挿話 クライスラー公爵
新たにレティシアの養父となった、エドワルド クライスラー公爵です。
――時は少し遡る。
レティシアより先にヴォール帝国に戻ったエドワルド クライスラー公爵。
彼が屋敷に帰ると、珍しく前公爵である父が出迎えた。
「おお、エドワルド。よく戻った。王国はどうであった。ヨハンナはちゃんとあの王国で権威を保てておったのか?」
クライスラー公爵は薄く笑い父に答えた。
「……父上が懸念されていた騒ぎが起こりました。その件などをお話ししたいので、一刻ほど後に応接間に来ていただけますか」
その言葉に前公爵は顔を顰めた。
「……あぁ。やはりヨハンナは例の公爵令嬢に入れ込み過ぎておったからな。お前がどう事態を収めたのか話を聞こう。……一刻後だな?」
「はい。……ああ、父上。レスターに早急に仕事を頼みたいのですが、彼はいつもの所に?」
レスターとは前公爵の従者。元々落ちぶれた子爵家の次男で公爵家の汚れ仕事も引き受けていた男。前公爵から全幅の信頼を得ていた。
「奴は今特に仕事もないからいつもの所にいるとは思うが……。なんだ? 何か不測の事態でも?」
「それは後にお話ししますよ。とりあえず私は旅装を解いて参ります」
「ああ。ご苦労だったな。あのような小国にわざわざ大変であっただろう。ヨハンナももう少し自らの立場というものを考える人間であったなら……」
妹であるランゴーニュ王国王太后の事を愚痴りながら歩いていく父の後ろ姿を、クライスラー公爵は冷たい眼で見送った。
◇ ◇ ◇
「父上。……お待ちしておりました。コレはランゴーニュ王国で最近流行っているお菓子だそうですよ。どうぞお召し上がりください」
公爵が父と約束をしてから一刻半後。
応接間にやっと父がやって来た。この父は約束した時間を守った事がない。分かっていた息子は気長に書類を見ながら待っていた。
「……ふん。田舎の国の田舎菓子か。やはり帝国の洗練されたものとは違うの。まああの国は我が帝国の食糧庫。せいぜい帝国の為に働くとよいわ」
ある意味大帝国の高位貴族らし過ぎる、傲慢な態度とその考え方。クライスラー公爵は内心眉を顰めながらもそうとは見えない顔で父に話す。
「……此度ランゴーニュ王国で、かねてからの公爵令嬢の『予言』通りにリオネル王太子とその婚約者との、婚約が『破棄』されました」
クライスラー公爵は先程の父の話は聞こえなかったとばかりにそう切り出した。
「何っ!? そうなるとやはりヨハンナはそれを止めなかったという事か」
「止めないどころか反対に公爵令嬢側の話に加担しておいででした。あの王国の公爵家の思い通りになれば我がクライスラー公爵家の王国での影響力が薄まり、結果帝国での切り札が減るなどという考えが全くおありではありませんでした。
……ですので、私が間に入りあちらの公爵家の『有責』での婚約破棄とさせました。あの公爵家はこの後処罰され多額の慰謝料を支払う事となり、力を無くしていく事でありましょう」
「ヨハンナめ……! ……しかし良くやったエドワルド。お前はやはりこの栄光あるクライスラー公爵家の、私の誇る息子だ! これで結婚して孫の顔を見せてくれればお前は全く完璧な息子であったものを!」
父は息子にいつもの愚痴を言い始めた。
その昔、息子がただ1人一緒になりたいと言った女性との結婚を反対した人物の言葉に、いつもは眉を顰めるだけで特に反論などしなかったエドワルドだったが――。
「――それは仕方がないでしょう。父上が私の愛する女性を死に追いやったのですから」
突如言い放った息子のその言葉に、父は目を見張った。
「……何を、言っている? お前の言う女性とは、まさかヴァイオレット皇女の事か!? お前はまだあの皇女の事を云々と抜かしておるのか? ……愚かな事を! だいたいあの時前皇帝の御世で反対勢力の妹皇女を娶るなど自殺行為だ!! そんな事をすれば我がクライスラー公爵家は潰されていたのかもしれんのだぞ!?」
父は唾を飛ばさんばかりにそう叫んだ。
「そうでしょうか? 例え反対勢力であろうとも皇女は政略などで十分に利用価値のあった存在。私が彼女を娶る代わりに前皇帝に一生の忠誠を誓えば前皇帝も認めて下さったのでは?」
エドワルドは冷静にそう答えた。
……元々、皇帝兄弟とクライスラー公爵は幼馴染の友人同士。結局は周りの貴族達が担ぎ上げて起こったお家騒動。公爵家が弟の派閥なら難しかったかもしれないが、兄の派閥であったエドワルドが願い出れば弟と同腹の妹の結婚は条件次第で認められたはずだった。
それを、前公爵は少しでも公爵家に不利な話にされるのが嫌で息子エドワルドのただ一つの願いを突っぱね、これ以上息子が惑わされる事がないようにと皇女に刺客を送った。
