子爵家の令嬢 1
――私は半ば呆然として、目の前で繰り広げられる光景を見ていた。
「……婚約破棄、でございますか? やはりリオネル殿下は『予言』通りの事をなさいますのね」
見事な赤い髪をゴージャスにカールさせ真っ赤なドレスを着た美しき公爵令嬢ローズマリーは、満足そうに口元を緩めながらも眉を顰めてみせた。
そしてその前には金髪碧眼美青年のこのランゴーニュ王国のリオネル王太子。彼は冷静を装ってはいるが、内心はおそらく怒りに震えている。
「――なんとでも言うがいい。ローズマリー・フランドル公爵令嬢。私は貴女のした事を決して許す事は出来ない。自分の思うがままにする為に、関係のない人を犠牲にする事など!」
「……私が一体何をしたと? 何か証拠でもございますの? ……それに関係のない人だなんて……。それは殿下の浮気相手、……その陰に隠れている、レティシア・コベール子爵令嬢の事ではありませんこと!?」
そこで名指しされた私レティシアは、内心かなり焦っていた。
勿論、今のこの状況もそうなのだけれど……。
『卒業パーティー』『王太子の婚約破棄』『ローズマリー・フランドル公爵令嬢』『リオネル王太子』……そして、『レティシア・コベール子爵令嬢』。
このキーワードと目の前のこの異常事態……。……私は思い出した。日本で生きた前世の記憶を。そして今生きているこの世界はおそらく前世にした乙女ゲーム『公爵令嬢の憂い〜真実の愛を求めて〜』の世界だって事を……!
思い出したのが、まさかの……今!
いや、どうせならもっと早くに思い出していたら……! 色んな事を予測して行動出来たのに……。…………ん? 予測? ……『予言』!!
……そうか……! フランドル公爵令嬢も、きっと私と同じ……。日本での前世の記憶を持っていてしかもあの乙女ゲームの事を詳しく知っているんだわ! だからこそ、数々の『公爵令嬢の予言』を出し、見事当ててきたのね! 前世で知り得たゲームの内容なのだから、当たるのは当然だったんだわ……!
うわー、ズルい! それは所謂『前世チート』!?
私は今からじゃ、何も出来ないじゃない!
……というか、これから私はどうする事が正しいの……!!
だって、このゲームの主役はローズマリー・フランドル公爵令嬢。前世で主流になっていた婚約破棄ものの、所謂『ザマァ返し』のゲームなのだもの!
自分の婚約者に色目をつかう女性と裏切った婚約者を懲らしめ真実の愛とは何かを追い求めるゲーム。まあ、婚約者の浮気の証拠集めや周りの人々を味方につけていき、そしてその中で攻略対象者と密かに愛を育てていくというちょっと乙女ゲームとしては異色のゲームだったのよね。
……とにかく、私レティシアはザマァされる側!!
離宮で行われているパーティーで、目の前で王太子と公爵令嬢が火花を散らして向き合っている中。
私は今どうするべきか、頭をフル回転させて必死に考えていた――。
◇ ◇ ◇
ランゴーニュ王国、王都エクラン。
王都の街の外れで私レティシアは母と2人仲良く暮らしていた。
母は食堂で給仕の仕事をしつつ、得意の刺繍の注文を受けていた。私は家の手伝いをしたり、近所のお年寄りの方のお手伝いをしたりと街に溶け込んで暮らしていた。
そんな日々の中、母は偶に街の人々との寄合などで酔って帰った時にこんな話をする事があった。
「レティシア。……私達は本当は貴族だったのよ」
「じゃあどうして今は貴族じゃないの?」
幼い私がそう聞くと母は少し悲しげな顔をした。
「どうしてかしらね……。何か、大きな波に呑み込まれてしまった感じだわ。でも私は貴方の父親と出会えてとても幸せだったわ。彼が亡くなってとても悲しかったし辛かったけれど……。今は貴女が居るし、この周りの人達も良い人ばかりだしね」
そう言って朗らかに笑う母。そうして、ほろ酔いの頭を冷ますように水を飲んでからふうとため息をつきながら言うのだ。
「ただ……。一つ心残りな事といえば、昔の友人の事かしらね……。あの時は裏切られたと思ったけれど、後から思えば助けようとしてくれていたのかもしれないとも思うのよ。私は気にしてないって、そう伝えられたら良かったのだけれどね……」
そう言ってお酒に強くない母は寝てしまう、という事が何度かあった。
……母は本当に貴族だったのかしら? 死んだ父が貴族だったという事?
だけど母は酔っていない時には決してその話をしてくれなかった。だから私にはよく分からない事が多かった。
けれど近所のおばさんに話をしたら、『昔の事はそっとしておいておやり』と言われたので敢えて問いただす事はしなかった。
それに、私は今の暮らしに文句がある訳じゃない。そりゃ、貴族みたいな豪華な暮らしは出来ないんだけど……。それでも、周りは良い人ばかりだから。
そんな風に、私達母子は穏やかに幸せに暮らしていた。
そんな時、私たち母子に突然の不幸が訪れた。……母が馬車に轢かれたのだ。私が14歳の時だった。貴族のものと思われる馬車はそのまま走り去ってしまったそうだ。母はその時はなんとか一命を取り留めたものの、私は不安で仕方がなかった。……そしてその日の夜に母は私を呼んで言った。
「レティシア……。貴女に、コレを渡しておくわ……」
渡されたのは、美しいアメジストのペンダントとサファイアのブローチ。
「これは貴女を証明するもの。どちらも大切に持っておいてね……」
……そう話した翌朝に、母は亡くなった。
そして近所の人々に手伝ってもらって母の葬儀をした。14歳という年齢はこの国では大人と子供の中間。しかし平民では十分に働き手として扱われる。そして1人で生きなければならない私は母のいた食堂で働かせて貰うことになっていた。
教会の墓地で母の棺を納め私は失意の中佇んでいた。
……女手一つで私をここまで育ててくれた母。私の父は貴族だということを言っていたが、それが事実だとしてもどうにもならないことだ。孤児院に行けばそのような事情のある者は稀にいる事も知っている。
私は今日だけは思い切り泣いて悲しみ、明日からは全て洗い流して前向きに生きていこうと決めた。周りの人々もそれを分かってか、温かい言葉をかけてくれた後私を置いて先に帰って行った。
私は母の真新しいお墓の前で手を握り締め、泣いていた。
……すると、静かに足音が聞こえて来た。そして、私の後ろでピタリと止まる。
「――失礼。レティシア様でいらっしゃいますか」
「…………?」
私は生まれてこの方『様』付けで呼ばれた事などない。一瞬他にも誰か人が居るのだろうかと気配を探すが、おそらくここにいるのは私だけ。
私は訝しみながらも涙を拭きそっと振り向いた。
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