや喜ばれた事であろう。ご健勝であられたか?」
皇帝の壮麗な椅子にゆったりと座り、公爵に話しかける皇帝。
兄皇帝の急な病から即位して早5年。すっかりと皇帝ぶりが板についた。
皇帝は約15年間、半分幽閉されたような形で長年苦渋を舐めさせられた。
皇太子であった父の突然の死から、自分達の世界はひっくり返った。母が違うとはいえ仲が悪い訳ではなかった兄との関係の悪化。大切な友人の家は兄側につき自分に味方してくれた貴族達は亡命したり大きく力を落とす事となった。
そして1番辛かったのは母を同じくする大切な妹ヴァイオレットとの別れ。
……突然行方不明になった、可愛い妹。
確か学生時代はこのクライスラー公爵と恋仲との噂だった。ヴァイオレット自身は噂を否定していたが。
当時突然姿を消した皇女には色んな噂が飛び交っていた。
駆け落ち論、暗殺論、果ては皇帝兄弟が『ヴォールのアメジスト』と呼ばれた祖母と同じ瞳を持つヴァイオレットを畏れたのではないかと言われているものもあった。
「王太后様は……やはりお年なのですかね。かなり衰えを感じるお姿でございました。
……それから実は今回、王国にておかしな騒ぎが起こりまして……。その際ランゴーニュ王国の王太子殿下がその騒ぎの元凶である公爵令嬢と婚約を破棄されたのです。王太子殿下は長年その婚約者であった令嬢に苦しめられていたようでした」
クライスラー公爵は神妙な顔をしてその王国で起こったという騒動の簡単な説明を始めた。
「……成る程。その公爵令嬢とは、例の兄皇帝の病を『予言』したというあの娘か」
周囲の貴族達も顔を顰める。
ランゴーニュ王国でよく当たる『予言』を出すと評判だった公爵令嬢。
確かに『予言』通りちょうどその時期に前皇帝は病に罹りそのまま帰らぬ人となった。医師も『コレは病であり、呪いや毒では決してない』と証言したが、そうでなければその『予言』を出した令嬢は帝国を惑わせたとして処罰されるところだった。
当時は相手はまだ12、3歳の他国の少女であったし、その後の前皇帝の崩御で急遽現皇帝に代替わりしそれどころではなくなったのだ。
あの当時の騒ぎを思い出した貴族達は、またその令嬢が何事かを起こしたのかと呆れ顔だった。
「さようでございます。そして今回は自国の王太子殿下に対して恐ろしき『予言』を……。その為に王太子殿下はその婚約者と離れる決意をされたようでございました。
……そしてその婚約破棄後に、王太子殿下はずっと想われていたという子爵令嬢にプロポーズをされたのです」
「……ほう、それで?」
普段余計なお喋りなど余りしないクライスラー公爵。そのお堅いイメージの公爵が少し楽しげに恋の話などをしてきた。皇帝は少し意外に思い話の続きを聞いた。
「その子爵令嬢も密かに王太子殿下を思っていたようでして、2人はめでたく両思いとなられました。……しかし、王太子殿下のお相手が子爵令嬢というのは余りにも身分差があり、周囲からも反対の声が上がったのです。
……そこで帝国の公爵の位を賜る不肖クライスラーが名乗りをあげたのでございます。その子爵令嬢を我が養女にする、と」
その場に居合わせた貴族達は、思わぬ展開のその隣国の身分違いの恋の話に引き込まれ、身を乗り出して聞き入った。……皆、この手の話が好きなのだ。
「ほう……公爵が、な……。恋のキューピッド役を買って出るとはなかなかやるではないか。して、その2人はどうなったのだ?」
皇帝は片手で頬杖をつきながら公爵に続きを促す。
「はい。反対の声を上げた貴族達は黙り、その後若い2人は認められて晴れて婚約をいたしました。私は早速子爵家に挨拶に行き養女の件を、そして国王夫妻とも相談してこの話をまとめ上げたのです。
……1年後に私は花嫁の父として式に出席する予定でございます」
おぉっ!
