卒業前夜 2
「……あ……、いえ、私は……」
アベルは分かりやすく動揺し言葉に詰まった。
「……おや。来年には成人という年齢の殿下が、まさか将来の展望をまだ何もお持ちでないのですか?」
公爵は冷たく笑った。この場にいる者はアベルの答えを待つ。
「ッ! ……いえ! 私は色々と考えております……! ただ兄上には妙な噂が立っておりますが故に……!」
言葉に詰まりながらもアベルは兄のせいで決めかねている、と口にしてしまった。
「……おやおや。ご自分の考えが無いことを人のせいになさるとは。何か問題があるというのなら、それを解決する方法も交えてご自分なりの意見を持つことも大事なのでは?」
アベルはグッと言葉に詰まった。普段は王族であるアベルにこうした不躾な質問をする者など居ない。王太后やフランドル公爵家の人々から誉めそやされ、その他の人々からはこうして指摘されることの無いアベル。
大帝国であるヴォール帝国の公爵で明らかに自分よりも立ち場が上の者からの質問なのだが、動揺と苛立ちを隠せずに反論する。
「……お言葉ではございますが……! 罪を犯そうとしている者を庇いだてすることなど出来ません。私は、『王とは強く正しく周りに認められた存在でなけれはならない』と考えております!」
……そのアベルの言葉は……普段から王太后やフランドル公爵家で言われ続けた言葉。そしてその後に彼らは『だからアベルこそが王に相応しい』と言うのだ。
アベルはその言い聞かされた言葉が自分の意見で、それこそが正しい事だと思い込んでいた。
そして先程の公爵の質問に対してのその返答は、その場の空気を凍らせた。
「――ほう。アベル殿下は兄が罪を犯そうとしているとして、ご自分がそれに成り代わりその『強く正しい王』とやらになろうと考えていると、そういうことですな。王位の簒奪。……危険な思想ですな。しかもそれをこうしてやすやすと口に出してしまわれるとは」
公爵に冷たく淡々と言われ、アベルは先程の自分の発言の危うさにやっと気づいた。
「ッ! いえ……! そういう意味ではありません……! 私は王とはこうあるべき、という一般論を述べただけで……!」
「――私はアベル殿下に『王弟としてどう兄王を支えていくのか』とお尋ねしたのですよ。それがご自分が王になる時の心構えを答えられるとは……。
陛下。どうやらこの王国は内部から穏やかでない様子ですな。……他国に、その隙を狙われなければ良いのですが」
最後の公爵の言葉に、晩餐に参加した全員が青くなった。
そしてアベルは自分の手足が震え冷たくなるのを感じた。
――自分が王位を狙っているとここにいる全員に知られてしまったこと。そして、兄を蹴落とし自分が王太子となるその後の国の混乱をもしかすると他国に狙われるかもしれないという、今までアベルが考えもしなかった可能性を指摘されたからだ。
「あの、父上ッ……! そういう意味ではないのです、ただ私はッ……!」
「口を慎め、アベル。ヴォール帝国の重鎮の前でなんたる失態、何という失礼を……!
従兄弟どの。申し訳ござらぬ。第二王子はまだ若く至らぬ点が多く……。暫くは反省させ謹慎させることといたす」
「……それが良ろしいでしょう。ここが公共の場であったなら、重い罪を適用されてもおかしくはありません。王位の簒奪を狙う者として処刑もしくは幽閉されてもおかしくないでしょう」
他国の重鎮にそう指摘された国王一家は重く受け止め頷いた。
1番顔色を悪くしている第二王子本人に、更に公爵は言った。
「アベル殿下。……他人の事をとやかく言う前に、ご自分の身を振り返られる事です。
……陛下。今私は貴方の従兄弟としてこの場におりますので、今回は私の胸の内に収めこの一件は陛下にお任せ致しましょう。しかし、もしも次このような事があったなら……。私はヴォール帝国の貴族として、動くやもしれませんよ」
国王は顔色を悪くしながらも、なんとか威厳を保ちながら答えた。
「……心遣い、感謝する。そして失礼を謝罪する」
青褪め震えるアベルはこの場から退出させられ、晩餐会は後味の悪いままで終わった。
「……閣下!」
リオネルは、晩餐を終え部屋に戻ろうとするクライスラー公爵を呼び止めた。
「先程は、弟が失礼を申し上げまして誠に申し訳ございません」
真摯に反省の弁を述べるリオネルの謝罪を公爵は受け入れた。
