挿話 コベール子爵 その2
レティシアの伯父、コベール子爵から見たお話です。
ヴィオレはアランの死にショックを受け非常に悲しみ……、その2日後には置き手紙を置いて姿を消したそうだ。
今までお世話になった感謝と、愛するアランとの幸せな日々への感謝が美しい文字で綴られていた。
執事に聞くと、弟達は『もしも自分の身に何かあれば』というような事を2人で話し合っていたようだった。
普段から3人の荷物は最小限にまとめられていた。
……そしてそんな3人を案じ、以前から私は密かに人を彼らに付けていた。
暫くして、ヴィオレとその娘レティシアは王都の街の外れの町に住み出したと知らせが届いた。私は彼女達の暮らしが上手く回るように、密かに手を回した。
帝国貴族の元令嬢だというのに、ヴィオレは働き者で気の良い女性だった。私は彼女達母子の周りに護衛代わりの者を置き、定期的に知らせを受けていた。娘のレティシアは、弟によく似ているそうだ。
私は彼女達母子が身を潜めようとしている事から、その意志を尊重して最低限の守りをおきながらも見守ることにしていた。……おそらく、それが弟のアランの遺志でもあるだろうから。
――そしてその日は突然訪れた。
「ッ旦那様!! 大変です! ……ヴィオレ様が!」
ヴィオレ達に付けていた護衛が大慌てでやって来た。聞くと、ヴィオレが馬車に轢かれ一命を取り留めたものの危険な状況だという。
「相手は貴族の馬車、だと……!」
私は信じられない思いだった。
「……そうです! ……実はヴィオレ様は……、現在のヴォール帝国の状況をご存知なかったようで……」
今から1年半前。ヴォール帝国の皇帝が亡くなった。皇位継承争いに勝利した皇帝は、しかし病魔には勝てなかった。そしてあの血の粛清の罰なのか……、皇帝は子に恵まれず当時たった2歳だった皇女が1人いるだけ。そして法律で成人するまでは皇女は皇位につけない。
次の皇帝には幽閉状態にあった皇弟が就くことになった。……帝国内の情勢は大きく変わったのだ。
ヴィオレは事故に合う直前に、ヴォール帝国の使者が来たという見出しの新聞を見てそれに気付いたようだった。
他国の情勢など、一般国民はほぼ知らないことなのだ。
ヴィオレは、その使者の馬車が通るという大通りに向かったそうだ。
そしてヴォール帝国の使者の豪華な馬車が数台通り過ぎた。当然一般国民はそれを見るだけしか出来ない。ヴィオレも少し残念そうに帰途についた。……が。
「その帰り道に、ヴィオレ様は貴族の馬車に轢かれたのです。……私には、その馬車はヴィオレ様にわざと向かって行ったように見えました。ヴィオレ様は今まで身を隠されて生きてこられました。もしやこの度帝国の馬車の前に姿を出された事でお命を狙われたのでは……!」
ヴィオレに付けていた護衛は目の前で起きた事にショックを受け興奮気味にそう話した。
「……滅多な事を申すでない! して、ヴィオレの具合はどうなのだ? 医者は呼んだのか?」
私もかなりのショックを受けていたし、何より本当に弟が言っていたようにヴィオレが狙われていたかもしれないことにも動揺していた。
「……はい。通りすがりのふりをしてあの街1番の医者を呼びましてございます。医師が言うには、頭を強く打っており、暫く様子を見なければ分からない、と……。今はなんとか意識はあるようでしたが」
「ッなんと……」
私は言葉を失った。
弟アランの、大切な妻。あんなに憧れを持ってなった外交官の仕事を失ってまで一緒になりたいと言った女性。私が、アランの代わりに守ってやらなければならなかったのに。
私がもっとちゃんと彼らを守ってやっていたら……! 今、2人の娘レティシアは不安な夜を迎えているだろう。確かまだ14歳。学園にも通わぬ年齢だ。
それにしても、ヴィオレがヴォール帝国の情勢を知らなかったとは……!