若い2人の恋の結末に貴族達は喜び、その恋の手助けをしたというクライスラー公爵に賞賛の声をあげた。
「……それは何より。……私としては恋のキューピッドだけでなく公爵自身に身を固めて欲しいものだがな」
皇帝のその言葉に、クライスラー公爵と皇女ヴァイオレットの話を知っている貴族達はシン……と鎮まった。
「……お言葉を返すようでございますが、私には既に嫡男がおります。そして今回、可愛い娘まで出来たのです。これ以上何を望みましょうか」
穏やかな表情でそう答えたクライスラー公爵に、周囲の貴族達はなにやらホッとする。……そして、皇帝も内心公爵のその様子に安堵していた。
「……そうか。公爵がそれで幸せというならば良い。
……それで? その可愛い娘とやら、一度はこの帝国に呼び寄せるのであろう? 私にも是非紹介してもらいたいものだ」
皇帝の言葉に公爵は笑顔で答えた。
「それは勿論でございます。……とても愛らしく、そして気遣いの出来る優しい娘でございます。皇帝陛下にご挨拶できれば娘も陛下のその御威光に感動する事でございましょう」
――この時、貴族達は新しく迎えた養女を上手く皇帝陛下に売り込めたなと感心した。
父公爵が前皇帝に傾倒し過ぎた為に、一時は傾きつつあったクライスラー公爵家。その息子の見事な手腕で公爵家はこのところは随分と盛り返している。
それにあやかろうと、権力に敏感な貴族達は蠢き出すのだった。
その様子を、高い玉座の上から眺めるヴォール帝国皇帝。
何故か穏やかに微笑む、古い友人でもあるクライスラー公爵を見て思う。
……余程、その養女として迎えた娘が気に入ったのか? それならば自分の妻として迎え入れれば良いものを。……やはり、公爵はまだヴァイオレットの事を引きずっているのか……。
――我らはまだ20年前に縛られている。
あの世でヴァイオレットに会うまでは、おそらくは生涯逃れる事はないのだろう。
目の前で権力の匂いに蠢く貴族達を感情を失った目で眺めながら、皇帝は諦めの長い吐息を吐いた。
◇ ◇ ◇
――馬車から降りると、そこにはランゴーニュ王国の王城に勝るとも劣らない豪邸が広がっていた。
1週間に及ぶ、レティシアにとっては初めての長旅を終えとうとうヴォール帝国にやってきたのだが、まずお城に来るなんてとレティシアは驚いていた。
「…………ハンナ。ここお城、よね? え、と……。あ、養子縁組の手続きに先に王城に来たのかしら?」
それならそうと言ってくれれば……。私はランゴーニュ王国の礼儀作法でギリギリ及第点なのだけれど、いきなり帝国での王城でご挨拶がキチンと出来るかしら?
「レティシア様。こちらはクライスラー公爵邸でございます。皇都でも1番の広さと豪華さを誇るお屋敷でございます。そして帝国では皇帝の座す城を『王城』ではなく『帝城』と呼んでおります」
ハンナは相変わらず表情を変えずに教えてくれた。うん……、本当はそうじゃないかと思ってた。だけどそんな現実逃避をしちゃう程、一つの貴族の屋敷なんて思えない程の規模なんですもの! それから、『帝城』ね、うん……。
「……そう、なのね。……ふふ。10ヶ月の間にお部屋に迷わずに行けるようになるのかしら」
……コレは、絶対に迷う!! 妙な自信が湧く中、前方にはズラッと並ぶ侍女や侍従と思われる人たちがいる事に気付く。
まさか、コレは!!
「「「レティシアお嬢様。ようこそおいでくださいました」」」
そう言って皆一斉にこちらに頭を下げた。
レティシアはカチンと固まる。
……こういうの、外国の中世を描いた映画で見たことある! まさかコレを自分がやってもらう日が来るなんて……!
「……こちらこそ、よろしくね」
レティシアが感動に打ち震えながら挨拶すると、ハンナはスッと前を指し示しアッサリ部屋まで案内された。
ハンナは少し不機嫌だった。それというのも、この屋敷で働く者たちの態度だ。
彼らは一見礼儀を弁えているようで、初めに馬車から降り立ったレティシアを見る目は『小国の田舎娘』とどこか蔑むようなものだった。
そして彼女の姿を認めると、それは一転した。それはそうだろう。レティシアの見た目は、まるっきり帝国の高位貴族。そしてもし近くで見たのならおそらく驚愕するのだろう。その瞳の美しくも深い紫色に。
公爵からはレティシアの近くに仕えるのは出来るだけ信用のおける限られた者にするよう言われている。
暫くは自分と限られた精鋭数人で対応する必要がある。執事はそのメンバーを選り分けているはずだ。
ハンナはそう考えながら、レティシアの旅装を解き湯浴みさせ公爵も同席するだろう夕食に備えた。
お読みいただきありがとうございます!
ヴァイオレット皇女が行方不明になった当時の近しい人々は、まだその当時の思いに縛られていました。
そして帝国では自国の皇帝の死を予言したローズマリーを良くは思っていませんでした。