「……リオネル王太子殿下。殿下もご苦労が絶えぬお立場でありましょう。
それでは一つ私から卒業の餞の言葉を。……ご自分の想いは、きちんと口にして伝えなければ相手には伝わらない事が多いものです。当然伝わっていると思っていた事も案外相手には伝わっていないもの。そして大切な人にはその時にきちんと想いを伝えておかないと、次に伝えようと思った時にはもう伝えられない事もある」
それは、リオネルに言っているようで自分の経験を話しているようだった。……少なくとも、リオネルにはそう感じた。
色々と噂される事の多い公爵だが、この方も相当ご苦労されてきたのだろう。
「ありがとうございます。……心に、しかと刻みます。閣下」
リオネルはそう言って礼をして去った。
「従兄弟殿。先程のお話は……。……もしや、20年前の……?」
リオネルが去った後、後ろからやって来た国王はまだどこか疑心暗鬼だった。昔から冷静沈着……むしろ冷たく容赦のない印象だったこの従兄弟。
その最たる事件が『20年前の皇女』の件だ。前皇帝に味方したクライスラー公爵家だったが、当時公爵家嫡男だった公爵と学生同士恋仲だったと噂された皇女。その皇女が幽閉される直前に逃走しこの公爵が必死に跡を追い……。そこまでならば世紀の恋愛劇かと思われないでもなかったのだが、結末は皇女とはぐれた乳母を発見し怒りで死に至らしめたという事実。そして数年経っても皇女を探し続けたというが……。
国王は、この従兄弟が思い通りにならなかった皇女を闇に葬ったのかと思っていたし、世間でもそう思われていた。
――しかし今の公爵の話からすると、2人は本当は想い合いすれ違ってしまっただけということになる。少なくとも公爵は皇女をずっと想っていた、ということだ。
ジッと自分を見るこの従兄弟に構わず公爵は言った。
「……私は、ただ若者達が言葉足りずに大切な者を失ってしまう、などという事がもう無ければ良いと……そう思うだけなのですよ。リオネル殿下が本当は何を望まれているのかは存じ上げませんがね。……殿下も、理不尽な事の多い人生のようですから」
今、我が王国で起ころうとしている王位を巡る嵐。それを見て、この公爵も20年前を思い出さずにはいられないのだろうか。……公爵は確か結婚をしていない。妹の子を養子にとっていると聞いている。
冷酷で女嫌いだと思っていたが……。まさか本当にずっと皇女の事を……?
そう考えれば、この従兄弟になんとも言えない親近感のようなものを抱かずにはいられない。しかも不遇の我が息子リオネルを労わり、アベルやおそらくは王太后をも諌めてくれるとは。
「……ああ。全くです。人生など思い通りにならぬ事の連続ですが……。それにしてもリオネルは彼のせいではない多くの苦労をしてきたのです。私の力が足りず可哀想な事をしました。……しかしその分、リオネルは強く人々に配慮の出来る人間に成長しました。親の私が言うのも何ですが、リオネルは立派な王となるでしょう」
苦しげに、しかしリオネルの事を語る国王の顔はどこか誇らしげだった。
――親とは、子をこれほど迄に愛し守ろうとするものなのだな。私には跡継ぎの養子に対してここまでの思いはない。……だがもしも、愛する女性との子がいたのなら――。
そんな事がふと頭をよぎり……クライスラー公爵は息を吐き目を閉じた。
「……そうですね。私もリオネル殿下は立派な王になられる事と思います。
実は叔母上より明日のパーティーに招待されていましてね。……明日、どう『予言』とやらを塗り替えてくださるのか。楽しみにしておりますよ」
クライスラー公爵はいつもの冷めた表情で言い、去って行った。
それをため息を吐きながら見つめるランゴーニュ王国国王。
「……少しは人らしいところを見られたのかと思ったのだがな。それに、こちらの味方かどうかは五分五分といったところか……。まあ、それでも我らは進むしか出来ないのだがな」
――そして、運命のパーティーが始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
アベルは王太后やフランドル公爵家にそそのかされ、いずれ自分が王になると思っていました。
彼らに甘々に甘やかされながらも、兄が非常に優秀な事も分かっていて劣等感を持っています。その上で、将来兄は罪を犯すし『強く正しい』のは自分だと思い込む事で自分の劣等感を慰めていたのです。