私はヴィオレにそれを知らせるべきだったかと後悔すると共に、彼女の回復を神に祈ったが……。
次の日の朝、護衛よりヴィオレが亡くなったとの知らせが届いたのだった。
たった1人きりになってしまった、アランとヴィオレの娘レティシア。
……私は今度こそ彼女を、アランの大切な忘れ形見を守らなければならない。
しかし、彼女レティシアをアランの娘と公表してしまったら、もしかするとヴォール帝国で外交官をしていたアランの経歴からヴィオレの事がどこからか漏れ、娘レティシアの身に危険が及ぶかも知れない。
ヴィオレはもしかすると、帝国の者に手にかけられたのかもしれないのだから。
敵がヴォール帝国の貴族ならば、小さなランゴーニュ王国の子爵の立場では大切なレティシアを守れない。
考えあぐねた末に、私は妻に相談した。……ほぼ決定事項として。
妻も弟家族に同情はしていたものの、『レティシアをコベール子爵の愛人の娘』とする事にはかなり難色を示した。
……当然だと思う。私達はずっとおしどり夫婦として有名だったのだから。この国に愛人を持つ貴族は少なくはないが、愛妻家で通った私がいきなり隠し子を連れて来たとなれば、当然暫く社交界を賑わす話題となってしまうだろう。
……それでも。それしかおそらく極力穏便にレティシアをこの家に引き取る方法がない。
私は謗られようが笑われようが構わないと覚悟を決めた。ただ、本当に妻には悪い事をしたと思っている。一生彼女には頭が上がらないだろう。
「……お父様……?」
レティシアは、顔立ちは弟に髪の色や瞳はヴィオレにそっくりだった。執事に連れられて来たレティシアを見て、使用人たちは一様に驚いている。それは弟とレティシアはそっくりで、その弟と私はそっくりで……。要するに、レティシアと私はよく似ていたのだ。
「まさか、あんなに奥様を愛されている旦那様が……」
思わずそう呟いた使用人。……聞こえているぞ。
勿論、私は妻を深く愛している。……そして、弟も愛している。私はその娘を守りたいのだ。
ちなみに、今ここにいる中では執事だけが弟の事を知っている。王都の屋敷にいる他の者はこの数年で人が入れ替わってしまった。だからこの事を知っているのは私達夫婦と執事だけ。
その執事が、気の毒そうに私を見る。……いいのだ。レティシアを引き取ると決めた時に覚悟は出来ている。
何度も元の家に帰ると言うレティシアを強引に説得して食事に誘う。
レティシアの不意に見せるちょっとした仕草や何かが弟のそれと重なる。私の胸にこの娘を必ず守りたい、との思いが益々強くなった。
そして彼女の胸元には、美しいサファイアのブローチとアメジストのペンダント。
……あのブローチは……!
「……それは……(弟アランが)君の母に贈ったものだ」
思わず、私はそう呟いて涙ぐんだ。
……アラン。ヴィオレは、ずっとお前から貰ったブローチを大切に持ってくれていた。そして、それは娘レティシアへと受け継がれて……。
「そうですか、コレは貴方が母に……」
そう神妙な顔で頷きながら言うレティシア。……違う、それは君の本当の父アランが渡したヴィオレへの愛の証なのだ。
「そうだ。そしてヴィオレが君にこれを託したという事は、レティシアを私に託したということだ。今まで苦労をさせたが、これからはここで安心して暮らして欲しい」
そうして私は、貴族なんて私には無理ですと言い張るレティシアを無理矢理説得? し、彼女を我がコベール子爵家の娘とすることが出来たのである。
レティシアはヴィオレの葬式からそのままここへ連れて来た。荷物などはやはり小さくまとめられていたので護衛にそのまま持って来させた。普段からヴィオレがいつでも逃げられるようにしていたのだろう。
近所の者達には、王都よりも遠くに良い仕事を見つけたのでもう旅立ったと伝えた。親身になってくれていた者達は心配していたようだが……。
そして数日後その近くに今も住む元護衛から、ヴィオレ達の事を調べる者達がいると報告を受けた。近所の者達も何やら不審に思い、彼女たちの事を詳しくは話さないようにしてくれたという。
……コレは、本当にヴィオレは誰かの手にかかったという事なのか。
私も元護衛も本当は色々と調査をしたかった。
しかしこちらから下手に動いてレティシアの事を知られる訳にはいかなかった。とりあえずはレティシアをすぐにこちらに引き取り、元いた場所での痕跡を消したのは正解だったのだと胸を撫で下ろした。
暫くするとヴィオレ達を調べる者達は諦めた様子だった。
私はレティシアを離れた領地から連れてきた愛人の子という事にし、私の隠し子という存在にいっとき周囲には騒がれたものの無事に日々は過ぎていった。
しかし、私は愛する弟の娘を無事に保護出来た事で安心し、ヴォール帝国だけを警戒し国内での情勢には案外無関心だった。
……まさかレティシアが、このランゴーニュ王国の王位争いともいうべき『フランドル公爵令嬢の予言』とやらに巻き込まれようとしているとは、全く考えてもいなかったのだ。
学園の卒業の時期には、私は毎年領地に戻る。レティシアの卒業なのだから、今回は何がなんでも王都に残っているべきだったのだ。長男の時に来なくていいと言われ領地にいたので、今回も深く考えずに領地に行っていたのだ。
私は突然届いた王都に残る妻からの急ぎの手紙を手に取る。
「……おや? 妻から……。どうしたのだ? このように早馬を使うなど……」
――私はこの後、大慌てで王都に戻る事になった。
お読みいただき、ありがとうございます。
随分前からコベール子爵はレティシア達を守ってくれていました。愛妻家で弟思いのとても良い人です。(世間からは隠し子がいるような人と思われてしまいましたが……)