そしてその刺客から逃れる為に皇女は数人の護衛や乳母と逃げ行方不明になった、というのが事の真相だった。
その時皇女を庇って逃したその乳母が刺客に殺された現場に、そのすぐあとを追ってきたエドワルドが直後に遭遇した。それを周囲に『自分の思い通りにならなかった皇女を追いその逃した乳母を残酷に殺した』と誤解されて噂されるようになったのだ。
エドワルドは自分のせいでヴァイオレット皇女が刺客に追われ行方不明になった事に責任を感じ、敢えてその噂を否定しなかった。
「何を言っている! お前はこの名誉あるクライスラー公爵家に泥を塗る気か!! 少しでも、そのような厄介ごとに巻き込まれるような事があってはいかんのだ!」
「……マリアンナ陛下の妹であった我が祖母は自分と姉の立場の違いに死ぬまで不平不満を言っていたのに? 叔母であるヨハンナ王太后はその娘時代その傲慢さから皇太子殿下の妃候補から外れたのに? 貴方は前皇帝に肩入れし過ぎて現皇帝から疎まれその立場をなくされたのに?」
息子から突き付けられたその数々の事実に、前公爵は頭に血が昇った。
「お前は……! いったい何を言っている!? ……そうか、あの皇女……! あの女を見つけたのか!? あの毒婦め……! 我が公爵家にあだなすあの皇女は許しておけん! 皇女はどこにいる!?」
「皇女を手にかけたと……。そうレスターから報告を受けたのでしょう? 理不尽に皇女という立場を追われてそれでも健気に頑張って生きていた1人の女性を……!」
「なに……? レスター……! あの者は私に嘘の報告をしたのか!? 可愛がってやった恩義も忘れて許さぬ……。……誰か、レスターを呼べっ!!」
前公爵はそう廊下に向かって呼びかけたが……。
シン……と静まり返った屋敷からは何の反応も無い。
「な……? 人払いをしてあったのか? ふん、構わん! 私の屋敷に帰ってレスターを……」
「レスターはもう居ませんよ」
さらりと言った息子の声に前公爵は「?」となったが、次の瞬間意味を理解して顔色を変える。
「お前……! レスターをどうした!? アレは私の従者だぞ!」
「私は彼に仕事の依頼をしただけですよ。ですがおそらく……。かなり危険な仕事ですので帰って来られるかどうかは……」
「エドワルドッ!! お前は……!」
「父上にも、住まいを変えて頂こうと思っております。もうお年なのですし、静かにお暮らしいただけるようにいたしました」
「お前! エドワルドッ! この……親不孝者めが!!」
「……親不孝?」
その言葉を聞いたエドワルドはその眼に剣呑な光を宿し……、静かに反応した。
「貴方の罪を公にしない、心優しい息子に対してその言い草ですか? 皇族殺しは……拷問の上晒し首。勿論知っておいでなのでしょうね? しかも貴方の仰るところの『栄光あるクライスラー公爵家』に対して随分な泥の塗り方だ。私が祖父ならば、貴方を即刻地下牢に入れ毒でも飲ませたでしょうね」
前公爵はサーッと血の気が引いた。
『皇族殺し』。確かにそれはこの帝国で1番重い罪。そしてそれを行った者は過去未来一族郎党に渡って罪を問われ勿論その貴族家は断絶。……存在そのものがなかった事にされる。それは筆頭公爵家であっても変わらない。
「……違うっ! 私はただ……!」
「言い訳は聞きません。栄光あるクライスラー前公爵の名が泣きますよ。……見苦しい。ハンス、連れて行きなさい」
ハンスはエドワルドの従者。王国のレティシアの元に置いて来たハンナの兄だ。
ハンスは力なく項垂れた前公爵を鮮やかに抱えて出て行った。これから公爵の領地の片隅、人も滅多に訪れる事のない小さな廃れた屋敷で余生を送ってもらう。
1人になったクライスラー公爵は息を吐き、力なくソファーに座り込んだ。
愛する女性を殺されて、彼の怒りや哀しみは本当はこんなものではない。持って行きようのない思いが公爵の中で渦巻いていた。
しかし……。
あの者達は我が父我が叔母。
そして、『皇族殺し』を隠す事が正しい事かは分からない。ある意味我が身可愛さに彼らの身を隠したようにも思えるだろう。
だけど、とクライスラー公爵は思う。
全ては、レティシアのこの帝国での立場を揺るぎない完全なものとした後の話だ。
我らをどうするのか決めるのも、全てレティシアのみが決めてよい事なのだ。
それまでは、愛する女性の娘を我が娘と思い共に過ごす事を許して欲しい。もしかして、本来彼女との間に築けたかもしれない幸せな家庭を、ほんの少しだけ――。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァイオレット皇女を深く愛していて、それが不幸な形で終わらされた為に諦めきれずに苦しんでいたクライスラー公爵でした。




